ガーゴイルの王子様

石田空

真実の涙で呪いは解けるらしい……が

 昔々。

 とある国にはそれはそれは美しい王子様がいました。

 王子様の髪は黄昏色。王子様の瞳は夕焼け色。誰も彼もが夢中になったのですが、それがよりによって、とんでもないひとに目を付けられてしまったのです。


「キャアアアアアアア…………!!」


 城で働いていた掃除婦は悲鳴を上げました。慌ててやってきた兵士たちは、それはそれは衝撃的な顔をしたのです。

 そこに立っていたのは、上半身は悪魔。下半身はドラゴン。どこからどう見てもガーゴイルでした。その前に平然と立っているのは、ちょうどこの城で最近働きはじめた宮廷魔女でした。


「どうしてガーゴイルが!?」

「国王、これは王子ですわ」

「なんですと!?」

「可哀想な王子。人の求愛を無下に扱ったために、とうとう呪いをかけられてしまったのです。この呪いは愛を知らない王子では解けないかもしれませんわね」


 王子はすっかりと醜くなってしまった鉤爪の伸びた前足を見ました。長い指の生えた手はもう見えません。

 宮廷魔女は告げます。


「愛し愛される人のために涙を流すこと……これで呪いは解けますが。王子は本気で人を愛したことがありますか? そして王子の見た目だけを愛した方は多かれど、王子を心から愛した方はおられますか? あなたの婚約者はあなたに愛されないことに疲れ果て、私を雇って呪いをかけたのですよ。あなたは愛せますか?」


 王子は抗議の声を上げました。

 知らない、彼女の気持ちなんて。そもそも彼女はお茶をして話題を振ってもなにも話さない。観劇やポエムばかりに夢中になって、私のことなんて見向きもしなかったじゃないか。恋に恋する年頃の女性によくある話だったのですが、それが王子に不信感を抱かかせ、婚約者もまた王子の癇癪でどんどん疲弊していったという、呪いさえなければよくある男女のすれ違いだったのですが、一国の王子に呪いをかけたことで冗談では済まなくなってしまいました。

 彼が声を上げても、それは毒の息が出るばかり。宮廷魔女が塞き止めなければ、その息吹はたちまち城内の人々を毒殺してしまっていたでしょう。

 結果として、かつては美しかった王子は、森の中に軟禁されることとなりました。

 一国の美しい王子が呪いを受けてガーゴイルに変えられてしまった。本当のことを言ってしまえばたちまち国は蔑まれ、立ちゆかなくなってしまいます。結局は王子の存在自体をなかったことにするしか、対処方法はなかったのです。

 国王も息子の呪いをなんとか解こうと、王子の婚約者を細々と募集しました。まだ王子にかけられた呪いのことを知らない年若い娘たちが、心をときめかせて森に入りましたが、そこで待ち構えていたガーゴイルを見て悲鳴を上げ、結果としてひとり、またひとりと毒の息吹を受けて死んでしまいました。

 これだけ年若い娘たちが死に絶えてしまっては、もう王子は人の心を失ってしまったとしか思えません。王子のことは諦めよう。最初は息子可愛さに我慢していた国王も、とうとう王子のことを忘れるしかできなかったのです。


****


 気付けば王子は自分が人間だった頃より、ガーゴイルだったときのほうが長くなってしまいました。

 彼の祖国はとっくの昔に滅び、彼の住まう森は神代の森と称されるようになり、誰ひとりとして入ることがなくなってしまいました。

 王子は息を吐けば毒しか出せず、羽を羽ばたたかせば森が割れ、嘶けば鳥が逃げ出します。ガーゴイルは年を取ることがなく、夜には目が冴えて眠ることがなく、ときおりガーゴイル退治にやってくる冒険者たちを威嚇して追い払うことくらいしかやることがなくなっていました。


(誰か僕を殺してほしい)


