今はあなただけを

無趣味

第1話

ある日の放課後。

 赤く染まる西日の中、憧れていた先輩に呼び出された俺は、1つ年上の先輩の教室に来ていた。

教室には俺と先輩のふたりだけ。

ああ、これはもしかしたら。と少しだけ期待してしまう


先輩が口を開いた

「……好きです。私と付き合ってくれませんか?」

息が詰まった。

胸の鼓動が耳の奥まで響き、呼吸がうまくできない。

もしかして、とは思っていたがまさか本当に告白されるとは思わなかった。



頭の中が真っ白になり、言葉が喉で引っかかる。

やっと絞り出したのは震えた一言だけだった。

「……はい」

 

先輩は良かったぁ…と安堵の息を吐いた後、塾があるらしく、先に帰って行った。



胸の奥で世界が少しずつ塗り替えられていくような感覚がある

深く吸い込む空気が、少しだけ温かく感じられた。


その夜

この浮かれた気持ちを誰かに伝えたくて、自然と後輩に電話をかけた。

「なあ、聞いてくれよ。俺……告白されたんだ!」

「えっ……」

 電話の向こうで、息をのむ音が聞こえた。

 短い沈黙のあと

「すごいじゃないですか! おめでとうございます、先輩!」


「だろ? まだ夢みたいでさ」


「……ふふ、本当に良かったですね」

 電話口の声に、ぎこちなさを感じた。

 けれど俺は気にも留めず、浮かれた気持ちをぶつけることに夢中だった。


その通話を切ったあと、後輩がどれほど心を乱していたのか、その時の俺には分かっていなかった。


数週間が過ぎた頃。

あの夜通話をしてから一度も会ってない後輩から一通のメッセージが届いた。

《返さなきゃいけないものがあるんです。家の鍵を空けておくのでうちに来てもらえますか?》

 返すもの……少し考えたが何も心当たりはない。

でも、何故か断ることが出来ず、俺は後輩の家を訪れた



玄関を開けて、後輩の部屋に足を踏み入れた瞬間、息が止まりそうになった。

カーテンは閉ざされ、薄暗く、空気は息苦しいほど静まり返っていた。


時計の針だけが異様に大きく響き、フローリングの床はわずかに冷たく、足を踏み出すたびにきしむ音が静寂に反響する。

立っていたのは、髪はぼさぼさで目の下には濃いくまを作った後輩だった


痩せた頬、少し肩を丸めて立つ姿。

いつもの明るくて元気な後輩の姿は、どこにもなかった。


後輩は俺の姿を見つけると、小さく肩を揺らして息を吐く。

手で髪をかき上げ、ぼさついた前髪を耳にかける仕草。


ゆっくりと胸の上下が動く。呼吸は浅く、時折鼻を鳴らして小さく息を吸い込む。


それだけで、普段は見せない不安定さが胸に刺さる。

「……ごめんなさい、急に呼びだしたりして」


「いや、別にいいけど。返すものって、何なんだ?心当たり無いんだけど…」



問いかけても、後輩は目をそらし、フローリングの床に足の指先で小さく線を描く。


呼吸は止まるように浅く、肩を揺らして息を整えようとしている。


しばらくの沈黙のあと、ようやく顔を上げ、掠れた声で問いかけた。

「……本当に、返して欲しいですか?」


「え? ああ……まあ、返してくれるなら」


そう答えた瞬間、後輩は一歩踏み出し、俺の胸に手を置いて、押してきた


軽く押されただけなのに、俺は驚いて床に倒れ込む。

後輩はしゃがみ込んで俺を見下ろすと、指先で俺の腕を軽く握る。


目線を外さず、少し唇を噛む仕草。


息を整えるように鼻から小さく息を吸い込み、吐く。


肩をゆっくり上下させ、胸の震えが指先まで伝わる。

「じゃあ……返しますね。私の初恋を」

「……なに、言って……」

 瞳は赤く濡れ、泣き笑いのように揺れていた。



小さく肩を震わせ、体を少し前に寄せる。


胸の上下が小さく震え、呼吸が途切れ途切れになる。


「覚えてますか? 私が入学式で、右も左も分からずオロオロしていた私に、先輩が声をかけてくれたこと。

 人と話すのが苦手だった私に、毎日おはようって言って、話しかけてきてくれたこと。

勇気を出して作ったお菓子を、“美味しい”って笑って食べてくれたこと。

全部……私にとっては宝物でした」


声は震えていた。


俺の腕を握る力が強くなる


ゆっくり息を吸い込み、肩の震えに合わせて吐く。

俺はただ黙って後輩の言葉を聞くことしかなかった。


「でも……あの夜、先輩が電話で“告白されたんだ”って嬉しそうに話してくれた時。


私、笑って祝福しましたけど……通話を切った瞬間、もう我慢できなくて。声が枯れるまで、泣きました」


胸が締めつけられる。



「ごめん」としか、俺は言えなかった。


後輩は首を小さく振り、かすかに微笑む。

頬を両手で軽く押さえ、涙を拭う仕草をしながら、肩を上下させ呼吸を整える。

「分かりますか? 私の初恋。私の今までの努力を、頑張ってきた行動全部を……先輩は無かったことにしたんですよ」


 その声は優しいのに、刃のように胸に突き刺さる。


 何度も繰り返す。

「……ごめん……本当に、ごめん」


後輩はじっと俺を見つめ、小さく息を吐き、濡れた瞳で囁く。

「もし……本当に謝りたいと思ってるなら」


言葉を切り、視線をそらさずに俺を見つめる。

胸の震えが小さな吐息となって空気を揺らす。


「……行動で示してください」


「……行動で?」


「はい。」


「今だけは……貴方を私の物にさせてください。きっとそれだけで、私は満足しますから……」


切実な声。甘く、苦しく、胸を押さえつけられるような響き。

小さく肩を揺らし、手は膝の上で震えている。呼吸の途切れが、胸の奥まで伝わる。

俺はどう返せば良いのか分からず、彼女のその吸い寄せられるような瞳を見つめていたのだった。

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