平安京ダンジョン

kuroe

羅生門ダンジョン

1.01 開かずの扉

「なあにいちゃん、ほんまに大丈夫なんか?」


 谷川たにがわが言う。不動産ブローカーをしている男で、おれの依頼主クライアントでもある。


 おれがまだ若いのもあってか、谷川は不安そうだ。しきりにタバコを吸っている。涅槃ニルヴァーナとかいう、魔除け効果をうたう銘柄。


 ド派手なマオカラースーツの裏地には、〝金運上昇〟のお札がびっしり縫い込まれている。


「兄ちゃん、今いくつや?」


 谷川がしゃべりつづける。内心の緊張を隠すためだろう。


「今年で二十一」と、おれ。


「自分、高校生やろ?」

「三年連続で留年したダブったんだよ」


 おれは黒の鏡面加工サングラスミラーシェードをかけ直すと、老朽化したオフィスビルへすたすた入っていった。


 谷川いわく、このビルには〝開かずのとびら〟があり、売ることも取り壊すこともできず困っているらしい。物理的に鍵はかかっていないのだが、なぜかドアが開かないのだ。


 ミラーシェード越しに、荒れ果てた無人のオフィスを見渡す。現実の風景と重なり合うようにして、赤黒い染みがあちこちに見える。


 呪的汚染の痕跡だ。


 非常階段をのぼり、〝開かずの扉〟があるフロアへ。


 なるほど、谷川の言うとおりだ。ここは汚染がもっともひどい。呪詛じゅそにかわのようにこびりつき、戸口をふさいでいる。


 近くには真新しい神棚があり、お札がベタベタ貼られているが、ミラーシェードを通して見るかぎり、なんの効き目もない。


 おれは黒革ブラック・レザーのジャケットをはね上げ、腰に手をやった。


 そこに忍ばせてあるのは、ウェアラブル・コンピューターのキーボードだ。キーは日本語でもアルファベットでもなく、古代インドの梵字ぼんじ。キーボードを叩くと、真言マントラプログラムが生成され、光のシャワーが呪詛を洗い流していく。


 霊的ゴーストハッキングと呼ばれる技術テクだ。ドアノブをひねると、〝開かずの扉〟はあっさり開いた。


 部屋は狭くてほこりっぽく、そして異様に生臭かった。


 元はサーバールームだったのか、天井から大量のケーブルが垂れ下がり、スパゲッティのように絡まり合っている。床には何枚か、壊れたフロッピーディスクが散らばっている。九十年代のITバブルのころに建てられたビルらしい。


 おっかなびっくり後をついてきていた谷川が、ボソッとつぶやいた。


「嫌な感じやなあ。ここ、なんかおるんちゃうか?」


 谷川は霊力を持たず、霊的存在に接触アクセス可能なハードウェアも身につけていない。肉眼ではなにも見えないはずだ。それでも本能的に、なにかを感じ取ったらしい。


 おれは部屋の奥でうごめくを一瞥し、ニヤッと笑った。


「別にたいしたモンじゃねえよ、谷川さん。どうやら過労死したり、パワハラで自殺したりした会社員サラリーマンの怨念が、このへんに吹き溜まってるらしい」


 ミラーシェードをずり下げ、谷川の顔をちらりと見る。


「もしかしたら、あんたンとこの下っ端が一人くらい混ざってるかもな」


 谷川がぎくりとする。


 風貌からいって、この男が堅気カタギでないのは明らかだ。裏では人には言えない仕事にも手を染めているだろう。そもそも陰陽庁おんようちょうを通さず、闇ルートでおれに接触してきた時点で、まともなすじの人間ではない。


