終末映写倶楽部

果肉ワークス

寝相

 テレビさえ消さずに眠ることを無気力や怠惰と呼ぶのならば、ハスイはまさしく無気力で怠惰な少女なのだろう。しかし、ハスイにとって、それは日常であり、習慣だ。気力の有無によって変わるものではない。せっかくの綺麗な紫がかった髪も寝ぐせで乱れている。一か所だけ明るいメッシュが入っているが、染めたわけではない。幼少期にできた頭の傷。その傷が、色素を破壊してしまったがゆえにできた偶然の産物こそ、メッシュの正体である。

床に置かれた旧型のテレビから漏れ出る光は、朝日で目立たなくなりつつあった。テレビからはヘッドフォンのコードが伸びており、それはハスイの腕にぐるぐると絡まっている。

「時刻は七時十分。予定起床時刻を過ぎています。ハスイ様、起床を推奨します」

 不格好なアーム型万能ロボットが何度もアラームを繰り返す。その機械音声にハスイは苛立ちながら、寝返りを打つ。

 一階から父の足音が響く。ヘッドフォンが外れかかってなければ、その静かな、一歩一歩確かめるような音には気づかなかっただろう。

「……ん」

 半身だけ起こし、絡まったヘッドフォンのコードを解いていく。テレビを遅くまで見ていたことはバレたくはなかった。しかし、どこから手を付けてよいのか見当もつかないほど複雑に絡み合ったコードは、さながら浮き出た血管のようで、焦るほどに状況は悪化する。

ヘッドフォンからはディンナム市長ヴァルムの就任演説が流れている。サクラ・サミットがどうだとか、我々の未来がどうだとか、平和がどうだとか語っているが、ハスイの寝ぼけた頭には何一つ入ってこない。大人の話は、父……、正確には育ての親であるワトウの話も含め、総じて「つまらない」というのが、ハスイの短い人生で得た教訓だ。

 一度絡まったコードは、どうやら中々ほどけそうにない。シャツの袖口に、もはや刺繍のように絡んでいた。ワトウの足音はもうすぐそこまで近づいている。

まずい。ハスイは、シャツごとヘッドフォンを脱ぎ捨てた。そしてそのままシャツにヘッドフォン、テレビのモニターを乱雑に包み、ベッドの下へと突っ込んだ。一つ一つの動作が大振りなのは、焦りだけでなく、どこか行き場のない苛立ちをハスイが抱えているからかもしれない。

 なんとか隠ぺいに成功した瞬間、扉は無遠慮に開かれた。

「今日から登校だろ? 遅刻するなよ」

ハスイは、飛び跳ねるように下着姿のまま慌てて布団にくるまり、顔だけひょっこりと出した。

「……勝手に開けないでって、いっつも、言ってるじゃん!」

 ワトウはハスイの抗議を顔色一つ変えずに受け流すと「なんだ、まだ着替えてもいないのか」と溜息を一つ漏らした。

 ベッドの下からは、モニターの角やヘッドフォンのコードがはみ出している。ワトウと眼を合わせながら、ハスイは足を布団の中から出し、気付かれないように素早く踵でベッドの奥へモニターを蹴飛ばした。しかし、蹴った瞬間にモニターが音を立てて倒れ、何かに当たる音が響いた。ヘッドフォンの線が抜けてしまったのかテレビから「サクラ・サミットの成功を。そして、ディンナムの永続する平和を願って」と新市長の就任演説が漏れていた。

