第11話 山麓に佇む墓標

 明くる日も幕舎をそのままに、急拵えで更なる防御を固める。

 山林の中にも斥候隊を放つも、敵の姿はおろか痕跡さえも消されていた。


 幕舎の中では、今後の方針が討議される。

「昨日は皆ご苦労でした。疲労困憊の中で先を急いでも、いつ昨夜のような奇襲を受けるか分かりません。不用意に先を急げば、道中で同じように奇襲を受けかねません。本日こそ休息を取らねばならぬ時なのです」


 呉太妃が大まかな方針に関して語る。


 この大切な会議には、紅紅(フォンフォン)も呼ばれていた。

 なんと、施然が紅紅(フォンフォン)を迎えに来てくれたのだ。

 それなのに辺りを見廻しても、梟(シャオ)はいない。

 それどころか、あの陳宝すら姿が見えない。


(あんなに呉太妃のことを推してたのに。陳宝ったら今、アピっとかないで、どうするのよ!)


 呉太妃の方針を受けるように、兪河は大まかな地図を広げて、これからの行程を指し示す。

「間もなく本街道に抜けるとは言え、策を用いず進めば危険と隣り合わせとなります。本来であれば街道沿いを進み『牛渚洲』から軍船で江南に抜けるのが、間違いのない行程となります」


「しかし、その行程では間違いなく敵が罠を仕掛けているでしょう。ここからは山林から離れた間道を使いましょう。この間道なら周囲は水田ですので、昨夜のような襲撃は受けずに進めるでしょう。抜けた先はかなり長江の下流となり『牛渚洲』からは、東に離れてしまいます。幸い近くに民間の『砕石洲』が有りますので、交渉次第で安全に江南に抜けられるはずです」

 施然には土地勘もあるらしく、適確に修正した行程を指し示す。


(さすが施然様! こういう会議でも素敵だわ。それに行きは確かに広い街道をずっと通って来たけど、『牛渚洲』で軍船で江北に出た途端に山道ばかりで水浴びすら出来なかったものね)


 ふっと嫌な想像が頭をもたげて無性に服の匂いが気になりだすが、そこはグッと堪える。


「それにしても敵は弓矢を用い、精密な射撃と鏃には毒も塗られていました。それにあの様な覆面のように被る頭巾、あれも袁術の手の者なのでしょうか?」

 孫匡が震えるように、昨夜の出来事を振り返る。


「それは関係ないな。武器に関しても、夜襲に適した武器を選んだだけのことかも知れない。『敵を知りて己を知れば百戦危うからず』、ただし既に襲撃を受けた後となっては意味もない。ここは施然のように建設的な策を積み重ねるのが最良と言えよう」

 孫権は落ち着いた声で、怯える孫匡を嗜める。


「それでは先ずは味方の士気を高めることに専念してみては? この先であの謎の賊徒を討取った者には、一人当たり銭一貫を与えると触れを出すのです。義侠団の士気も大いに上がることでしょう」

 孫翊は歳に見合わない豪気な提案をする。


(孫翊様ね。あの御方も分かってるじゃない。ちょっとだけ気になるかも? だからって、施然様と比べるまでも無いんだけどねっ)


「孫翊よ。また金で解決する案か? 気に入らんな」

 孫権は端的に、この意見を制するように言う。


「しかし此度は義賊団からも犠牲者を出してしまい申した。孫翊殿の進言も非常時故、良策やも知れませぬ。今は一致団結し、士気を高めることこそ肝要かと存ずる」

 兪河が孫翊の意見に賛同する。


 ここまで静かに軍議を見守っていた呉太妃が、決議を下す。

「施然が申す行程に不備がないか、情報を集めて詳細を詰めよ。また孫匡が申す通り、いつまでも正体不明の敵では不安を煽るだけ。あの装束の色から『褐巾賊』との名で周知させよ。また義侠団を始め、此度は多くの命を失ってしまった。私は彼らの忠誠に寄り添いたい。今は金という俗物な形でも、孫家としての矜持を示します。よろしいですね」


「はっ!」

 軍議に参集した諸将が、一斉に拝礼して会議は終了する。


(それにしたって、こんな大事な会議なのに、陳宝も梟(シャオ)もどこに行ってるのかしら?)



***



 草原の片隅では、手のひらを泥だらけにした梟(シャオ)と義侠団の一団が揃っていた。


 その中で一際大柄な巨漢が跪き肩を震わせて、目の前に小高く盛り上げられた塚に対して野太い声を振り絞っている。

「お前らは本当に幸せ者だなぁ。孫家のお姫様に手づから墓を立てて貰っちまってよお。しかも後で必ず石碑まで立ててくれるってさ。『孫家を護りし豪傑ここに眠る』って感じでな。我も代りに埋められたって悔いはねえぜ!」


「そうだ! 俺らは皆、命知らずの義侠の者だ。それがこんなに立派に祀られるなんか、羨ましいにも程が有るってものだぜ!」

 義侠団の一人も声を震わせながら、追悼の言葉を紡ぐ。


 あの襲撃のあと、梟(シャオ)は陳宝に対して彼らのためにお墓を作りたいと申し出ていた。

 そしてやっと、埋葬が済んだところである。


 その後も義侠団の者が一人、また一人と塚の前に跪いて哀悼の意を捧げる。

 最後に梟(シャオ)が進み出て、お墓の前で静かに手を合わせる。


「誰も犠牲者なんか出したくなかったわ。わたしが敵の符牒にもっと早く気が付けてたら、わたしがもっと強かったら。本当に力が及ばずにごめんなさい。命懸けでみんなのことを救ってくれてありがとう。あなた達も生き残った者達も、みんな英雄よ」

 梟(シャオ)の声は、か細く消えゆく。

 頬を温かな水滴が、溢れるように零れ落ちる。


 義侠団は遠巻きに墓前の前に跪く、幼過ぎる姫君の姿に一様に肩を震わせる。

 西陽が傾き山々の稜線から、小高い塚を朱く染め上げる。

 梟(シャオ)の紺色の衣を紫色の法衣の如く染め上げ、白銀の髪留めが黄金色に輝く。


 立ち上がり振り向く梟(シャオ)は、夕陽の光を浴びて神々しく映る。

 義侠団の面々は誰からともなく、その姿の前に跪き拝礼しながら深く深く頭を垂れる。


 秋風が舞い、ススキの穂が柔らかに儚げに、その垂れた穂先を揺るがす。



***



【人物註】

・孫翊:字は元服前で無い。孫堅と呉太妃の三男で十一歳。子弟の中では大物の素養を見せる。

・孫匡:字は元服前で無い。孫堅と呉太妃の四男で九歳。末弟からか臆病な面を持つ。


【用語註】

・牛渚洲:長江を渡る軍事拠点。劉繇が支配していたが、孫策の軍がここを攻め落とした。

・砕石洲:長江を渡る民間の渡し場。荷物の集積地としても商業的に栄える。

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