第17話 萌の演奏

私が鍵盤に触れる瞬間、全てが消えた。


音楽室のステージ。

私――佐伯萌は、キーボードの前に座っている。


客席を見る。満員だ。立ち見の人も、たくさんいる。


(たくさん来てくれた)


嬉しい。でも、緊張する。


客席を、ゆっくり見渡す。

知ってる顔が、たくさんある。

クラスメイト、先輩、後輩。


(悠斗、来てるかな)


探してしまう。

でも、すぐにやめる。


(探したら、泣きそうになる)


深呼吸。


部長が、マイクを持つ。

「最後の曲です。これは、キーボードの佐伯が中心となって作った曲です」


客席が、ざわつく。


「タイトルは、『届かない想い』です」



私は、キーボードに手を置く。

深呼吸。目を閉じる。


(この曲)


この曲は、悠斗への想いを込めた曲。

届かない想い。言えない言葉。諦めきれない気持ち。

全部、この曲に込めた。


指を、鍵盤に触れさせる。音が、響く。


最初は、ゆっくり。優しい音。静かな音。

でも、どこか切ない音。


最初は緊張していた。手が、震えていた。

でも、弾いているうちに。客席も。緊張も。悠斗のことも。

全部、消えていく。


ただ、音楽だけ。

私と、鍵盤だけ。



指が、速く動く。

音が、変わる。激しくなる。想いが、溢れてくる。


(悠斗)

(好きだよ)

(ずっと、ずっと好きだった)

(でも、届かない)

(私の想いは、届かない)


涙が、出そうになる。

でも、こらえる。


(今は、泣かない)

(今は、弾くだけ)


曲が、盛り上がっていく。

ギターが入る。ベースが入る。ドラムが入る。

全ての音が、重なる。


でも、私は自分のパートに集中する。

指が、鍵盤の上を滑る。

速く、速く。想いを、音に乗せる。



クライマックス。


全ての音が、一つになる。

私も、全力で弾く。


指が、痛い。

でも、止まらない。止められない。


(この想い)

(全部、音にする)


最後の一音。


指が、鍵盤を叩く。音が、響く。

それから――静寂。全ての音が、消える。


私は、目を閉じたまま。鍵盤に、手を置いたまま。

息が、切れている。心臓が、バクバクしている。


(終わった)


ゆっくりと、目を開ける。



客席が、シーンとしている。何秒か。


それから――拍手。大きな拍手。


「すごい!」

「感動した!」

「泣ける!」


客席が、ざわつく。


私は、深呼吸する。

お辞儀をする。メンバーも、お辞儀をする。

拍手が、鳴り止まない。


(伝わった)

(私の想い、少しは伝わったかな)


客席を、見る。

一番後ろ。そこに――悠斗がいた。


拍手をしている。真剣な顔で、私を見ている。

目が、合う。心臓が、跳ねる。


(悠斗…)

(来てくれたんだ)


嬉しい。すごく、嬉しい。


でも。


(これで、終わり)

(私の気持ちは、伝わらなかった)


すぐに、目を逸らす。

お辞儀をする。

それから、ステージを降りる。



照明が、明るくなる。

客が、音楽室を出て行く。


私は、楽器の片付けをしている。

キーボードを、ケースにしまう。ケーブルを、巻く。


手が、震えている。


(悠斗、来てくれた)

(でも、それだけ)

(演奏を聴いてくれただけ)


胸が、痛い。


部長が話しかけてくる。

「萌、良かったよ」

「ありがとうございます」


「あの曲、すごく良かった。誰かに想いを伝える曲だよね」


私は、少し照れる。

「まぁ…そんな感じです」


「伝わったと思うよ」


部長は優しく笑う。

私は、何も言えない。


(伝わってない)

(きっと、伝わってない)



片付けが終わる。

メンバーが、音楽室を出て行く。


「萌、お疲れ!」

「また明日ね」

「うん、お疲れ様」


私は、最後に音楽室を出る。


廊下に出る。

人が、まだたくさんいる。

文化祭は、まだ続いている。


私は、どこに行こうか迷う。


彩を探そうかな。

でも、彩は今、クラスの出し物の手伝いをしているはず。


(一人で、帰ろうかな)


疲れた。

心も、体も。



その時。


「萌」


後ろから、声が聞こえる。振り返る。


悠斗だ。音楽室の扉の横に、立っている。


(待ってた…?)


心臓が、バクバクする。


「悠斗…」


悠斗が、近づいてくる。

「演奏、すごく良かった」


私は、少し照れる。

「ありがと」


沈黙。


悠斗が、何か言いたそうな顔をしている。

でも、言葉が出てこないみたい。


私は、待つ。


(何を言うんだろう)

(もしかして…)


期待してしまう。

でも、すぐに打ち消す。


(期待しちゃダメ)


悠斗が、深呼吸する。

「萌、ちょっと話せる?」


その言葉。心臓が、跳ねる。


(話?)

(何を?)


