第6話

 そして体力錬成の時間。メイドとしての心得とテーブルマナーも学んでいる傍らで体力も重要と鍛錬もさせられることになっていることは昨日聞いていた。

 メイド寮で与えられた居室に行くと勇利と神良はメイド服とは違った思いっきり体を動かせる、工房の職人とも違う作業服に着替えさせられて案内にあったジムスペースへと連れて行かれた。


『曹長、お願い致しますね』


 ふたりを引き渡したメイド長から”曹長”と呼ばれた、いかつい風貌の壮年の男が威風を漂わせながら物珍しそうに勇利と神良を見る。


『お前達が例の新人達だな。お嬢様の伝達通り、これは鍛え甲斐がありそうだ』


 メイド長の時のような手応えのある反応を曹長自身の拳の握りしめで表し、体力錬成の時間が始まることを告げる。


『よく見ると若いな。私の娘程の歳か。これからここで生きていけるようみっちり鍛えてやるから覚悟しておけ』


 筋トレの種目の手本を見せる曹長。一日目は”ブルガリアンスクワット”と”ツイストクランチ”を実施するそうだ。

 二日目は”プッシュアップ”と”リバースクランチ”、そして三日目は”プローンフロントレイズ”と”バックエクステンション”を行うと告げる。

 四日日は一日目のメニューへと戻ると、トレーニングのサイクルと一ヶ所を連日追い込まない理由について解説していく。


『最初の準備期間としてはひとまずこんなものか。マシンもあるが、まずは体を動かすことそのものに慣れてもらいたい』


 曹長がそう言うとベンチに腰を掛け、ブルガリアンスクワットのポジショニングをして実演してみせる。

 この際、曹長は膝が前へ出ないようにしつつ尻がベンチをかすめるように斜め下へ落とし込むことを心掛けろと解説をした。

 そしてその動きを勇利と神良にも実践させる。初めての”筋トレ”に勇利も神良も物珍しそうに動きを真似る。


「くうぅ……思ったよりつらい……」

「人間とは斯様なことを好んで行いますの……? 物好きもいいところですわ……」

「魔王様にしては弱気じゃないか。か弱い乙女のようだよ」


 異世界では前衛で斬り込んでいた勇利はある程度ついて行けていたが、魔術師タイプの神良は苦悶の表情を見せていた。

 最初こそ滑らかに体を落としていたものの、徐々にハムストリングスと大腿四頭筋に加えて大臀筋が悲鳴を上げ、勇利と神良の体を挙げる動きも鈍くなっていく。


「そういえば練兵場でこんな鍛錬はしたことがなかったや……敵を倒すためじゃなくて攻撃に耐える鍛錬なのかな?」

 木の枝に吊るした棒に木の剣を打ち付けたり、砂を詰めた麻袋を持ち上げたり背負って歩いたり、そのくらいしか記憶のない勇利であった。


『やれば出来る! 気合いだー!』

「ぐぬぬ……止めておるだけでもつらいのじゃ……」

「神良、言葉が崩れてる。お屋敷で働くんだからちゃんと通しなよ」


「そうでしたわ……私としたことがつい……」

(魔王としてこの程度、やり遂げてみせようではないか……! あの小娘ひとり認められさせられずに何が魔王か!)


 筋肉に走る痛みについ地の口調が出る神良。神良は魔力で自らの身体能力を引き上げていたので、自らの力のみで体を動かすことにはまだまだ慣れていない様子であった。


『どうした!? 動きが鈍いぞ! しっかり動かせぇ!』

(くっ……魔力さえあればこの程度の動きなど容易いものを……この無力な体が恨めしい限りじゃ……)


 曹長は勇利と神良をただ闇雲に追い込んでいるわけではなく、ふたりの状態を見ながらどこまで追い込むかを見極めていた。

 人間の筋肉がオールアウトする負荷はそれぞれ違うと理解した上で発破をかけているのだ。

 身体を小刻みに振るわせつつも何とか勇利と神良は曹長の提示した回数の一セット目を終えた。


「ひえぇ……脚が悲鳴を上げているよ……」

「もしこれ以上攻められたら私も歩けなくなるかもしれませんわ……」

『初めてにしてはよくやった! 次はこちらをやってもらう』


 ブルガリアンスクワットが終わるとインターバルにツイストクランチの構えを見せる。

 膝を立てて仰向けに寝ると手を肩に当てて胸の位置で腕を交差させ、背を丸めながら肩を反対側の骨盤へ近付けるつもりで上体を捻るように起こす。

 そして体を起こす時に息を吐き切って交互に体を捻っていく様をふたりにも真似させる。


「こっちはさっきのよりは楽かな。回数もさっきのよりこなせるし」

「ですわね。この調子なら行けるやもしれませんわ」

『背を丸めることを忘れるな。気付かないうちに背が伸びると効きづらいからな』


 余裕の言葉を交わすも曹長に注意され、腹斜筋を追い込まれれば軽口を叩く余裕もなく追い込まれていく。


『いいか、これらはただ体力を着けるためだけじゃない。メイドとしての冷静さを失わない為の忍耐力を保てるようにするためでもあるんだ』

(お屋敷でやる仕事は戦闘とは違って危険ではないけど、これもまた心の強さを培うためなのかな……?)

