1-2「あんたさ、何者だい」
それが、シルクがアポロに放った第一声だった。
一時的な共闘関係にあるはずの傭兵団同士。
しかし、彼女の言葉には、微塵の敬意も含まれていなかった。
アポロは岩陰からゆっくりと立ち上がり、無表情のまま彼女を見下ろす。
「おい、そりゃこっちの台詞だ、モフモフ。獲物の横取りとは、感心しないお作法だな」
アポロの静かな声には、温度というものが感じられなかった。
「早い者勝ちさ。あんたの鈍重な銃より、アタシの牙の方が速い。それだけのこと」
シルクは肩をすくめ、双剣の血を振るって払う。
その仕草一つ一つが、しなやかで洗練されている。
だが、アポロの隻眼は、彼女の戦い方の危うさを見抜いていた。
あまりにも直感的。防御を疎かにし、回避と攻撃だけに全てを賭ける、破滅的な剣舞。
「……勝手にしろ」
アポロは鼻を鳴らすと、再びサンダーボルトを構えた。シルクもまた、新たな獲物を探すように、戦場へと視線を戻す。二人の間に生まれた険悪な空気は、再び始まった戦闘の喧騒にかき消された。
だが、二人の不協和音は続いた。
アポロが敵の陣形を崩すために仕掛けた陽動に、シルクが真正面から突っ込んで台無しにする。
シルクが敵兵を追い詰めた先に、アポロの放った牽制の弾丸が着弾し、獲物を取り逃がす。
一歩進めば、相手の射線を塞ぐ。
一歩退けば、味方の側面ががら空きになる。
互いの呼吸も、リズムも、戦いの思想も、何もかもが噛み合わない。
それはまるで、互いにリードを譲ろうとしない、プライドの高いダンサー同士が踊る、ちぐはぐなタンゴのようだった。相手の次のステップを予測できず、無様に足を踏み合い、苛立ちだけが募っていく。
「あのモフモフ女…!」
「あのデカブツ野郎…!」
互いに内心で毒づきながらも、二人はその歪なステップを止めなかった。
奇妙なことに、そのぎこちなさにもかかわらず、二人がいる戦線だけは、敵を圧倒し始めていたからだ。
予測不能な二人の動きは、理知的な敵にとっては、悪夢でしかなかったのだ。
その日の戦いは、傭兵連合軍の辛勝に終わった。
夜。パチパチと爆ぜる焚火の音が、疲弊した兵士たちの低い話し声に混じる。
アポロは一人、陣地の外れで火の番をしていた。無言で肉を串に刺し、火にかざす。
その手つきは、戦場での冷徹さとは裏腹に、どこか手慣れていた。
「……あんた」
不意に、背後から声がした。振り返るまでもない。あの獣人族の女だ。
シルクは、アポロから数歩離れた場所に腰を下ろし、燃え盛る炎をじっと見つめていた。
「何か用か」
「別に。ただ、火の番が一人じゃ、夜盗にでも襲われたら大変だろ?」
口ではそう言いながら、彼女の鋭い琥珀色の瞳は、アポロの一挙手一投足を観察していた。
値踏みするような、探るような視線。
しばらく、気まずい沈黙が続いた。肉の焼ける匂いと、薪の爆ぜる音だけが、二人の間に流れる。やがて、沈黙を破ったのはシルクの方だった。
「あんたさ、何者だい」
「……質問の意味がわからん」
「とぼけるなよ。あんたの戦い方…この大陸の人間とはどこか違う。動きに無駄がなさすぎる。まるで、感情のない機械人形だ。それに、その加速する力…。その力を使う時、周囲が止まって見えるんじゃないかい。あんな異能、聞いたことがない」
シルクは、昼間のアポロの戦闘を思い返すように目を細める。
「まるで、この世界の理に馴染んでいないステップを踏んでいるみたいだ。どこか、よそよそしい。…あんた、一体どこから来た?」
その問いは、アポロの心の最も柔らかな部分を、鋭い刃で抉るようなものだった。
どこから来たのか。
それは、彼自身が最も知りたい答えだった。隻眼が、氷のように冷たく彼女を射抜いた。
「……流浪の傭兵。それ以上でも、以下でもない」
アポロは言葉を濁した。この世界の常識から外れた己の存在を、容易く明かす気はなかった。だがシルクは、その獣性的ともいえる鋭い勘で、アポロが纏う根源的な孤独と異質さを見抜いていた。
アポロは、焼けた肉串をシルクに無造作に放り投げ、問答を打ち切る。シルクはそれを危なげなく受け取ると、熱さに顔をしかめながらも、一口かじりついた。そして、意外そうに目を見開く。
「…ふーん。見かけによらず、悪くない味だ」
彼女はそれ以上、アポロの素性を問うことはなかった。ただ、その瞳の奥の探るような光は、消えてはいなかった。
アポロもまた、言葉を交わすことなく、黙々と肉を喰らう。この女の野性的な勘は、下手に隠し事をすれば、より深く探ってくるだろう。同時に、猛々しいが、美しい彼女の存在そのものが、アポロの心を微かに波立たせていた。
自分と同じ、群れに属さない孤高の獣。
だが、自分にはない、燃えるような生命の輝きを持つ存在。
焚火の炎が、二つの孤独な影を揺らしていた。
まだ互いの名も知らぬ、隻眼の狼と気高き狐獣人。
彼らの二律背反するタンゴは、今、その最初のステップを、ぎこちなく踏み出したばかりだった。
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