「役立たず」とクビになった僕のデバッグツールが、ダンジョン化した世界で唯一のチートスキルだった件 ~元同僚を尻目に、Sランク美少女パーティーと最速攻略はじめます~

Ruka

第1話

「だから、君は役立たずなんだよ、田中君」


冷え切った会議室に、鈴木部長の苛立った声が響き渡った。テーブルに叩きつけられた資料の束が、虚しく音を立てる。


「君がこの三ヶ月、一体何をしていたか説明できるかね?他の連中が必死にクライアントの要求に応えてる間、君はずっとよくわからないツール作りに没頭していただろう。結果はなんだ?プロジェクトの進捗はゼロ。君は給料泥棒だ」


田中健司は、固く握りしめた拳が白くなるのを感じながら、俯いていた。反論の言葉は喉まで出かかっている。


あれは、ただのツールじゃない。複雑化しきったプロジェクトのソースコードに潜む無数のバグを効率的に発見し、修正するための『デバッグツール』だ。短期的な成果には繋がらなくても、これが完成すれば長期的には全体の作業効率が飛躍的に向上する。今の場当たり的な修正を繰り返すだけの開発体制こそが、いずれ破綻する巨大なバグなのだと、健司は確信していた。


だが、その正論を鈴木部長にぶつけたところで、火に油を注ぐだけだろう。「俺の言う通りにしろ」が口癖のこの男には、目先の利益しか見えていない。


「……申し訳、ありません」


絞り出した声は、自分でも情けないほどにか細かった。鈴木部長は満足げに鼻を鳴らし、一枚の紙を健司の前に滑らせる。


「まあ、そういうことだから。これは会社からの決定だ。明日から来なくていい」


『解雇通知』。その四文字が、健司の視界でじわりと滲んだ。


荷物をまとめる間、同僚たちの視線が痛いほどに突き刺さる。憐れみ、嘲笑、無関心。誰も、健司が作っていたツールの価値を理解しようとはしなかった。ただ、「成果を出せない役立たず」が消える。それだけのことだった。


逃げるように会社を飛び出し、くたびれたアパートの一室に転がり込む。コンビニで買った缶ビールを呷るが、砂を噛むように味気ない。パソコンのモニターには、作りかけのデバッグツールのソースコードが映し出されていた。何万行にも及ぶ、自分だけの傑作。そして、社会からはゴミだと断じられた存在。


「何やってたんだろうな、俺……」


虚しさと悔しさがごちゃ混ぜになった感情がこみ上げ、健司はそのまま意識を手放すように眠りに落ちた。


翌朝、健司を現実に引き戻したのは、けたたましく鳴り響くスマートフォンの緊急速報アラートだった。だが、画面に表示されたテキストは意味不明な文字列の羅列で、まるで文字化けしているかのようだ。


その直後、世界がぐにゃりと歪んだ。


立っていられないほどの眩暈と共に、視界の端に青白い光が明滅する。何が起きているのか理解が追いつかない。パニックに陥る健司の目の前に、突如として半透明のウィンドウがポップアップした。


【システムメッセージ:ワールドOSのアップデートが完了しました。'新世界プロトコル'へようこそ】


「……は?」


夢の続きか?あるいは、昨日のショックでついに頭がおかしくなったのか。混乱する健司を無視して、ウィンドウは次々と表示を切り替えていく。


【個人ステータスを生成します】


名前:田中 健司

レベル:1

HP: 10/10

MP: 5/5

スキル:【ワールド・デバッガー】(ユニーク)


まるでゲームのキャラクター作成画面だ。ステータスという言葉も、スキルという言葉も、元SEの健司には馴染み深い。だが、これが現実だというのか?


健司は、唯一与えられたスキル、【ワールド・デバッガー】という文字に意識を集中した。すると、詳細な説明文がウィンドウに表示される。


【ワールド・デバッガー】:世界の'ソースコード'を知覚・解析する能力。オブジェクト、人物、現象のデバッグ情報を表示することができる。


「……デバッグ?」


昨日まで自分が作り、そしてそのせいで職を失った、因縁の言葉。まさか。健司は半信-疑のまま、目の前の安物のローテーブルに視線を向けた。


【オブジェクト:ローテーブル】

耐久度:15/20

構造的欠陥:左前脚に2mmの亀裂。20kg以上の荷重がかかった場合、87%の確率で崩壊。


「……うそだろ」


声が震える。ごくりと唾を飲み込み、おそるおそる窓の外に目を向けた。見慣れたはずの公園に、黒く渦巻く異質なゲートのようなものがそびえ立っている。


【現象:ダンジョン - 'ゴブリンの最初の巣窟'】

推奨レベル:1 - 5

攻略情報(デバッグデータ)を表示しますか? (Y/N)


ダンジョン。ファンタジー小説やゲームでしか見たことのない存在が、そこにあった。世界は本当に、ゲームに作り変えられてしまったのだ。誰もが混乱し、怯えるであろうこの状況で、健司の胸に宿ったのは、不思議なほどの冷静さと、ある種の確信だった。


彼には見える。この世界の「バグ」が。この世界の「攻略法」が。


健司は、震える指で空中に浮かぶウィンドウの『Y』を選択した。


瞬間、視界が膨大な情報で埋め尽くされる。ダンジョンの完璧なマップ構造、全てのモンスターの配置と弱点属性、隠された宝箱の位置と中身、最も効率的な攻略ルート……。


昨日まで会社という閉じた世界で「役立たず」と罵られた男は、今、誰よりも正確にこの新しい世界のルールを理解していた。


「役立たず、か……」


自嘲気味に呟いた健司の口元には、いつしか笑みが浮かんでいた。それは絶望の淵から這い上がった者の、不敵な笑みだった。


「面白いじゃないか。見せてやるよ。本当の'バグ'がどっちだったのかを」


世界からデリートされたはずの男の、壮大なデバッグが、今、始まろうとしていた。

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