新しいに取り残されて

乃以

 あの人が薄れてきてしまった。あんなにも愛おしくて大切で無くしたくないから宝箱に閉じ込めていたのに。何が悪かったんだろうか。あの人を怒らせてしまったからかもしれない。あの人を孤独にさせてしまったからかもしれない。こんなに考えても分からない。ああ、こんな時はスーポーにでも行って新しい気分にしなきゃ耐えられない。自動ドアをくぐって暖房の効いた店内に入ると新しい匂いに感動する。このお店にある商品は新しい物しかない。生鮮食品のコーナーは格別で香りを楽しんでいると自分の年齢を忘れて興奮してしまう。この若い感覚を覚えるたびに、老いた自分を忘れることが出来る。


 私は過去の自分から逃げることが出来ない。この理由は分かっている。今から五十年前、私が二十歳だった時の事だった。当時付き合っていた恋人が突然、死んでしまった。私にとって初めての恋人で今となっても忘れる事の出来ない最愛の人。当時の様に若く、新しいままでいないといけない。あの人が居なくなってから老いる事や古い物を受け入れることが出来なくなった。もし、受け入れてしまったら、私の中からあの人が薄れていく様な気がする。そんな事はあってはならない。私はあの人のためにもを摂取し続けないといけない。


 存分にを堪能したので店を出ようと自動ドアを通ろうとすると、清掃をしている老婆が居た。この存在は全てが。老婆も老婆が身に着けている物も老婆がかき集めている埃やゴミも。その老婆から逃げるように走り、スーポーの裏手へと急ぐ。幸い、周囲に人が居ないので醜態を晒す事も無くて良かった。暴れている胃の衝動に従って嘔吐する。すぐに足元が吐瀉物に塗れる。あの一瞬、嗅いでしまった老婆のの味がする。早くこの身体から消さないと私が古くなってしまう。急げ急げ急げ。握りこぶしで思いきり胃を殴りつける。全てを吐き出して楽になると、今度は今すぐに宝物と触れ合いたい衝動に駆られる。老体に鞭を打って駆けて家に飛び込む。靴を脱ぐことも忘れて宝物に飛びつく。


 あの人の首の皮膚がしみ込んでいる縄。


 この五十年ずっと我慢してきたけど、もう耐えられない。あの人を想いながらをしゃぶり尽くしていく。私は自分のを保てなくなった。

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新しいに取り残されて 乃以 @noinonoi

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