第一話 ヒルマモチ日和

その1 始まりは神様との同居から

 私こと山城早苗は東邦出版入社1年で無職になってしまった。いやそれは違うの、「フリー」になったのよ。

 東邦出版社「月刊アルカナム」というオカルト専門誌の編集長、帯刀の陰謀、もとい好意により、「原稿を持ってくれば金にしてやる」とのセリフに乗せられて、私はフリーライターになった。

 これぞ天職、やりたかった仕事だって張り切ってたのよ。

 でもね、その頃は知らなかったのよ。

 大人の世界とオカルトの世界、そして神様との同居生活は甘くないことを……


 玄関を開けて部屋に入った途端、私は絶句し、立ち尽くしてしまった。

 朝、出た時と風景が変わっている。

 ちゃぶ台にご飯が一膳乗っているのだ。そのご飯は丸く盛られていて、まるっきり「お仏飯」だ。しかし、それだけじゃなかったの、私が立ち尽くしていたのは、ちゃぶ台の向こうの景色のせい…… 部屋間違えちゃった、テヘってやりたかったのだけれど……そうもいかなかった。間違いなくここは私の部屋だ。

 じゃあ、あそこにいるのは誰だろう? ちゃぶ台の向こうに座っているあの女の子は、誰?


 12歳くらいの髪の長い、そう、畳の上に波打っているほど長い髪を持つ少女に向かって、私は思わず言ってしまった。

 「あんた誰?」

 と。

 でも、よく見ると見覚えがあるようなないような、でも私には親戚は居ないし…… でもやっぱりどこかで会ったような気もするし…… 駄目だ、思い出せない。

 私はとりあえず考えることを放棄した。落ち着いてお話してみよう。

 そう思って近づいたのですよ、お嬢ちゃん、お部屋間違えていませんか、ってね。

 でもその時、どえらいことに気が付いちゃった。

 --鏡に映っていない!

 部屋の隅に置かれた姿見に映っていないのだ。

 思わず、あちこち角度を変えて鏡を覗いてみました。鏡、本人、鏡、本人、と。たぶん誰でもそうするものだと思うほどには……


 これはオカルト案件だ。オカルト雑誌のルポライター(フリーだけれど)として、とても美味しいシチュエーションではないか。

 私の中の好奇心(と、お金の匂いが)私を現実から遠く引き離し、私は彼女をよく観察することにしたのです。


 服装は古びている。丈の短い小袖を着ており、紐のようなものを帯の代わりに結んでいる。長い髪ではっきりとは見えないが、顔立ちは少女のそれで、かわいらしいようだ。いや、むしろ整っており「美少女」と直感する。しかしけっしてそんな危ない単語は口には出さない。

 ますます募る、「どこかで会った」という感覚。それもかなり近しい存在のように思え、懐かしささえ感じる。その時、空腹を感じた私のお腹が鳴った。どんな時でもお腹はなるものなのね。

 で、改めてちゃぶ台に置かれた「お仏飯」を見たのです。

 なぜか少女が嬉しそうな顔をした。


 「もしかしてなんだけれど……」

 恐る恐る聞いてみる。

 「……食べろってこと?」

 嬉しそうに頷く少女に私は逡巡した。

 --食べても良いのか「お仏飯」を。これって仏様の…… じゃなかったっけ?

 ふと見ると炊飯ジャーのスイッチが入っている。

 「えっと、ご飯、炊いてくれたの?」

 思わず喜んだ声を出してしまった。

 再び頷く少女。どことなく誇らしそうだ。

 --お化けがご飯を炊いて、茶碗によそってくれてる…… 「お仏飯」だけど

 だめだ、頭が回らない、まずは腹ごしらえだ。そして帰りがけに商店街で買ってきた見切り品の焼鮭を袋から出した。よくわからないが、せっかく用意してくれたんだ。いただくことにしよう。

 お箸は並べて置いてくれていた。

 --良かった。お仏飯に突き刺さっていなくて。

 そう思いつつも、焼鮭を皿に移して電子レンジで温める。

 --一人前しかないけれど、良いよね。お化けだし……

 ちょっとだけちらを向いている少女を見てみる。てっきり目が合うかと思ったのだけれど、どうやら電子レンジを見ているらしい。

 私は、というと炊飯ジャーを見てみる。 

 --炊飯ジャーが使えるのか…… このお化けは

 恐る恐るふたを開けてみると、1合くらいのご飯がちゃんと炊けていた。

 --お化けがご飯を炊く時代なのか。お化けにも「ニュージェネレーション、なんちゃら世代」ってあるのかな?

 現実逃避というものは、思考が様々に飛んで回るのか、さっきから論理的なことを考えていないことに、私はようやく気が付いた。

 焼鮭が温まったのを機に、まずは食べよう、と思いちゃぶ台の前に座った。

 「いただきます」

 そのつもりはなかったが、自然と合わせた手が少女に向き、あたかも少女に向かって合掌を、お祈りを、したようになった。なぜか少女は、誇らしげな顔になり頷いた。


 「お仏飯」は早々に崩した。そりゃそうでしょ、流石にね。そして焼鮭をつつき始めた頃、少女が焼鮭をガン見していることに気が付いた。なんか見えないけれどよだれが出ているような気がする……