「あは、ははは……」

苦笑いで歪んだハスイの表情は、真顔へと戻った。

「……出てって」

ハスイは布団にくるまりながら、眉間にシワを寄せ、ワトウを追い払う。

「はいはい……。朝食が冷める前に降りて来いよ」

 ワトウは小さく鼻を鳴らした。

「時刻は七時十五分。予定起床時刻を過ぎています。ハスイ様、起床を推奨します」

 アラームがまた、鳴り出した。


「朝食っていうのはな、一度習慣から外してしまうと戻すまでに時間がかかるんだ。味わわなくてもいい。少量でもいい。毎日、食べなさい」

 ハスイは片手で寝ぐせを抑えながら、AEGH STOM TAG(アーグ・ストム・タグ)に嚙りついた。かつての人類が愛好したエッグトーストを模した食品だ。

「フェニカも飲みなさい。目が覚めるぞ」

 ワトウから差し出された琥珀色の液体。湯気に乗って甘く、けれども、少しスモーキーな香りが漂う。しかし、ハスイはそれを受け取らずにナガラを手に取り、喉へと炭酸を流し込んだ。瞬間、舌に電流のような刺激が走り、視界がチカチカと点滅した。目を覚ます目的ならば、ナガラの方がキマる。大人になるにつれて、フェニカ愛好家になっていく者は多いが、ハスイはまだナガラ派だった。

 チラリと時刻を確認したワトウが両手で陶器を包みながら、フェニカを啜る。

「今日は、車で送っていこうか?」

「バイクがあるから、いい!」

「遠慮しなくていい、大事な寮生活の初日だろ?」

「いいってば!」

 ハスイは中途半端に飲み残したナガラをそのままに、立ち上がった。

外へ停めてある愛用のバイクのバッテリータンクを一度指でなぞり、それから、座席を手のひらで撫でた。

 電源を入れてしばらく走るも、何やら調子がおかしい。よく見ると、充電マークが点滅している。

「やばっ」

ほとんど走らないうちにバッテリーが切れ、余力だけでのろのろと進んでいたが、限界が訪れた。

「乗っていくかい? お嬢さん」

「あ……」

 車に乗ったワトウが狙ったようなタイミングで現れる。

「困っているみたいだね、ハスイ」

 ワトウが呆れ顔で微笑む。ワトウの顔を思い浮かべるとき、ハスイはこの「呆れ顔」が真っ先に浮かぶ。自分が常々、ワトウを呆れさせていたからなのか、もともとワトウがそういった顔立ちなのか、ハスイにはわからない。

 ワトウと手分けして車に荷物と、充電切れのバイクを何とか積み込むんだ。ハスイの服の中は、汗でわずかに湿った。しかし、ワトウの隣には座らず、後部座席へと乗り込んだ。

「着いたら起こしてあげるから。少し寝てなさい」

「んー、助かる。ありがとう」

 ハスイが返事をすると、ワトウの腕に着いているVISAにEMOが蓄積された。

「ちょっと……。娘相手にEMO稼ぐってどうなの?」

「仕方ないだろ、そういうシステムなんだから」

 貨幣の代わりに、人々の「感情」を価値として交換するシステム「EMO」。他人にとっていいことをすればプラスになるし、他人に害を及ぼせば、マイナスになる。自分の他者への行動が、自身の経済力に直結するシステムは画期的であり、このシステムこそ社会の根幹と言っても過言ではないのだが、ハスイにとってはただただ鬱陶しいシステムだった。

ハスイは、父と過ごして加算されたEMOはどのくらいなのだろうと、ぼんやり考えながら眠りに落ちた。


 管理棟は静かな、ガラス張りの建物で、転校手続きは淡々と進められた。事務員とハスイは一度も目を合わせることなく、手続きを済ませた。

「部屋は第2ハウスの2Iです。荷物は自動搬送に乗せておきます」

 最後にサインをし、軽く会釈をする。

「それから」

 背を向けたハスイに事務員は淡々とした口調で告げる。

「手続きのある日はもう少し、お早めにお越しください」

 ハスイは振り向いて、もう一度頭を下げた。その時はじめて合った瞳は、怒りも、苛立ちも、焦りさえも何もない穏やかなものだった。


 今日から寮生活が始まるというのに、ハスイの心は浮足立つこともなければ、不安で翳ることもなかった。

「よいしょっ……と」

荷物片手に扉を開けると、白くて真新しい部屋が広がった。大変なのはここからだ、とこれから組み立て泣けねばならないテーブルとチェアのことを思った。

ふと、窓に目をやると遠くに建設完成間近のディンナム・タワーが見える。

「カーテンも買わないと……」

 誰に言うでもなく、ハスイはそう呟いた。

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