5 そして龍

 それは三階建てのビルくらいの大きさはありそうな、巨大な水晶だった。


 そしてその中には、黒い龍がいた。


 ――はあ?


 龍。ドラゴン。


 龍は架空の生き物で、現実に存在するわけがなくて。


 混乱している。さっきまで見てきた海洋生物も有り得ない特徴を多く持っていた。龍くらいいるかもしれない。いるか? わけが分からない。


 ――氷ってる?


 氷ってるという表現が適切かは分からないが、龍は水晶の中にいて身動ぎもしない。こんなものが襲ってきたら巨大イカ以上にどうしようもないから助かるけれど。


 そろりとその場を後にしようとした時、上の方から青白い光がゆっくりと降りてきた。


「しつっこいなあ!」


 件のダイオウホウズキイカが恵麻を追ってここまで来た。


「ダイオウホウズキイカってそんな獲物をしつこく追いかける奴じゃないでしょ!」


 どちらかというと受動的で、魚一匹で二〇〇日と生きていられる省エネな生き物だと聞いたことがある。本来の性質とは真逆の行動を取っているのは、ゆうの命令を聞いているからなのか、そもそも見た目が似ているだけで根本的に別の存在なのか、両方か。


 後ろを塞がれた恵麻は前方に駆け出す。前にも黒い龍がいて近寄りたくはないけど、選んでいる自由などない。


 触手が恵麻に向かって伸びる。


「あぶなっ!」


 ギリギリのところで伏せて、風圧が頭の僅か上を通り過ぎる。その勢いのまま、ダイオウホウズキイカの触手についた鉤爪が龍の入っている水晶に激突した。


「あっ」


 轟音を立てて水晶が倒れていく。


 何も遮るものはなく、水晶はそのまま地面に落ち、砕けた。


 中に入っていた黒龍の姿が露わになる。ゴツゴツとした鱗、深紅の翼、それだけでダイオウホウズキイカの全長ほどはありそうな長い尾。


 しかし龍は倒れたまま動かない。


 ――死んでる?


 恵麻は騒ぎの隙に物陰に隠れつつ様子を窺う。イカだけでもどうしようもないのに、龍まで暴れ出したら生きて帰れる気がしない。


 その時、龍の翼が揺らいだ。パチリと金色の瞳が開く。


「ヤバ……」


 龍がゆっくりと首を上げ、そして咆吼した。


「グオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!」


「……っ!」


 その衝撃に思わず耳を塞ぐ。音による衝撃波だけで身体ごと吹き飛ばされてしまいそうだ。


 やがてこの世の終わりを告げるような咆吼が止む。耳を塞いだ手を外してもキーンとしていて、何も聞こえない。


 龍は目の前を揺らいでいるダイオウホウズキイカにちらりと視線を向けると、尻尾を振って弾き飛ばした。そこまで力を込めているようには見えない。蠅を払うような軽い動作で、しかしダイオウホウズキイカは見えなくなるまで吹き飛んでしまった。


 ――滅茶苦茶だ。


 映画でもありえないような非現実的な光景。夢なら早く醒めて欲しい。しかし全身に走る鈍い痛みが、今がまさに現実であることを恵麻に教えてくれる。


 龍はゆっくりと身体を曲げる。


 そしてこちらを見た。


 金色の瞳がはっきりと恵麻を捉えている。


「あ……あ……」


 逃げなきゃ。早く逃げるんだ。


 何度も頭の中で何度もそう唱えるが、身体が金縛りにあったように動かない。


 龍がゆったりとした、恵麻にとっては致命的な動作でこちらに一歩を踏み出した。


 途端に、地面が激しく揺れだした。


 初めは龍の歩みで大地が揺れたのかと思った。しかしそうではなかった。龍の二歩目とは関係なく、揺れは止まらなかった。


「じ、地震……!?」


 恵麻も何度かは地震による揺れを体験したことはあるけれど、それとは比較にならないほどの大きな揺れだ。


 龍もどこか困惑したように周囲を見回している。


 激しい。激し過ぎる。


 まるでこの世界そのものが壊れようとしているかのような――


「うわっ!?」


 深海世界を真っ二つに裂くような地割れが起きた。地面だけではない、よく見ると空もまたひび割れてボロボロと砕け落ちている。


 もう何度目かの早く逃げろ! という信号が脳を走るが、前後左右どこに行けばいいのかまるで分からず、結局その場に座り込んでいることしか出来ない。


 ついに恵麻のいる地面が割れた。


「あああああああああああああああああああ!」


 砂地を転げ落ちるのとは違う、ただ真っ直ぐに落ちていく。


 どこまでもどこまでも、奈落の底まで落ちていく。


 その時、黒龍がその翼を羽ばたかせこちらに向かって飛んでくるのが見えた。


 恵麻は中空でもがくがどうにもならない。


 黒龍の腕が恵麻を掴み、そして恵麻はそのまま気を失った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る