第12話 羽の抜けた枕
***
ロクサーヌの適正は、やはりというか水であった。
神殿の柱へ向かい、大公たちに見守られながら目を瞑り手をかざすと、かざした両手から突然水が溢れたのだ。
足元に小さな水たまりができるくらい滴り落ち、されど流れ出る水を止める方法が微塵もわからず、ロクサーヌはプチパニックになり小さく悲鳴を上げた。
後ろから大公にかざした手を離してもらってすぐに止まったが、教会の人々には慣れっこなのか『夫人は水の適正のようですねー』だの『拭いておくのでそのままで大丈夫ですよ』だのと、何事もなかったかのような反応をされ、悲鳴まで上げてしまったロクサーヌは顔から火が出るほど恥ずかしかった。
『ロクサーヌ様は魔法のない世界からいらしたのですから、突然水が出て恐ろしかったでしょう』
と侍従には慰められたが、アレクサンドロは肩を揺らし
『……大事がなくてよかった。魔法の適性もあったようでよかったな』
と口では言いつつも、あれは明らかに笑っていた。
――まぁ、笑ってくれたのだから別にいいわ。
ロクサーヌは基本的に、顔のいい男に弱いのである。屋敷に戻り夜になり、私室のベッドにもぐりこんだ。ロクサーヌはニコニコと楽しそうにしたその人の顔を思い出していた。
行きの馬車では今にも逃げだしそうな目をして、重苦しい話までしていたのに、打って変わって帰り道の大公は、ロクサーヌとなんでもない話に花を咲かせ楽しそうであった。
いつもは追悼ミサすら人に任せて自分は来ていなかったのだが、今日来てみて、ようやく胸のつかえが取れた気分だ、と言っていた。
……高貴な方には高貴な方の、自分ではどうしようもない悩みもあるものなのね。
ロクサーヌが仰向けに寝返りを打つと、なんの前触れもなく我が身がピクリとも動かなくなった。
金縛りである。
体は指1本動かず、目を開くこともできなかった。足の先から、なにかがのそりと乗って来るのを感じた。
気合いと根性で目を開くと、何者かと目があった。その何者かは、目が合った事実に明らかに動揺していた。
ロクサーヌはさらに根性で、腹の底に力を入れた。ひとこと文句を言わないと我慢ならなかった。
「――ちょっと……! わたくし、妊婦ですのよ、母体に圧をかけるだなんて非常識ではなくって……? 万が一お腹の子になにかあったら、お前が誰であっても許さなくてよ……ッ」
気圧されたように体から重さはどいたが、まだ動かぬ体の横に気配がぴったりと張り付いている心地があった。
――異世界人め……、アレクサンドロさまは私のもの……ぜったいに渡さない……。
その発言は、ロクサーヌの低めの沸点を早々に飛び越えた。かつて、稽古事の声楽で鍛えられた複式呼吸が発揮された。
「~~っ聞き捨てならないわね!! どこの誰だか知らないけれど、わたくしの未来の婚約者に手を出すつもりなら容赦しないわよ!!」
メアリ同様、ボコボコにしてやろうじゃないの覚悟なさいな……、となんとかひりだすと怯む気配がした。
ロクサーヌは見た目に反し、とんでもなく気が強いのである。心霊の類にたじろぐような、か弱い女ではなかった。
金縛りを解くなり後ろ手で枕を掴むと、容赦なく振り回した。手応えはなかったが悲鳴が聞こえた。
――勝負ついたわね、と思った。
「生きてる人間の恐ろしさを思い知らせてやろうじゃない!!
お前が誰であれ、それが生き霊であれ怨霊であれ関係ないわ!! わたくしの周りの人間は皆わたくしが幸せにするのだから!! お呼びでないのよ、引っ込んでなさいな!!」
寝る前に消したはずのろうそくが、たちどころに付いた。
すると、部屋へと足を踏み入れた状態のアレクサンドロが、目を丸くしているのが見えた。部屋の惨状を見、目を丸くしたままの彼はぽそりと呟いた。
「……。君は私も幸せにしてくれる気でいるのか」
「あら閣下、こんな夜更けにごきげんよう」
ぐちゃぐちゃになった部屋で、破けた枕から羽毛が舞い飛ぶさまを、彼ははぼんやりと見あげた。
「……。霊障か?」
「さぁ? よく見えなかったのでわたくしにはなんとも」
窓はしっかりと閉まっていた。部屋にはアレクサンドロとロクサーヌしかいなかった。
「幽霊と喧嘩をする人間なんて初めて見た」
「わたくしだってそんなものと初めて喧嘩しました。
ところで閣下、マナーは守っていただきませんと。異性の部屋にノックもせずに入るなんて」
「悲鳴が聞こえたのだから仕方ないだろう」
「わたくしではありませんわ」
そうなのか、とキョトンとした。
「……ずいぶん激しく争ったようだな?」
「仕方がありません。わたくしのものを自分のものだとか言うので、つい腹が立ってしまったのです」
思わず、前の世界で散々煩わされたあの女、メアリのことを思い出してしまったのである。なかば八つ当たりのようなものだ。
駆けつけたものの、何事もないと悟ったのか大公には眠気が戻ってきたようである。目がしぱしぱしはじめていた。
「君はときどき、想定外の行動をする」
ロクサーヌは頬に手をあてしなを作った。
「そうですか? 見た目は天使のようだと言われてきましたが」
「見た目は」
「ええ、見た目は。ですがわたくしも人間ですので、売られれば喧嘩くらいします。そして勝ちます」
気の強さは、ロクサーヌにとって恥じることではなかった。こうあるからこそかつての世界で、社交界の華としてやってこられたのだから。
「……。そうか、勝つのか」
アレクサンドロはロクサーヌの返答に少し笑うと、では失礼した、と背を向け退出しかけた。
その広い背を見た瞬間、ロクサーヌには妙案が浮かんだ。
「そうだわ! 閣下、こちらに」
「?」
促され、アレクサンドロは戸惑いながらもロクサーヌに言われるがまま寄ってきて、ベッドへと腰かけた。
「今日は隣で寝てください」
「、なにを急に。……やはり怖かったのか?」
まさかと口から漏れでた。
「わたくしに喧嘩を売った身の程知らずに、追い討ちをかけ思い知らせてやろうと思いまして。閣下はそのうちわたくしの婚約者になるのだと」
「……自分の身が別の意味で危険だとは考えないのか?」
「? 確かにまだ夜も暑いので、ふたりでいれば少し寝苦しいでしょうが。それよりも、わたくしは赦せない気持ちの方が強いんですの。もっと言ってやればよかったですわ。このくらいの仕返しなら協力していただけますよね?」
ほらこちらにおいでになって、と布団へと引きずり込むと、
「では閣下、おやすみなさいませ。また明日お会いしましょう」
と目を瞑った。
「……。待ちなさいロクサーヌ嬢、まだ私は寝ぼけているようだ。この状況に頭がついていかない。私たちは結婚どころか婚約もまだで」
「お話があるのなら明日伺いますわ、もう眠さが限界ですの、お腹の子のためにももう眠らせてくださいな、それではおやすみなさいませ……」
言いきるなり返答もきかず、ロクサーヌはすぐに健やかな寝息をたてはじめた。
アレクサンドロは、異世界人ロクサーヌの嵐のような一面を初めて目の当たりにして内心驚愕し、されどとても眠かったので、羽が抜けてぺちゃんこになった枕を自分の頭の下に敷き、黙って隣で横になった。
健やかすぎるほどの寝顔を見つめつ、アレクサンドロは穏やかな気持ちで彼女の肩に布団をかけ直し、目を瞑った。
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