第37話 鬱

「お久しぶりですね、英雄様」

「……一カ月経っていないくらいだから、そんなにお久しぶりってわけでもないけどね。聖女様」


俺は努めて平静を装って答える。

彼女は一体いつからいて、どこから聞いていた?


いいや、いつから聞いていた、それは重要じゃない。

だって最初から最後まで俺は弱音を吐いていたのだから、いつから聞いていても聞かれたくないことは聞かれてしまっている。


だから平静を装っても無駄。

無駄なのだが、身体に染みついた習性というか、性というか。半分以上無意識下での行動だった。


そして俺にとって、そこまでが限界だった。

意識してしまえば何もできなくなっていく。体から力が抜けて底なし沼に落ちていくのを感じる。


「……どうやらお疲れの様ですね」


俺の様子を察知した聖女は少し目を伏せる。その顔はどこか悲しげだったが、ヴェールで微妙に表情が隠されて本当のところは分からない。

もしかして俺が限界であることに気付いて俺に接触したのだと思ったが、それも違ったようだ。


普段の俺ならば何か安心させるようなことを言えるのだろうが、今の俺には不可能なことであった。

虚勢を張ることさえ、今の俺には難しい。ただ彼女を見ていることだけだ。


「少し、ついて来てください」


手を差し伸べられる。が、俺がその手を取ることはできない。単純に腕を上げる気力は残されていないかった。

聖女は一歩俺に近づき、俺の手を優しく取った。


体格は同程度だというのに、聖女はいとも簡単に俺を持ち上げて地上に立たせる。

恩寵保有者とシアとポーネから聞いていたが、本当だったようだ。


オルレアから彼女たちよりも遥か高みにいる存在であると教えられていた。

俺にとっては力量的にも立場的にも雲の上のような存在だ。


そんな彼女がどうして俺を英雄と呼ぶのだろうか。

どうして俺に目をかけているのだろうか。


分からない。


そんなことをぼう、と考えながら俺は聖女に手を引かれて廊下を歩いていた。

会話は無い。というか記憶が飛び飛びだ。


まるで風邪の時に見る夢のような意味不明さ。

いや、本当に風邪で今俺は夢を見ているのかもしれない。


「さあ、掛けてください」

「………………………」


気付けば俺はどこかの部屋にいて、柔らかなソファに腰かけていた。

対面には聖女が座っている。


休息は十分にとったはずなのにまた眠くなってきた。


「紅茶です、どうぞ」


聖女の言葉通りに、俺はゆっくりと動き出す。ティーカップを持って、茶を一口啜る。

食道を通って、胃の中に流れ込んでいく。


ふう、と息を吐く。


「美味しいですか?以前悪魔祓いの方が貰って来た最上品質の茶葉らしいのですが」


最上品質。

その言葉に自然と体が強張った。


一般村民であったはずの俺には縁遠い言葉だった。

ただの紅茶でさえまだ慣れないのに、最上品質か。


「美味しい……」


とりあえず、聖女は俺の言葉を待っていた。

絞り出すように返答をする。


聖女は俺と同じ紅茶を洗練された美しい動作で飲み、俺が飲んだティーカップを一度見やる。

ティーカップがソーサラーに置かれた乾いた音。そして。


「嘘ですね」


断じるように、聖女は言い切った。

俺は乾いた笑いが漏れる。彼女には隠し事すら許されないのだろうか。いや、今の俺が分かりやすいだけなのかもしれない。


「いつからですか?」

「……気付いたのは、昨日かな。でも、思えば兆候は一週間前くらいからあった気がするよ」


予想外、とばかりに聖女は押し黙る。


「味覚障害……いいえ、それは一番わかりやすいだけ」


聖女は俺の顔を覗き込んで、確信がいったように頷く。

あってほしくないことが起こったような、そんな悲しい顔をしていた。


「五感が鈍っていますね、英雄様」

「……そうなんだ?」


俺は今さらになって気づく。

そういえばと思い当たる節はあった。


例えば、熱さと冷たさを感じられなくなったり。

不意に音や視界がぼやけたり。


記憶が飛び飛びになっていたり。

言葉が喉元から出てくれなかったり。


「私たちは、傷を癒すことはできますが……疲労までを直すことはできません。だから、どうか休んでください。一週間……一カ月一年でも良いです。一度立ち止まらなければ、貴方の足は止まれなくなる。止まらなくなったその足はいつか千切れてしまう」


気付いていますか?

そう聖女は嘯いた。


「貴方は今、壊れかけているのです」

「………………でも」

「オルレアに許可は頂きました。神聖領にいる以上誰にもノーとは言わせません」


違う、違うんだ。

俺は細くなっていく喉を必死に広げて、言う。


「俺は、シアやポーネに比べれば何もできないただの人だから……少しでも近づかなくちゃいけないんだ……!いつか、助けられるために……じゃないと、隣に立って同じ景色なんて見られない……!」


オルレアは戦力なんて求めていないと言ったけれど、俺は彼女たちの助けになりたい。

そのためにも、俺は走り続けなければいけなかった。


「その結果壊れても本望、というわけですか?」


聖女の声はひどく、冷たかった。


「……意思の力は、こうも厄介なものですか。やれやれ、悪魔の気持ちもわかったような気がします」


聖女は立ち上がって、俺に近づいていく。

俺はその歩みを止めることができなかった。


「一つ言っておきます、私もオルレアも、努力が足りないだなんて思っていません」

「何を」

「少し、強引にでも眠ってもらいましょう」


聖女はヴェールを持ち上げて素顔を晒した。

彼女の両手が優しく、俺の頭を持ち上げて――。


「おやすみなさい、英雄様」


彼女の瞳を見た。





そして、三カ月が経過した。


――――――――――




要するに怠惰ビーム。



新作のご紹介です。ジャンルは現代ファンタジー。

ダンジョン配信ものではございませんのでご留意を。


「何でもない凡人が理想の一刀に届くまで~ゲーム世界に転生したモブ、最強の裏ボスに弟子入りする~」

https://kakuyomu.jp/works/822139840603406942


興味を抱いたのならば、どうぞよろしくお願いします!(ちらっ)

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どうやら俺の幼馴染は闇堕ちしてラスボスになるらしい~命がけで闇堕ちを防いでいたら、滅茶苦茶病んじゃった。これ闇堕ち判定ですか? 栗色 @kuriro

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