第27話 レッドボアの豚汁(しし汁)

 陽が落ちた森の中、焚き火の赤い光がゆらゆらと揺れている。夜は深くなり、虫の声が遠くに聞こえるだけ。

 俺たちはレッドボアを退治したあと、街道沿いの森中に小さく開けた場所を見つけた。そこで野営することにしたのだ。


 さっき倒したレッドボアは、すでに逆さ吊りにしてある。

 血抜きを終えた肉は、適度な弾力と美しい赤色を保っていた。


「ふぅ……シゲル、ほんとにすぐ血抜きするんだな」


 レイナが感心したようにつるされたレッドボアを見ていた。


「そうだな、血が残りすぎると臭みが出る。狩った直後が勝負なんだよ」

 

 レッドボアの肉は美味いんだが、他の肉より臭みが強い。だから下処理を手早く行わないと、せっかくの食材をダメにしてしまう。まあそれは他の獲物でも同じではあるが。


「ほぇぇ……勉強になります……」


 ロメリーは相変わらず感嘆したように見つめてくる。彼女は俺と行動してからは、仕事以外の事にも興味を持つようになった。というか、そうしようとしている感がある。

 おそらくは自分の中で何かを変えようとしているんだと思う。


 さて……はじめるか。


 ロメリーに火の準備をしてもらっているうちに、吊るされたレッドボアの肉を一部切り取った。

 その肉を用意した塩水に沈める。


 とぷんと、赤みがかった水面が揺れる。


「塩水に浸けるの?」とレイナが覗き込んできた。


「ああ。さらに余分な血を抜きつつ、塩が肉を引き締めてくれる。このひと手間が味の差になる」


「そうなんだ……野外の料理なのに、ここまでしっかりするのね」


 レイナは戦いになると怖いくらい強くて凛々しいが、今はぽかんとした顔で肉を見つめてる。

 このギャップ、けっこう好きだ。


 さて、下処理が終わったら次は調理だ。


 焚き火の上に深めの鍋を置くと、火の熱がじゅうっと底に伝わる音がした。

 俺は、ごぼう、にんじん、大根といった根菜を手際よく切って鍋に入れていく。


「ふあ……包丁の動きほとんど見えない、相変わらずすごいですね」

「シゲルって、包丁の扱いが戦いの時と同じよね。迷いが一切ないっていうかしら」


 ロメリーが目を輝かせて、レイナが呆れたように笑う。


「食材狩るのも、調理するのも同じだからな」


「……なんかその言葉、シゲルにしか言えない気がするわ」


 レイナが頬をかく。

 ロメリーはうんうんと、なぜか神妙に頷いている。


 鍋に油を垂らすと、じゅっと心地よい音がした。

 そこへ切っておいたごぼう、にんじん、大根を入れる。


 じゅわぁぁ……


 香ばしい匂いが、夜気の中にふわりと広がる。


「うわ……もういい匂いね……」

「ほ、本当ですね……」


 レイナとロメリーがクンクンと鼻を近づける。


 俺は鍋をゆっくり揺らす。

 根菜がきらりと油をまとい、焚き火の光を反射した。


 そして、薄切りにしたレッドボアの肉を投入。


 ぱちぱちぱちっ!


 脂が弾け、肉の甘い香りが一気に立ち上った。


「あっ……なんか、普通の豚より甘い匂い……?」


 レイナが思わず前のめりになる。


「レッドボアはな、山を駆けて筋肉も脂もいいバランスでついてるんだ。クセさえ抜いてやれば、コクが深い肉なんだよ」

 

「コクが深い……(じゅるり)」


 レイナは俺の言葉を噛みしめるように繰り返す。


 ロメリーはというと……鼻先をくんっと動かし、恍惚とした顔になっていた。


「野外でこんな香り……反則です……(じゅるり)」


 よしよし、2人ともいつものじゅるりが出てきたぞ。

 作り手の俺としても盛り上がってくるぜ。


「美味しい豚汁を作るには、だし汁を入れる前に具材を炒める工程が大切なんだ。これにより具材の風味が油に移って、仕上がりに深みが出るからな」


「「はぅ……深みぃいい……(じゅるり)」」


 さらに2人のじゅるりが加速したところで……


 俺はだし汁を鍋に注ぐ。


 じゅっ~~!と鍋が満たされ湯気が立ちのぼる。

 ほんのり黄金色のだしが、具材にじんわり行き渡っていく。


「ここから煮込みだ。火は強すぎずじっくりな」


 レイナが焚き火に薪を丁寧に、一本ずつ足していく。

 ロメリーは自分の膝に両手を置き、じっと鍋を見つめている。


 湯気がふわりと優しく俺たちを包んだ。


「……温かいです」


 ロメリーがぽつりとつぶやく。


「ああ。寒い森の夜でも、湯気があれば人間は落ち着く」


「そういうものなのね?」


 レイナが不思議そうに言う。


 こんななにも無い場所だからこそ、普段から目にしているものを感じると安心感が芽生える。

 野営で美味そうな料理が出来上がって行く様は、心がワクワクするもんだからな。前世で言うところのキャンプ飯はテンションが上がると同じだな。


「よし、そろそろか」


 具材が柔らかくなり始めた頃、俺は味噌を少しずつ鍋に溶き入れる。


 ―――とろり。

 湯気の香りが、一段さらに深く変化した。


「……なんか風味がでてきたわ(じゅじゅり)」

「はぁはぁ……もう完成ですか(じゅじゅり)」


 レイナが目を見開き、ロメリーはもう手を合わせそうな勢いだ。


「まだ仕上げがあるぞ」


 俺は刻んだ葱と少量の生姜、そして粉山椒をぱらり。


 香りが弾けた。

 温かくて野性味があって、でも優しい湯気。

 森の夜にしみ込むような香り。


 レイナは息をのむ。

 ロメリーは目を潤ませている。


 ふたりとも、言葉を失って鍋を見つめていた。


「よし。―――豚汁(しし汁)、おまち!」


「で、できたのね! し、シゲル!(じゅじゅり~)」

「は、はやくよそいましょう! えっとうつわうつわ(じゅじゅり~)」


 よしよし、いいじゅるり具合だ。

 野外であつあつの豚汁だ。最高の顔を見せてもらおうじゃないか。







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