 試しに聞いてみた。

 「あんたは食べないの?」

 焼鮭を物欲しそうに見ている少女に、少しだけ取り分けて勧めてみた。すると目の前で取り分けた鮭が消える……

 --凄いものを見た

 と、嬉しくなった私はハイテンションで食事を続けたのだけれど、少し冷静になってきたところで、改めて目の前の、霊異としての少女について考えてみる。

 --この顔、やっぱりどこかで……

 突然、私の箸が止まり、そしてぽとりと畳の上に落ちた。

 「あんた…… ヒルマモチ? ……さほ、なの?」

 これが驚愕というものか、と頭の片隅で感じながら、口に出してみる。まさか……ね。

 あにはからんや、急にニコニコと嬉しそうに、少女は頷いた。

 脳裏に思い出したくもない、浴室のアクリルガラス越しの髪の長い女の姿が浮かぶ。

 しかし、彼女と直接に顔を合わせたことはなかったはずだ。なぜ「ヒルマモチ」だとわかったんだろう。あの時、凛子さんや達也くんは、私が「早苗」であることや、その名前を嫌っていたことが、いろいろと重なってヒルマモチに執着されたのだと言っていた気がするけど。

 相良京子の呪いが、主な原因だったとはいえ、それはあくまできっかけに過ぎず、ヒルマモチ自身も単体で私に執着していたとかなんとか……

 ああ、もっとちゃんと聞いておけばよかった。

 しかし、それも仕方がなかったのだ。なぜならその時の私は、自分の生い立ちに向き合うので精いっぱいだったから。


 それにしても…… と考え込んでしまう。

 玄関を開けるとご飯を炊いて待ってくれていた美少女の存在…… 果たしてこれは呪われていると言えるのか? むしろご褒美だろ?


 とりあえず考えても仕方ないので、箸を拾い食事を続けることにした。

 --食べたらお風呂へ行こう

 そう思った。


 さて、いざ、銭湯に出かけようとしたところ、なぜかヒルマモチも付いてくる気満々の様子だった。

 「お風呂なんだけれど…… 行くの?」

 聞いてみたら、しっかりと頷くヒルマモチ。

 かなり真剣に戸惑いました。あんた私に風呂で何をしたか覚えてないのか? って。

 でも結局、拒まない事にした。オカルトに慣れるって、つまりは面倒なことを考えなくなるってこと? それはなんだか、人として問題があるような気がする。

 --そう言えば、凛子さんも達也くんも、ちょっと他の人とは違うとこあるよなあ

 そう思うと、今の自分の心境が、別段、おかしいものではないような気がしてきた。

 私は少し安心したのだった。


 ヒルマモチは、どうやら他の人には見えないようだ。銭湯の番台で、余分に子供料金を請求されることはなかったことに、私はほっとした。

 脱衣場から浴場へ入った時に、ヒルマモチが服のまま入ろうとしていることに気づき、慌てて引き留めた。

 「服を脱ぎなさい」

 そう言ったのだが、他の入浴客から見れば、一人で不審な動きをし、なおかつ独り言を言う私を、変に思ったかもしれない。

 --凛子さん、あなたの苦労がわかりました

 この場に居ない凛子さんに、心の内で手を合わせたが、その間にも、目の前のヒルマモチから衣服が消えて行き、少女らしい体形があらわになる。

 --あら、便利

 脱ぐ手間が省けるなんて羨ましい。私はそう思いながら浴場へ入る。ヒルマモチもあとに続く。


 体を洗って湯舟へ浸かるところまで、ヒルマモチは私の真似をしていた。これはこれで学習しようとしているのか? ふとそんなことを思いながら、隣に浸かって目を閉じているヒルマモチを眺める。彼女の長い髪が浴槽にゆらゆらと浮かんでいる。かなり不気味だ。そう言えばさっき隣で髪も洗っていたように感じたが、どうやって洗ったのだろう? 私も目をつむり洗髪していたのでよく見ていなかった。手伝った方が良かっただろうか?

 そして改めて、昔のことを思い出す。

 --そう言えば、この銭湯だぞ、コイツに溺れさせられたのは……

 そう思うと、なにかもやもやした。

 --そもそも銭湯に通うようになった原因もコイツだ

 そう、ヒルマモチの存在がきっかけで、一人では怖くて風呂に入られなくなったのだ。

 だから小声で呟いた。

 「もう溺れさせないでよ」と。

 目を開け、ヒルマモチは心外、と言うような顔をした。

 何とぼけてやがんだ、かわいい顔してふてえ野郎だ、男じゃなくて女の子だけど……


 帰宅すると、私は布団を敷こうとした。ヒルマモチはそれをじっと見ている。

 「押し入れから敷布団を出して、敷いてから、今度は掛布団を掛けるのよ」

 なぜか、レクチャーしてしまったが、ヒルマモチは何度も頷いていた。

 --ご飯は教えなくても炊けるのに、布団は教えないと駄目なの?

 いろいろと不思議だが、とにかく明日は朝から取材に出かけなければならない。考えるのは明日にしよう。

 --凛子さんと達也くんにも相談しておいた方が良いかしら

 と、横になり目を瞑ったが、ヒルマモチも隣に入って来る。

 --まあ、良いか

 どうも、ヒルマモチと会ってから物事を深く考えなくなっている気がする。ものすごい体験をしているはずなのに。

 --これは完全に、取り憑かれているという事か

 その事に、はっと気づく。

 --明日起きた時に居なくなってないなら、やっぱりできるだけ早く、凛子さんに相談しよう。

 そう思いながらも、ヒルマモチのことに思いは傾く。

 --それにしても『ヒルマモチ』か…… 呼びにくいな。『さほ』だっけか、人間だったころは。凛子さんそう言ってたよな。

 頭の中でいろいろと考えが巡る。

 --『さほ』…… 私が早苗だから…… 早穂。そっか『早穂』だ。

 そこまで考えた時に、私は意識を手放してしまった。


 早穂は穏やかな寝息をすでに立てていた。

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