ワイヤレスイヤホンは返ってこない
山脈霊芝
1.イヤホンの片割れ 左
ワイヤレスイヤホンを買い換えた。電気屋の片隅で売られていた、型落ちの安物。
ジーンズのポケットには、前のイヤホンケースが眠ったままだ。その中には、イヤホンが片方だけ
前のイヤホンは、ずっと片割れが返ってくるのを待っている。だけど、その日はもう来ない。
もう片方のイヤホンの持ち主は、私の親友。
正しくは、親友だった人。
彼女は高校生の時、こっちに転校してきて、席が近かったからという単純な理由で仲良くなった。
あのころの私たちは馬鹿みたいに一緒だった。学校でも、町でも、家での時間さえも。食べるものも、感情も、何でもシェアしてた。
でも、ワイヤレスイヤホンをシェアするなんて、本当に馬鹿げている。有線みたいに、頭を寄せ合うことも出来ないし、離れたら音は途切れてしまうのに。
ステレオに揃えられた現代の音楽アプリは、両方で聴くのを前提とするので、イヤホンは左右で違う音しか出さない。親のお気に入りの古い曲をシェアして聴いた時は、ひどかった。歪で、不揃いで、未完成の音たちが耳をむずむずとさせるだけだ。そうと分かってもなお、分かち合う喜びだけで心が満たされるような気がした。
そんな二人が疎遠になったのはあまりに陳腐な理由。親友に彼女が出来た。ただそれだけのこと。現実で、友達が恋人に勝ることは、ほとんどない。何においても恋人の方が優先される。
相手は親友の地元に住んでいた、親友の幼なじみ。そのことは、高校卒業と同時に、滑らかに、そしてひっそりと明らかになった。
一言も、そんな事は言わなかった。私たちは何でもシェアしてきたはずなのに。
「地元の大学に行くんだ」受験のとき、親友が私に言ったこと。その言葉通りに、親友は故郷へと帰った。恋人となった、幼なじみの元へ。
残された私は「これからも毎日連絡するからね」なんて言葉と共に親友を見送った。
あの時、私はちゃんと笑えていただろうか。
卒業して数週間が過ぎた日の夜更け、親友との全ての関係を切った。心に沸きつづける、どろどろとした何かが口から零れそうになって、窒息しそうなほどに苦しかったから。
その時になって、私はようやく親友に恋をしていたということに気づいたのだった。
二人で撮った写真も、連絡先も、残しておいた映画館や遊園地のチケットも、全部捨てた。
私は私で隣町の大学に通いはじめて、あれからもう半年が過ぎた。新しい友達と呼べる人も出来て、それなりに充実はしている。
だけど、一番大事なところで、なにかが欠けているような気がしてならなかった。
親友に関わるものの大半を捨てたのに、このイヤホンはまだ捨てられない。卒業の日も、二人でシェアしたそれの片割れは、今も親友の元にあるからだ。
新しいイヤホンを買えば、未練も消え去ると思っていたけれど、現状はその気配すらない。
肌寒い夜。街灯の下で掌に収まる、白いイヤホンケースを見つめる。充電はとうに切れて、やや色褪せたかたち。開いてみると、「L」と掠れた文字で書いてある左イヤホンだけが頭を覗かせている。
私は一体、何に期待して、これを持っているのだろう。
私はまだ、親友に恋しているのだろうか。
口から微かに白い息が漏れ出ていった。
その問に答えてくれるものは何一つとしてなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます