第ニ話:条文は剣よりも強し
リウが最初の調査に選んだのは、帝都の裏通りだった。法の光が届きにくい場所ほど、真実は澱のように溜まりやすい。悪党の情報網は、騎士団の聞き込みよりも早く、そして正確だ。彼は『金獅子商会』の噂を求めて、情報屋が集まる酒場へと向かった。
煤けた扉を開けると、安酒と汗の匂いが混じった空気がリウの鼻を突く。案の定、場違いなリウの姿はすぐにチンピラたちの注意を引いた。下卑た笑みを浮かべた三人組が、酒瓶を片手に彼を取り囲む。 「よぉ、坊や。ここはてめぇみたいな綺麗な格好の奴が来るところじゃねぇぜ」 リーダー格の男が、リウの胸を小突いた。 「身ぐるみ剥がされる前に、とっとと失せな」
リウは内心でため息を一つ。最も非効率的な時間の使い方だ。 「あなた方と争うつもりはありません。ただ、道を開けていただきたい。もちろん、それ相応の『対価』は支払います」 そう言って、リウは銀貨を一枚、指で弾いた。しかし、その行為は彼らのプライドを逆撫でしたらしい。 「はっ、舐めてんのか!やっちまえ!」
一人が背後から殴りかかってくる。リウは振り返ることなく半歩身をずらし、その腕を掴む。次の瞬間、男の服の背中部分には、既に一枚の「契約符」が貼り付けられていた。 【対象の方向感覚を一時的に剥奪する契約】 「なっ、うおっ!?」 男は突然、天地がひっくり返ったかのような錯覚に陥り、目を回してその場に崩れ落ちた。
正面から二人目の男がナイフを突き出してくる。リウはその腕を最小限の動きでいなすと、すれ違いざま、男の額に寸分の狂いもなく新しい契約符を貼り付けた。 【対象の短期記憶を一時的に凍結する契約】 男はナイフを構えたまま、「あれ…?俺は何を…?」と自分の行動目的を忘れ、その場で完全に動きを止める。
「て、てめぇ…!何しやがった!」 リーダー格の男が、仲間たちの異様な姿に怯みながらも、怒りに任せて殴りかかってきた。その拳は大きいが、動きは単調だ。リウはその拳を冷静に見極め、懐に潜り込むと、最後の契約符を男の心臓の真上の服に押し当てた。
【対象の感情における『闘争心』を一時的に借り受ける契約】
瞬間、男の拳から殺意が霧散した。怒りに燃えていたはずの瞳は、急に子犬のように不安げに揺れ始める。戦う気力が根こそぎ奪われ、彼はその場にへたり込んだ。 「な、なんでだ…喧嘩の仕方を、忘れちまった…?」
リウは一切相手を傷つけていない。ただ、いくつかの「契約」を強制的に執行しただけだ。 これが彼の戦闘術、「契約符術(コントラクトアーツ)」。条文の力で敵の行動ルールを支配し、無力化する法術師の近接戦闘である。
「さて、と」 リウは怯える情報屋の前に立つと、金貨を一枚カウンターに置いた。 「恐怖で得た情報は不正確になりやすい。これは正当な対価です。金獅子商会について、知っていることを全て話していただきたい」
情報屋から得た話によれば、金獅子商会の店主は客と契約を結ぶ際、必ず相手に「家宝」を一つ、担保として差し出させるという。そして失踪したパン職人のハンスもまた、古い紋章が刻まれたコインを差し出していたらしい。
酒場を出たリウは、情報屋が示したハンスの失踪現場――今は廃業したパン屋へと向かう。グレン部長の資料だけでは見えてこない、現場に残された「摂理の歪み」を、自らの目で確かめるために。
そこで彼は、捜査に来た騎士団が見つけられなかった、ある決定的な「証拠」を発見することになる。
条文と条文の隙間に隠された、悪意の欠片を。
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