その2 祟り神とかつて祟り神であった神様

 私たちを乗せた車が隣町へ急いでいた。達也くんが珍しく焦った様子で車を飛ばしている。私の無理なお願いに、また付き合わせてしまっている、と思わずにはいられない。けれど今は早穂の事が一番心配なんだ。

 途中で緊急走行をする救急車とすれ違ったけれど、この時は、まさか知っている人物が搬送されているとは、ついぞ思わなかった。

 隣町へ近づくにつれ、凛子さんは異変を強く感じていたようだ。そして私は先ほどから俯きながら早穂と会話を試みている。それが凛子さんにはわかるのか、時折、頑張って、と声をかけながら背を撫でてくれている。

 達也くんは戸惑っているようだった。私たちの様子もそうだけれど、町の雰囲気が明らかにおかしいことに気づいている。

 信号待ちの車内から、窓の外の畑が、見る間に茶色くなっていくのを達也くんは見た。

 「なんだ!?」

 達也が指さすものを見て、凛子さんも目を見張った。

 「これ、早穂ちゃんなのか?」

 達也くんが絞り出すように言うが、「違うわ!」と私はすぐに否定する。

 「早穂じゃない。早穂は止めようとしている!」

 達也くんはぎょっとした。私が淡く薄緑色に光り出していたのだ。

 「トランスに入っているわ」

 凛子さんが小声で言う。

 「巫女になってる」と。

 達也くんは黙った。しかし、すぐに思いついて聞いてくれる。

 「どこに行けば良い?」

 私は黙って東の方角を指した。今なら、早穂の居場所がはっきりとわかる。

 「わかった」

 信号が変わると同時に、達也くんはハンドルを切った。


 東に向かうほど、赤茶けた風景が広がっていく。一面の黄金色の水田がいまや茶色く煤けているのだ。

 その他の周りでは大勢の人々が右往左往している。

 「山の神の怒り……かしら」

 凛子さんがポツリと言った。

 「豊穣をもたらす山の神が。帰る場所を失うと、里に残って祟るのよ。だから人は実りの時節に祭りを行い、神を送り出すの」

 達也くんの脳裏に、鳥居の下のうすぼんやりとした少年の姿が浮かんだのだろうか。

 「力を…… ずいぶんと失っているようだったけれど、こんなに激しく祟ることができるものなのか?」

 凛子さんは首を振った。

 「わからない。けれど、なにかトリガーがあったはずよ。怒りを爆発させるような」

 「山での工事か」達也は言った。それが引鉄になって…… だが、凛子さんは首を傾げた。

 「あの神様は、自分の行く末を受け入れようとしていたように見えたわ。工事は無関係じゃないだろうけれど、それだけじゃ……」

 「停めて!」

 その時、私は鋭く叫んだ。達也くんはブレーキを強く踏む。

 車が停まるなり私は飛び出し、まっすぐに茶色くなった畑に向かって駆けて行く。達也くんも後を追おうとしてくれたようだけれど、凛子さんに引き留められていた。

 「今はこの町で何が起こっているのか、全体を掴む方が先よ。ここは早苗と早穂に任せましょう」

 そう言う凛子さんに従い、達也くんは町役場へ向かって車を走らせた。


 私は駆けていた。着替える間も惜しんで飛び出してきたので、浴衣姿のままだが、もはやなりふり構ってはいられなかった。走り続けた足からは血が滲じみ、爪も割れている。それでも私は、目の前の畑でぼろぼろになっている早穂に向かって駆け続けた。

 そして早穂に手が届いた。


 その時、私の周りで風景の色が変わった。田畑こそ茶色く変色していたが、その他は普通の色合いであった風景が、一転して赤く夕陽に照らされたような色合いになったのだ。そして抱きしめた早穂の前には、得体のしれない「存在」が、それは少年であり老人であり、いや、そもそも人なのか、それとも蛇なのか、掴みどころのない「存在」があった。そしてそれが激しく早穂を打ち据えていた。

 必死に早穂を庇い、私は自分の身にそれを受けた。熱く鋭い痛みが体を貫く。でも、私にはそんな痛みはどうでも良かった。早穂さへ無事ならそれで良い。

 また激しい痛みが私の背を打った。こんな痛みに早穂は耐えていたのか、ならここで泣き言は言えないじゃない、私は早穂のお姉さんだ!

 「よく頑張ったね早穂。お姉さんが来たからには、もう大丈夫よ」

 そう言ったのだが、早穂から見れば説得力がなかったようで、なにしに来たんだと言う顔をしつつも、なんとなくほっとした表情で笑ってくれた。

 しかし、次にもう一度打たれた時、私は流石に退いた方が良いと判断した。

 --これじゃ、どうにもならない。早穂、場所を変えるよ

 意図が伝わったようで、早穂は頷くと同時に光に身を包み、私と共にその場から消えた。


 そして町から離れた水田に、黄金色に実った一面の稲穂の真中に立った。ここはまだ、山の神の祟りが及んでいない。だが、じきにこの場も祟りに包まれるだろう。

 私は早穂を抱きしめた。自分が何をなすべきかは不思議とわかる。

 若草色に輝きだした私に抱かれて、早穂の傷ついた体が癒されていく。

 そして、早穂も黄金色に輝きだした。周囲一面の稲穂から光が早穂に集まっていく。

 早穂の姿は、白い着物を着た大人の女の姿、長い黒髪と黄金色の瞳、そしてぞっとするような美しさの笑みを浮かべた、ヒルマモチ本来の姿へと変貌した。

 「かっこいいよ、早穂。フルパワーに加えて私と合体だから、もう無敵よ。山の神にお仕置きしてやろう」

 私が笑うと早穂、ヒルマモチも笑った。その笑顔には、かつてあった禍々しさはなくなっている。

 --ホント、大人バージョンも美人過ぎるわ

 このような場でも、私は早穂に萌えた。


 やがて風景は徐々に夕陽の色に染まっていく。ただ、早穂と私の周囲だけは明るい日差しに包まれていた。

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