 なにも食べていないのに死なないのは呪いでしょうか。

 全く眠れていないのに頭が冴えているのはガーゴイルだからでしょうか。

 人の心はどんどん削れていくというのに、それでもなお王子は死ぬことができませんでした。

 そんな中、王子は本当に久々に人の匂いがすることに気付きました。


(冒険者か……しかし変な匂いだ)


 またガーゴイル退治に訪れたのかと思いましたが、それにしては金属の匂いがちっともしない侵入者に訝しがりました。

 やがてやってきたのは、黒い毛玉のような女でした。

 ボロボロの雑巾のような布で頭から下までをすっぽりと覆い、長い髪で前髪から下を垂らしている女でした。そして彼女からは王子が仰け反りそうなほどに薬草の匂いがしたのです。


「ああ、いましたわ! ガーゴイル!」

【誰だ貴様は、立ち去れ】

「ごめんなさいね! あなたを退治に来たんではないんです! ガーゴイルの涙は、万能薬の材料になりますの! あなたの涙をいただきに来ましたのよ?」


 彼女は溌剌とした声で、ガーゴイルを怖がることもなく話しかけるので、王子は少しだけ仰け反りました。

 顔が全く見えない女ですが、口元だけはにこにこと屈託なく笑っています。


【僕がおそろしくないのか?】

「ごめんなさいね、わたくし結構長生きしておりまして、ちょっとやそっとのことでは怖いことなんてありませんの。それでは、涙をくださりませんか?」

【僕は今まで眠ったこともなければ涙を流したこともない】

「まあ……困りましたわねえ。あなたはどうすれば涙が出ますの?」


 王子が威嚇しても、彼女はちっとも怖がる気配がありません。

 そもそも愛し愛される相手のためを思って涙を流せたら、王子も呪いが解けたのです。王子は婚約者の理不尽のため、自分の見目だけを当てにする女性たちのため、すっかりと人間不審になっていたため、この侵入者の女のことだっていまいち信用できませんでした。


【そんなのは知らない。せいぜい貴様が励め】

「困りましたわねえ」


 あまり困ってなさそうな声を上げたのでした。


****


 女の正体は魔女でした。

 王子が彼女が森の拓けた部分になにかを植えているのを見ていたら、そこにせっせと水をかけて草を生やしはじめたのです。

 草はニョキニョキと伸び、綺麗な花を咲かせたのを、彼女は一生懸命刈り取って、持ってきた鉢の中に入れると一生懸命すりこぎます。


【なにをしているんだ?】

「ご機嫌よう、ガーゴイルさん! あなたに涙を流してもらえるよう、薬をつくっていましたの。目薬ですよ。わたくし、これでも評判の魔法医だったんですのよ!」


 そう言いながら王子に出来上がった目薬……と言うには禍々しい水薬を差し出すと「これを目に落としてよろしいですか?」と尋ねてきます。王子は渋い顔をしつつ【好きにしろ】と言いました。

 彼女にポタンと目薬を落とされると、じわじわと目に痛みが走ります。


【イダダダダダダダダダダ!】

「まあ! 涙流れませんの!?」

【無茶なことを言うな!】


 結局涙は出ませんでした。

 それからも、魔女はいろんな薬をつくります。

 臭いにおいの薬草を刻んで涙を流させようとしたり、都会の料理をつくってからさで涙を流させようとしたり。

 王子はいちいちツッコんでいましたし、最初はなんて女だと憤慨しましたが、ひとつ気付いたことがあります。

 この図々しい魔女、ちっともガーゴイルの自分を怖がらない上、ずっと前髪から見える口元が笑っているということに。


【貴様はどうして僕を怖がらないんだ】

「どうしてですか?」

【ここにやってきた冒険者は、僕が全員撃退した。冒険者が来る前の国からは僕の呪いを解くために女たちが送られてきたが、皆僕が殺した。僕はおそろしくないのか?】

「あらあらあら? でもそれって」


 魔女は不思議そうに王子を見上げます。

 いつも薬草の匂いが漂っていますが、彼女は決して人を馬鹿にする言動はしないのです。


「あなたが嫌がることをする人を追い出すのは当然ではないのですか? ここは静かな場所で、とやかく言う人は誰もいません。素晴らしいことじゃないですか」


 王子はパチンと魔女を見下ろしました。

 なにを考えているかわからない女ですが、彼女の言葉には嘘がないように思えたのでした。王子は今まで、見た目で勝手に好かれたり、勝手に怖がられたりするだけで、彼が嫌がる嫌がらないで考えてくれた人は誰もいなかったのです。

