第9話 朝日に照らされ我はゆく
ぱっと意識が浮上した。
緑の匂いとマントの土の匂い。
ごろりと仰向けに寝れば空は水色に変わっていく最中だった。
なんでこんなところに、とぼんやり考えていたら、セキエイの背中を思い出して、急いで起き上がる。
「――セキ」
子が親を呼ぶようなか細く擦れた声で呼び、辺りを見渡すと、
「おはよう、アキラと言っても、まだ朝だ」
まあ、ばっと顔をそらす。
裸の男性が、整った肉体美を晒し、初めて会った時と同じ感想を言える長いブロンドの髪に夕暮れの目。心臓が高鳴って二回目が見えない。
「だいたい三十分ぐらいだ」
「そ、そう」
掛けてあった外套を引き寄せ、唇を隠す。
夢のようだ。あのセキエイとこんなことになるなんて。
聞きたいことは山ほどあるが、水にしたたるなんとやら。ぼんやりと見つめていると、水浴びが終わったのか、こちらに来て、そのまま上がった。
何もかも見えてしまい、目線をそらす。
あ、こんなんなんだ、とちょっとしたスケベ心が頭の中で覗いて、隠れて観察する。
「ずっと見ててもいいぞ」
そんなからかう声が飛馬たちの方から聞こえて、喉元まで出かかった「見てないよ!」を飲み込む。
セキエイは、あんなに整った身体だというに、ぺたぺたと自分の細さにため息をついた。鍛えてないから、そうなんだけれど。
「目をそらす程か? これから否応にも見ることになるんだぞ」
「うっ、もお!」
隣に座ったセキエイの身体を叩く。
上半身は裸のままで、疑問に思っていると、それが顔に出ていたのかセキエイは「ああ」と言って、ナイフを取り出し、綺麗なブロンドの髪をまとめて首の辺りで、ざくり、と切ってしまった。
突然の行為に「へ?」と情けない声を出し、一連の行動に思考が追いつかない。
「こればかりは伸ばしておいてよかったな」
どこからか紐を取り出して、髪の切り口に巻いて一つの束にする。
それから、どこから持ってきたやら、黒い液体のようなものが入っているお椀を持ち、指ですくって、その黒を髪になでつけた。
セキエイの髪はブロンドから黒髪に変わり、瞳などよくよく見なければ「王子様のセキエイ」とは思うまい。思わないが、
「なっにしてるのっ!」
「ん? 髪は売ろうと思ってな。金色は珍しくないが売れるし路銀の足しになる。それに同じ髪色なら兄弟だと思われるかもしれないしな」
しれっとした言葉に二の次の言葉が出ない。元々そういうつもりだったのだろうか。どこで考えたのだろうか。
「どうして」
僕のためにと言いそうになって口を紡ぐ。傲慢だ。
こんな自分のためにしてもらったなんておそろしくて、異を唱えるのも何か違って、ぽろぽろと涙が出てくる。
「アキラ!?」
ごめんとありがとうが交互に出て、胸を締め付け「おまえのせいだぞ」と「こんなにも愛されて嬉しいな」で頭の中がおかしくなりそうだった。
手を胸に張り付けていると、横から少し大きめな手が覆う。
「……最初から考えてたことだ。アキラは苦しまなくていい」
逃亡には時間がかかるから、そう言われて納得できないし、逃げるのにここまでするのか、自分には何もあげることができないのに、と顔を上げて手を握り返す。
「セキエイ、僕にできること教えて?」
顔を近づけて迫ると、セキエイはきょとんとしてから淡い笑みを浮かべて、
「俺のそばにいてくれることだ」
「そうじゃなくて、もっと、具体的に」
もっと近づいてキスをしようと迫るとセキエイは僕の口をふさぐ。
「口づけがほしい訳じゃない。なら、もっともっと遠くへ一緒に逃げると言ってくれ」
目を見開いて、己の身体で支払おうとしていたことを恥じる。
少し身体を離したら、セキエイが腕を引っ張り、胸の中に抱きしめた。
「アキラ、愛している。これが押しつけだと分かっているが、本当にアキラと共に生きたいんだ。それ以上、なにもいらない」
真っ直ぐな言葉に涙が溢れる。
王城から、多分ここまで来るのに、たくさんのものを支払ったはずだ。
それを「苦労」と言わず「愛してる」と言われたら、なにも言えない。
「……セキエイ」
ここで「愛してる」を返せたらよかったのに、自分のために、ここまでしてくれたことが少しばかり心に重石が現れる。
異世界で、なにも分からなくて、セキエイへの思いを返す手段もなくて、ただ目の前の人はアプリを通して出会い、欲も知っているのに、今目の前で愛を囁いてくれたためにできることが抱きしめるだけだなんて、わがままがすぎる。
「カンロもアムリタも充分に休めた。ここからは西の方に行って街を一つ、もう一つが不安なのだが侯爵のグバン殿が治めている領地があることだ」
二日も経つといなくなったのが知られる可能性がある。
そう締めてセキエイは手を握るのを止めない。
「アキラ」
「ん? アキラと会話していた玉を見ただろ?」
「うん」
一回だけだが、それで会話していたのは見ている。
「あれは俺が生まれる前に相手のことを強く思えば会話ができる。セリュバンという男が開発したニーヒルというものだ」
「へえ」
素直に感心して声に出す。要は携帯電話でいいのだろう。
「詳しい構造は未だ分からなくてな。そのセリュバンも、こっちの技術でできるだけの簡素な設計図だけよこして消えたらしい」
行動に格好良さを感じて、目を輝かせてしまう。
「すぐに伝わるニーヒルなら、俺たちが駆け落ちしたのも早く伝わる。その前に街を一つとグバン殿のマステール領だ。優秀な人だ。すぐに連絡が行くだろう。そういえばアキラの携帯電話はどんな仕組みなんだ」
話を振られて、えっとと首を傾げた。
「えっと電気というものがあって基地局が……ごめん、でもニーヒルとは、まったく違う構造だと思う」
「そうなのか」きょとんとセキエイは言い、手を繋ぎながら「そろそろ出るか」と身体を起こして笑った。
「ねえ、セキエイが色々と手際がよかった話とか聞ける?」
控えめに見ても、王子様がやる「手」じゃない。
「次の街のヴェスタで本格的に休んで、寝物語として話そう」
「あは、なにそれ」
「笑ってくれたな」
セキエイは目を細めて、こちらを見る。そんなに顔が強張っていただろうか。いや、いい顔はしてなかっただろう。
「ごめん」
「謝るな」
そう言い合いながらカンロとアムリタの元へ行き、また飛馬に乗った。
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