第9話 踊る舞台は選ばない
***
――よほど信頼のおける相手でもない限りは、養子には出さない。
そして後継者は、いま腹にいるロクサーヌの第1子のまま、とのことであった。
「信頼のおけるお相手とは?」
「皇室だ」
小首を傾げ問うたロクサーヌに、アレクサンドロは即答した。
「そういったことはないとは思うが、もし陛下がこのままお子に恵まれず、私の血を引いた子をお望みになったなら、差し出すほかないだろう。
そしてその場合、実父であることを理由に、よくない輩がまた懲りずに私に擦り寄ってくるはずだ。そのときは私も両親と同じく早めに後継者に跡を譲り、あてのない旅にでも出るつもりだ」
その際は貴女にも共に来てもらうほかない、とのこと。
「旅……」
「この話はしていなかったな。面談の時間をつくることばかり優先して、肝心の話す内容が纏められていなかったようだ。貴女は定住が望みだったろうか」
また後出しになってしまった、と申し訳なさそうにされ、ロクサーヌは首を振った。
「想定外ではありますが、それはそれで楽しそうですわ。
あてのない旅なんて、これまで想像したこともありませんでした。以前の世界でも、旅行はほとんどしてこなかったものですから」
ロクサーヌは首都生まれの邸宅育ちで、旅と言えばたまに領地に戻るときくらいであった。だが一般的に、領地に戻ることを旅行とは呼ぶまい。
別荘も家門ではいくつか所有していたが、祖父母が病の療養も兼ねて時々使っていたくらいで、家族で遊びに行ったのはほんの幼い頃が最後で記憶は朧であった。
慣れ親しんだ首都の華やかさをロクサーヌは愛したが、そのぶん悪い面もたくさん見たし痛い目にも充分遭った。
忙しない空気や煩わしい視線から解き放たれ、見たこともない世界を見て回るのは、いったいどんな気分になるだろうか。そんな晩年も悪くないかもしれない。
「閣下は、旅ではどういったことを楽しみになさってますの?」
定番といえば、食事や景色だろうか。
だがアレクサンドロは少し頬を染め、照れ隠しなのか小さく咳払いをした。そして、ロクサーヌの想像の斜め上の答えを寄越した。
「ダンスだ」
「ダンス」
思わずオウム返しをしたロクサーヌに、「そう、各地のダンスが楽しみで」と頷いた。ポカンとしたロクサーヌを見、アレクサンドロは少し言いづらそうに続けた。
「私の母は、異国から来た踊り子でな。そして先代の母、つまりは私の祖母だが、彼女ももとは踊り子だったんだ」
アレクサンドロの祖母は見事な舞を披露し当時の皇帝に見初められ、先代大公を身籠り側室となった。
そして先代大公は母親に似て素晴らしくダンスが巧みだそうで、戦勝パーティでも舞踏会でも誰より楽しく踊るお方だったそうな。あるとき先代は場を盛り上げるため、パーティに呼ばれてきた踊り子たちの輪に混ざり、共に踊り狂い、その中のひとりとウマが合いそのまま電撃結婚したそうだ。
「血は争えないのだろう。事実、私の体には皇室の血より踊り子の血の方がずっと多く流れているわけだから」
政治的なあれこれで認められるより、無心で踊っている方がずっと好きなんだ、と述べた。
ロクサーヌは自身の頬が緩むのを感じた。高貴なお人にも、ずいぶん素朴な趣味があったものだ。
「でしたら今度お時間のある時にでも、わたくしにこちらの世界のダンスを教えてくださいませ。こちらでも通用するかは存じませんが、わたくし、これでも踊るのは得意でしたのよ」
「! そうか、それは楽しみだ」
ならばロクサーヌ嬢のいた世界のものもぜひ教えてほしい、と目を細め心底嬉しそうに微笑んだ。
その表情の、麗しいことと言ったらない。どうやら大公は、心からダンスが好きらしい。
さっと立ち上がりこちらに手を差し伸べ、
「ではさっそくこれから、」
「あらこれから? 閣下はもうお忘れかしら? わたくしこの通り身重ですのよ?」
「じゃあ貴女は教える側をしてくれ、私が踊る」
苦笑するロクサーヌが手を取る前に、小さく、だが確かな咳払いが聞こえた。やや距離を開け、執事チャールズが迎えに来ていた。
「――馬車の用意が整いましてございます」
アレクサンドロの、先ほどまでの笑顔が嘘のように終息した。
「……そうだったな。すまないなロクサーヌ嬢、予定があってこれから少し出る」
「先約があるなら仕方ありませんわ。ぜひ次の機会に」
「ああ。またの機会に」
ほっとした顔をしたのもつかの間、なにやら思案顔になった。
「? 閣下?」
「……。実は、今日は命日なんだ。墓のある教会まで行って、花を手向けに行かせるだけだから早く戻れるとは思うが」
?? 近くまで行くのに、手向けるのは自分でしないの?
つくづくよくわからない世界ね、それともこれはアレクサンドロだけの習慣なのかしら、とロクサーヌは考えることをやめた。
「まぁそうでしたか、それはお邪魔できませんわね」
アレクサンドロはまっすぐにロクサーヌを見た。
「邪魔してくれと頼めば来てくれるか」
「? 邪魔してほしいんですの?」
自ら言い出したくせに、アレクサンドロは眉根を寄せ、煮え切らない唸り声を上げた。
わたくしの今のここでの仕事は、将来夫となるかもしれない男を支えることだ。
「――でしたら、着替えて参りますわ。少々お待ちを」
文字通り、墓までついて行ってやろうじゃないの。
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