 ふわふわした気持ちが湧いてきましたが、彼はその気持ちを閉じ込めました。

 彼女は薬の材料を採りに来ただけ。薬の材料が手に入ったらいなくなってしまうでしょう。

 だから彼女のことを思って泣くことだけは、なんとしても避けねばならぬことでした。


****


「ガーゴイルさん。涙をください」

【そもそも貴様はいったいいつまでここにいるんだ。いい加減諦めろ】


 王子からしてみれば、彼女がいなくなったら諦めがつくのに、彼女はちっとも帰る気配がないのです。

 気付いたら国が滅び、冒険者もいなくなり、魔女だけが自分に付きまとっている。

 彼女もいずれいなくなるのに、愛しても仕方ないと、王子は必死で彼女を追い出そうとしましたが、彼女は元々ガーゴイルをちっとも怖がっていないので、これ以上怖がらせようとしても、応じてくれないのです。


【そもそも貴様はいったいなんの薬をつくろうとしているんだ!?】

「解呪薬ですのよ」

【解呪?】

「はい。わたくし呪いがかけられていますから、その呪いを解くために、ここまでやってきましたの。もう今のご時世、ガーゴイルなんて見つかりませんから。神代の森まで来て、やっと見つけましたのよ。だからあなたが泣いてくださらなかったら、わたくしはまたひとりぼっちになってしまいますの」

【……なんの呪いをかけられているんだ?】

「ところでガーゴイルさん。ご存じでしたか? わたくし、この森に越してきてから、かれこれ十年経っていますの。わたくし、ちっとも年を取っていませんわね?」


 そこで王子はようやく彼女にかけられた呪いに気付きました。

 魔女はニコニコと笑います。


「わたくし、不老不死の呪いをかけられてしまい、最初は年を取らないからと可愛がられていても、同じ場所にはずっとはいられませんでした。年を取らないことで気味悪がられて、最終的にはどこからも石を投げられますもの。たくさん解呪の本を読みまして、あちこちの遺跡を回りまして、ようやくガーゴイルの涙に当たりましたの」


 魔女は王子の首元にすりつきました。


「わたくし、もう居場所なんてどこにもありません。この森で生涯を終えますから」

【……勝手なことを言うなよ】


 今まで王子はこんな言葉を吐き出すことはありませんでした。


【僕を置いていく癖に】

「ガーゴイルさん?」

【僕はもう国もない! 家族もいない! 愛してくれる人だって会ったことがない! 君までいなくなってしまったら、僕はどうしたらいいのかわからない!】

「待って、ガーゴイルさん」


 王子はポロポロと涙を溢したのです。

 驚いた魔女は、日頃持っている壺を差し出して、涙を受け止めることすらできませんでした。王子は泣きます。


「僕はずっと生きてて、生き続けて、君まで看取らないといけないとなったら、どうしたらいいんだ……! 僕を愛してくれる人なんていないのに!」

「待って、あなたも呪われていましたのね?」


 気付けば、ずっと見下ろしていたはずの魔女は目の前にいました。

 声は人の声。見た目は人の姿。彼は美しい王子に戻っていたのです。魔女はちゃっかりと小さな瓶にガーゴイルの涙を溜めていました。


「わたくし、おかげで無事呪いが解けそうですわ。あなたも呪いが解けましたし、これからわたくしと積もったお話をしませんか?」


 魔女はにっこりと笑いました。

 本当に久々に人間に戻った王子は、体が火照るのを感じました。

 彼は生まれてこの方、愛しいと思ったことがなく、これが初恋だとようやく気が付いたのです。


<了>

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ガーゴイルの王子様 石田空 @soraisida

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