少し迷う。

また期待して、また裏切られたら――それは、辛い。


でも。


(話を聞きたい)

(悠斗が、何を言いたいのか)


小さく、頷く。

「…うん」



【視点切り替え:悠斗】


俺は、萌を屋上に連れて行こうとする。


廊下を、並んで歩く。

萌の浴衣姿。髪が、少し乱れている。

疲れた顔。でも、満足そうな顔。

演奏を終えた後の、充実感。それが、顔に出ている。


俺は、何度も深呼吸する。

手のひらに、汗をかく。


(今度こそ)

(今度こそ、伝える)


心臓が、バクバクする。


階段を上る。

屋上への扉が見えてくる。


俺は、扉を開ける。



屋上。


夕日が、沈みかけている。

空が、オレンジ色。風が、吹いている。涼しい風。


萌が、屋上に出る。髪が、風に揺れる。


「ここで話すの?」

「うん」


萌は、柵に寄りかかる。街を見下ろす。

俺も、隣に立つ。


沈黙。風の音だけが、聞こえる。


俺は、萌を見る。横顔。夕日に照らされている。綺麗だ。


俺は、深呼吸する。


(言わなきゃ)

(好きだって)

(ちゃんと)


「萌」


萌が、俺の方を向く。

「ん?」


「さっきの曲、『届かない想い』」


萌の顔が、少し硬くなる。

「…うん」


「あれって…」


俺は、言葉を探す。

「俺への、想いだよな」



萌の目が、大きく見開かれる。顔が、赤くなる。

「え…なんで…」


「聴いてて、分かった」


俺は続ける。

「切ない音で。届かない想いを歌ってる音で」

「それが、俺への想いだって」


萌は、俯く。

「…バレてた?」

「うん」


萌は、何も言えない。ただ、俯いている。


俺は、萌を見る。

「萌、俺…」


(言わなきゃ)

(好きだって)


心臓が、バクバクする。手が、震える。


でも。


(今度こそ)


深呼吸する。

「萌、俺…お前のことが…」



その瞬間。


屋上の扉が、開く。バンッ、と。大きな音。


俺と萌が、驚いて振り返る。

片桐が、入ってくる。


「あ、ここにいたんだ」


片桐が、こっちに歩いてくる。

俺の心臓が、止まる。


(また…)

(また、片桐…)


片桐は、萌に近づく。

「佐伯さん、演奏良かったよ」


萌は、少し驚いた顔をする。

「ありがとうございます」


片桐は、俺を見る。

「小林くんも、ここに?」

「あぁ…」


気まずい沈黙。


片桐は、萌に言う。

「佐伯さん、ちょっといい? 話があるんだけど」


萌は、少し迷う。俺を見る。それから、片桐を見る。

「…はい」


片桐は、俺を見る。少し、意味ありげな目。

「小林くん、後でいいかな?」


俺は、何も言えない。拳を、握る。


(また…)

(また、邪魔された)


萌が、俺を見る。

「悠斗、ごめん」


申し訳なさそうな顔。

「いや…大丈夫」


嘘だ。全然、大丈夫じゃない。


萌は、片桐と一緒に屋上を出て行く。

扉が、閉まる。



一人、残された俺。


夕日が、沈んでいく。

空が、オレンジから紫に変わっていく。


風が、吹く。冷たい風。


俺は、柵に手をつく。頭を、下げる。


(また…言えなかった)

(お前のことが…まで言ったのに)


拳を、握る。


(くそ…)


悔しい。すごく、悔しい。


でも――ふと、思う。


(片桐先輩、なんで屋上に?)

(タイミングが、良すぎる)


斉藤の言葉が、頭に浮かぶ。

「片桐、わざと邪魔したんじゃね?」


(まさか…)


でも。片桐の、あの意味ありげな目。

「小林くん、後でいいかな?」


(わざと…?)


分からない。



俺は、柵から離れる。

屋上を出る。階段を降りる。廊下を歩く。


文化祭は、まだ続いている。

笑い声。音楽。賑やかな声。


でも、俺には何も聞こえない。

ただ、自分の足音だけ。


教室に戻る。喫茶店は、まだ営業している。


斉藤が、俺を見つける。

「おい、どうした?」

「…ダメだった」

「え?」

「また、言えなかった」


斉藤は、驚く。

「マジで?」

「片桐に…邪魔された」

「また片桐?」


俺は、頷く。


斉藤は、少し考える。

「それって…偶然かな?」

「分からない」

「でも、タイミング良すぎじゃね?」


俺も、そう思う。

でも、確証はない。



斉藤は、俺の肩を叩く。

「まぁ、落ち込むなよ」

「うん…」

「また、チャンスはあるって」

「そうかな」

「そうだよ」


斉藤は笑う。

でも、俺は笑えない。


(また、チャンスがあるのか?)

(萌は、もう待ってくれるのか?)


分からない。



文化祭が終わる。


片付けをする。テーブルを片付け。装飾を外す。

教室が、いつもの教室に戻っていく。


俺は、黙々と作業をする。

何も考えないように。


でも、頭の中は。


(萌…)

(片桐と、何を話してるんだろう)


それだけ。



帰り道。


一人で、歩く。


空が、暗くなっている。星が、見える。

綺麗だ。でも、今は何も感じない。


(また、邪魔された)

(また、伝えられなかった)

(俺、いつになったら…)


答えは出ない。


ただ、一つだけ分かる。


(片桐先輩)

(あの人、何者なんだ?)


その疑問だけが、頭に残った。



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【あとがき】

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