テスト

志乃亜サク

どうした阿久津

 チャイムが鳴る。

 それを合図に3年B組の生徒たちは一斉に解答用紙をめくり自分の名前を記入し始めた。


 今日は期末試験。

 阿久津ユヅルは真っ白な答案を前に、いきなり途方に暮れていた。


 ――全然わからん。


 もう一問目からわからん。何を訊かれているのかすら。

 たしかに授業は寝てばかりいた。テスト勉強もしていない。昨日は9時に寝た。だが謎の自信だけはあったんだ。俺はできる、できる男だと。あれは一体なんだったんだろう?

 ひとつもわからないじゃないか。

 仕方がないので、俺は寝ることにした。



 そんな阿久津の就寝に、唖然とする男がいる。彼の斜め後ろに座る、伊藤である。

 今回のテストもカンニングで乗り切ろうと考えていた伊藤は、妙に自信ありげな阿久津をターゲットに定めていたのだ。

 その阿久津が早々に寝始めた。まさに想定外。

 一体俺はどうしたらいいんだ……。



 狼狽する伊藤の様子をさらに後方から冷たく眺める男がいる。上原である。

 彼の異名はハイエナ。カンニングする者を更にカンニングすることを得意とする、「試験場の狩人」上原。

 彼は伊藤の企みが潰える一部始終を見ていた。たしかに阿久津の行動は想定外だった。そこは同情の余地がある。だがしかし。

 常に不測の事態を想定し備えるのが一流の狩人だ。

 上原はすぐさまターゲットを伊藤からメガネの江原に切り替えた。彼の経験則によれば、メガネの奴は大体賢いからだ。

 ところが。


 ……江原?



 その時、策士江原は自分に酔っていた。

 机の上には5本のメガネが並べて置いてある。じつはこのメガネには秘密があるのだ。


 黒縁メガネは超望遠。どんなに遠くの獲物も逃がさない。

 丸メガネは超広角。正面を向きながら真横の答案を捉える。

 サングラス。誰にもボクの視線は悟らせない。

 そして縁なしメガネ。どんな時でもお洒落心は忘れない。


 彼はこれらを使い分けることで、全方位のカンニングを可能としているのだ。もはや、教室全体が彼のターゲットといっても過言ではないだろう。それは、メガネ屋の長男である彼だけに許された禁断の荒業であった。

 そして極めつきはコレ。赤青レンズの3Dメガネ。俺はこいつで次元を超える――。


 そして酔った。メガネ酔いだ。

 猛烈な眩暈。吐きそうだ。


 

 ――いったい何がしたいんだ、アイツは。


 俯いたまま身動きひとつしなくなった江原を見限り、ハイエナ上原は別のターゲットを探し始めた。


 岡崎は……ずっと鉛筆を転がしている。コイツはダメだ。

 加藤のそれは……ひとりコックリさん? どういうことだ。

 ん? この音はなんだ?


 ツートントン トントンツーツートン


 これは……モールス信号?

 発信源は北村。ミリオタの北村が渾身のボイパモールスで俺たちに何かを伝えようとしている。だが。

 お前以外にモールスわかる奴はここにはいねえ。


 工藤。デジタルボーイ工藤。なんでお前は堂々とタブレット見てるんだ。あれか? 「テスト中スマホ禁止とは聞いてたけどこれはタブレットなんです」みたいなこと言い張るつもりなのか。一休さんかお前は。

 まあいい。俺はお前の答案を写すだけだ。

 ……どうした工藤? なにを焦っている? Wi-Fiか? Wi-Fiが繋がらないのか? 

 くたばれポンコツ!



 3年B組の担任である渋沢玲子は、生徒たちが悪戦苦闘する様子を教壇の上から静かに見守っていた。


 いま、彼女の目の前には驚愕の光景が広がっている。


 試験開始時、すべての机は同じ前方を向いて整然と並んでいた。間違いなく。

 ところがどうだろう。各々が狙いを定めたターゲットの答案を盗み見るのに最適なポジションへとジリジリ移動した結果、机の配置が渦のように螺旋を描きはじめていた。

 佐藤は篠塚を、篠塚は鈴木を、鈴木は佐藤の答案を狙う……それはまさにカンニングのドッグファイト。そして無限の循環インフィニティ・ループ。一体どこが始まりなのかもわからない。なんなら、巡り巡って自分の解答を自分で書き写しているようにも見える。


 玲子は深く息を吐き、誰にともなくこう呟いた。


 ――ウロボロス。


 それは蛇がみずからの尾を噛み環をなした、始まりも終わりもない「永遠」の象徴――。


 なんてバカで愛しき生徒たちなのだろう。


 その光景は、彼女がもう戻れない青春の輝きそのものに思えた。

 わたしが周りも見えなくなるほど何かに熱中したのは、いつが最後だっただろう……。

 玲子は窓に視線を移し、遠くを眺めた。


 玲子の目には、ステージで歌い踊るニョン様の姿が映っている。玲子は声を枯らしながらニョン様の名を叫び必死でサイリウムを振っている。先月のドーム公演だ。

 あれ、わりと最近だった。


 それはいいとして。


 教師として、この状況を看過すべきでないことは玲子も理解している。

 しかし、生徒たちがみずから考え、工夫を凝らし、より高みを目指そうとしている……この状況を止めることは教育者として正しいと言えるだろうか。

 教育とは、正解をそのまま示すことなのか。いや、違う。

 みずから考え、みずからの足で歩こうとする子供たちに寄り添い、必要な時に手を差し伸べることこそ、教育者のあるべき姿なのではないだろうか。

 いま、目の前の子供たちは、自分の足で歩み始めたところなのだ。やり方はともかく。


 進みなさい、わたしの生徒たち。テストの点数は、周りと競うことがすべてじゃない。自分の現在地を知るための指標なのよ――。

 そんなことを考えながら、玲子は今なお少しずつ回転している机の渦の中心へと優しいまなざしを向けた。

 

 とりあえず起きろ、阿久津!

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テスト 志乃亜サク @gophe

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