(斯様な状況でもなお優雅さを保てとは。これで保てぬなら魔王の矜持が泣くというものか)


 曹長に体を動かさせる意義を説かれながら、身体が悲鳴を上げるような感覚に襲われつつも三セット目を終えて息を荒くする勇利と神良。

 そこに曹長が体力錬成の終わりを告げる声を掛ける。


『よし、今日はここまでにしよう。少し休んだら”プロテイン”を飲んでおけよ』

「やっと終わりましたのね……脚がふらつきますわ……」

「騎士団の訓練とも違っていて体に堪えるよ。この地の鍛錬は不思議だな」


『と、ちょっと待て。”ストレッチ”を忘れるところだった。筋肉が硬くなったらパフォーマンスが落ちるからアフターケアも怠るな』

「これ以外にもあるんだ……?」

「これで終わったのではありませんの……?」


 勇利と神良は不服そうだったが、これも鍛錬の一環だと思い、曹長に続くのであった。

 曹長が仰向けになり、片膝を抱える。そしてそれに重ねるようにもう片脚を手で抱えた片膝に乗せる。

 その態勢のまま膝を胸に近づけ、背を丸めるようなポーズを取る。すると大臀筋が伸びるような感覚がした。


「へぇ、こんな動きもあるんだ……?」

「これはまた……気持ちよくもありましてよ……」


 左右を変えつつ二十秒ほど伸ばしたところで体がほぐされるような感覚で一種目終えた。

 続いてうつ伏せになると両手で上体を起こして横へ伸ばすように捻る。こちらは腹斜筋へ効かせる動きだ。

 二十秒ずつ伸ばし、痛みが和らぐ感覚も何となく感じた。


 最後に立ち上がると片脚立ちになり、踵を尻に付けて足の甲を掴む。そこから上へ引いて太腿を伸ばす。

 大腿四頭筋が痛むが、こちらも伸ばされる感覚で二十秒ずつ続け、筋肉をほぐした。


『と、トレーニング後の伝達を忘れていて申し訳なかった。これらのストレッチはトレーニング前ではなく後で行うことでパフォーマンスの低下を防げることを頭に入れておいてくれ』


 しかし、曹長が「まだ言い忘れていたことがあったな」と思っているような表情で口を開く。


『今度こそ最後に一点。”休むこともまたトレーニング”だ。明日か明後日のメニューが終わったら一日休みを入れることも検討させてもらいたい。では、プロテインを摂りに行け』


 ストレッチを終えると、先程の曹長の言葉を聞いた勇利と神良は覚束ない足取りでメイド寮の食堂へと足を運ぶ。曹長の指示通り、プロテインについてメイド長の説明を受けている。


「ガラスでもない奇妙な筒ですわね。この中でこの”奇妙な粉”を水に溶かしますの?」

「大丈夫かな? 薬師の工房でも見たことがないほどに細やかだ」

『どうぞお飲みください。毒ではありませんよ』


 初めてプロテインをとシェイカーを見た勇利と神良は警戒していたが、水を入れて蓋を閉じて振って溶かしてみせられれば渋々飲み干していく。

 未知のものに対する不安はあったが、瞬く間に口の中を通ると牛乳のような味わいに魅了された。それと共にポーションを飲んだ時のような安心感が湧く。


「まるでミルクですわ! これは飲んでもよいものでしてよ!」

「うん! 疲れた体に染み渡りそうだよ!」


 初めてのプロテインの味に勇利と神良は口を揃えて称賛する。どうやらふたりにとってこの世界の”お気に入り”がもうひとつ出来たようだった。

 すぐさま傷は癒えないが、プロテインの味が勇利と神良の体に響く筋肉痛を和らげるかのような甘美に思えた。


『そのプロテインとシェイカーはあなた達に与えられるものです。プロテインが尽きそうになったら報告し、シェイカーは飲み終えたら必ずしっかりと洗うように』


 キッチンでの食器用洗剤と食器洗いクロスを使う様を実演してみせて清潔には十分な注意を払うよう厳命された。

 このとき勇利と神良は洗剤にも口に使うものに使う種類の洗剤もあり、”洗剤なら何でもいいわけではない”のだと知った。





 勇利と神良が自室に戻ると再びメイド服に着替え、ノートに書写をしながら自習をする。夜の入浴時には湯船に浸かる体を包む湯の温かさが一層心地よかった。


「風呂が昨日よりも気持ちよく感じるよ」

「ええ、やり遂げた感がして体に染み渡るようですわ」


 入浴を終えて部屋に戻ると、メイドの仕事とは違った筋トレの疲れに襲われつつ、本来の就寝時間よりは少し早かったもののパジャマに着替えてメイドとしての一日が再び終わった。


「風呂は気持ちよかったけど、依然体が痛いな。明日はもっと攻められるのかな?」

「風呂の心地よさはあれど逃げようにも逃げられぬ。奴隷への拷問の如き所業じゃった……」


 ブルガリアンスクワットで脚全体に走る筋肉痛と、ツイストクランチでもたらされた腹斜筋のくすぐったいような痛みを反芻して次のメニューが何なのか想像しかねながら目を閉じる。

 別々の部屋で勇利と神良が明日への不安を口にしながら、プロテインが癒そうとしている筋肉痛に身を任せて眠りへと堕ちていった。

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