行き遅れ令嬢と面食い跡取り
顔文字。
第1話
クラリッサ=マルテル。
彼女はレトルハート侯爵家の一人娘として生を受けた。
健やかな幼少期を暮らし、貴族令嬢らしい舞踊や音楽は程々に覚え、勉学に励む日々を過ごす。貴族学校を卒業してからは領地を治める父の手伝いを続け、気がつけば齢20を越えている。そんな女性だ。
今日も彼女は父の書斎で帳簿の束を抱えていた。
貴族令嬢らしい舞踏や音楽の稽古より、こちらのほうがよほどやりがいを感じられるのだ。父も最初は眉をひそめたが、自分の仕事が楽になるということもあり次第に何かを言うことも無くなった。
その日は窓から差し込む午後の日差しの下で、クラリッサは書類の整理をしていた。机へと向き合う父のペンを置く音で、彼女は紙に向き合っていた顔を上げる。
「クラリッサ」
そう名前を呼ばれ、どこか態度を引き締める。
普段は朗らかな声なのに、そのときだけは妙に淡々としていたからだ。
返事を待つように父の顔を見ていれば、続けて彼は口を開いた。
「お前の嫁ぎ先が決まった」
言葉の意味が理解できず、固まる。
紙束が手の中でずり落ちそうになり、慌ててそれを抱え直した。
「……嫁ぎ先ですか?」
「お前も20を過ぎた。ずっと家に置いておくのも悪くはないが……せっかくの申し出だ。これを断れば、きっと次は無いだろう」
どうやら父の中でも考えに考えた結果のようだ。なおかつ、父からではなく相手から縁談の申し込みが来たということらしい。
しかし話が勝手に進んでいくのは好ましくなく、思わずクラリッサは立ち上がる。
椅子の足が軋む高い音が書斎に響いた。
「お待ちください!そんな、急に言われても……!一体どちら様が、私に縁談を申し込むと?」
父はこともなげに告げる。
「アレクシス=レッドバート卿だ」
クラリッサは耳を疑った。
レッドバートと言えば、グランスード公爵家の家名。はるか昔に英雄と呼ばれた者の系譜であり、それだけでも雲の上の存在だ。しかもアレクシスはその跡取りであり、国立魔術研究機関で名を馳せる若き俊才。彼の論文は王都でも評判で、知識人の集まる夜会では必ず話題にあがる。しかし、色恋沙汰や家の事にはまるで興味が無く、結局その夜会にすら来ないらしいと聞いている。
そんな相手がどうして自分などと婚約を結ぼうと思うのだろう。クラリッサは腕を組み、考えた。
「……どういう経緯で?」
「あちらから手紙が来たんだ。このあいだ、王都で貴族達の会席があっただろう。その際に、グランスード公爵と少し話をしてな。お互いの子供の縁談が纏まらないなと笑っていたんだが……それで、かもしれないな」
はぁ……、と間の抜けた声が出た。
父は気まずそうに頬をかきながらも、真面目な調子を崩さない。
「まあ、一度会ってみろ。本当に嫌だったら断ってもいい。お前が居なくなると、私の仕事が増えてしまうからな」
空気を和ませようとする父を前に、クラリッサは唇を引き結んだ。
(断ってもいい?この歳で?本当に?)
頭の中で数字を並べるように自分の状況を冷静に計算した。確かに、伯爵家の娘としては年頃を過ぎかけている。これを逃せば本物の行き遅れになるのは目に見えたことだ。それに父の顔を立てるためにも、会わずに断るのは良くないことだろう。
「……分かりました。お会い、してみます」
釈然としないまま、彼女は頷いてみせた。
結婚など今までに意識をしたことがない。いったいどうなってしまうのかと、クラリッサの心は確かにざわついていた。
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