第2章 第13話 迫り来る討伐軍と街の備え

 灰雨が止んでから初めて、空に薄い雲が広がった朝。

 アーデの街に伝令が駆け込んだ。


「王都軍だ! 百を超える部隊が渓谷を越えてこっちへ向かってる!」


 市場が凍りつき、子どもが母親の裾にすがる。

 鍛冶屋の親方が槌を握りしめ、商人たちが慌ただしく荷をまとめる。

 人々の瞳に広がるのは恐怖。だが、その奥には確かな決意も宿っていた。


 薬房に集まった仲間たち。

 バルドが剣を磨きながら低く言う。

「百か……この街の大人全員が立ち上がっても数は足りん」


 セリスは羊皮紙を広げ、街の地図を示した。

「でも、街道は一本だけ。渓谷を抜ければ狭い峠に入る。ここを抑えれば軍の数を活かせない」


 私は静かに頷き、薬袋に視線を落とした。

「兵を倒す薬は作らない。けれど――戦わずして動けなくする薬なら、調合できる」


 私は机に材料を並べる。

 煤草の根、灰笠茸、薄青石の粉……。

 それらを合わせて湯気を立て、毒を反転させる。


「これは《眠り霧》よ。吸えば数刻は動けなくなる。ただし致死性はない」


 セリスの目が輝く。

「それなら街を守れる! 血を流さずに!」


 バルドが笑い、短く頷いた。

「よし、峠に仕掛けてやろう。俺たちの街を守るために」


 ルゥが「きゅ」と鳴き、瓶を尻尾で叩いた。


 夕刻。

 広場に人々が集まった。

 親方が前に出て声を張り上げる。


「王都は俺たちの薬師を魔女と呼んで討ちに来る! だが俺は言う。魔女じゃない、“俺たちの救い手”だ!」


 サラ院長が子どもたちを抱き寄せる。

「守りたいの。夜泣きが止まったこの子たちの笑顔を!」


 農夫が鍬を掲げ、商人が荷車を押し、老人が古い弓を持ち出す。

 アーデの人々は怯えながらも、一人残らず立ち上がっていた。


 私は壇上に立ち、皆を見渡した。

 心臓が早鐘のように打つ。

 けれど、その熱を押し出すように声を上げた。


「私は王都にとって魔女かもしれない。

 でも――あなたたちを救った事実は消せない!

 毒を薬に変えるように、恐怖を希望に変える。それが薬師の手順!」


 広場に歓声が響いた。


 その夜。

 バルドと私は峠へ向かい、セリスと人々は街に残って備えた。

 月明かりの下、風が冷たい。


「明日、王都軍がここを通る」

 バルドが剣を構える。

「だが俺たちには薬がある。剣よりも強い薬が」


 私は瓶を握り、ルゥを抱き寄せた。

「必ず守る。この街も、人も」


 遠くに、軍勢の松明が揺れていた。


(第2章 第13話 完)

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