 おれの目に見えているものは、名もなき怨念の集合体だ。


 見た目は回転草タンブルウィードのようにひと塊になった、ぶよぶよした肉塊。体表からはやせ細った手足や、苦悶にゆがんだ青白い顔が、ざっと二十人分は突き出している。


 長年放置されていたせいか、図体はかなり大きい。浮遊霊を喰うだけでなく、サーバールームの廃材やケーブル、機械部品を呑み込んで成長している。


 うめき声には、古いモデムやコピー機の、ピーピーガーガーという音が混じっている。すでに現実世界に干渉し、影響力を持ちはじめている証拠だ。


 陰陽庁の基準では、霊的災害レベルツー――〝局所的霊障〟といったところか。お役所の連中はレベルスリー以上の霊災れいさいでないと動かないから、結局、この男が泣きついても門前払いを食らっていただろう。レベルツー以下の案件は、たいていおれのような民間業者に回ってくる。


 おれはポケットから呪装端末カースドフォンを取り出すと、念珠ねんじゅをはめた左手ですばやく操作タップした。


 見た目は軍用ミリタリースペックの、ゴツいスマートフォン。だが中身は別物だ。OSはAndroidでもiOSでもなく、梵語サンスクリットで構築されたRamayanaラーマーヤナ。汎用術式アプリの一つ、《結界シールド》を開く。


 その瞬間、怨念が魂を引き裂くような声をあげ、無数の触手で攻撃してきた。


 だが、聖なる言葉マントラ金色こんじきの光となって、呪装端末カースドフォンからあふれ出す。おれの正面に、梵字が浮かぶハニカム構造の盾が実体化し、怨念の攻撃を防いだ。


「ユキ、頼んだぜ」


 その名を呼んだ瞬間、おれの右目がずきりとうずく。光り輝く電子回路の模様パターンがおれの顔から浮き出て、肩から腕へ、そして呪装端末カースドフォンへとのびていく。


 交霊チャンネル完了。


 画面から青白い狐火きつねびがポンッと爆ぜたかと思うと、雪のように白い管狐くだぎつねが飛び出した。


 千雪ちゆき。おれの相棒パートナーであり、人工AI式神だ。


 千雪が甲高くひと声鳴くと、氷でできた呪い釘が十二本出現し、回転しながら宙に浮かんだ。


 怨念が後ずさり、大量の黒い紙片を放出する。その一つひとつは、彼らが生前使っていた名刺だ。名刺が渦を巻き、漆黒のよろいを形成していく。


 だがそのときにはもう、おれは梵字キーを叩きパンチし、新たな真言マントラプログラムを生成している。黒い名刺は一陣の風とともに吹き飛ばされ、無防備になった体を呪い釘が貫いた。


 静寂。


「……なあ、ほんまに終わったんか?」


 事が終わると、谷川が言った。


「すまんけど、わいには見えへんのや。いや、あんたがなんかしてくれはったんは、漠然とわかるんやけど――」

「終わったよ。もうここは安全だ」


 おれは谷川の言葉をさえぎり、呪装端末カースドフォンをポケットにしまった。怨念が吹き溜まっていたあたりを一瞥し、心のなかでこうつぶやく。


「残業は終わりだ。そろそろうちに帰りな」


 谷川は裏社会の人間だが、支払いはきちんと済ませてくれた。おれはジャケットのえりを立て、顔を見られないようにしてビルの外に出た。


 静かな夜だ。空気は澄んでおり、視界には京都タワーがはっきりと見える。今日も変わらず、地上百三十一メートルの高さから、この街を見下ろしている。


 ただ一つ、以前と違っているのは、タワー先端のリングが赤黒く発光し、心臓のように脈動している点だ。


 京都の霊脈が乱れ、危険水域レッドゾーンにあることを示す目印ランドマークにして度量計バロメーター業力観測塔カルマ・ウォッチャー


 かつての京都は、今はもうない。


 二〇一九年の大晦日おおみそか以来、世界は大きく変わってしまった。この街に住む人々にとっても。おれにとっても。


 おれの名は土御門つちみかどジン


 職業は陰陽師。


 ただし、どの派閥にも属さないの、だが。

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