第4話 女のヤサ


 今回もチノパン視点です。



 ◇◇◇◇◇◇



 

「この辺りはお部屋も高くて……マンションではなくアパート住まいですの。でも小さいけれど私のお城。」

 こう言われて、“女”に連れられて来たのは繫華街からほど近い住宅地に幾棟か立ち並んでいるアパートの一つだった。


「あの2階の……軒先に一杯洗濯物を干しているのが私のお部屋ですの」


 見ると、確かにタオルだのシーツだのを一杯に干してある。


「こんな夜遅くまで干しっぱなしなんて、みっともないですね」


「いや、今朝は明け方近くまで土砂降りで……晴れたのは午後からでした。あなたのお仕事からするとやむを得ない事でしょう」


「お優しいのね。刑事さんは」


「えっ? 」


 どうやらこの女にはお見通しらしい。

 ふんわりと微笑んで女は言葉を繋ぐ。


「私を助けていただいたのもお仕事だとは分かっています。でも……刑事さんの優しさにもう少しお縋りしてよろしいですか? 正直なところ今日これから一人でアパートで過ごすのは怖いのです」


 “女としての私”もそう思う。だから一も二も無く返事をした。


「もちろんです。仕事ですから」


「ありがとうございます。その代わりに“手当”と“繕い”をさせて下さいね」


 部屋の前まで来た時、薄暗い外廊下の蛍光灯の下で、オレは初めて、カノジョが左手だけベージュの手袋をしているのに気が付いた。


 オレが

「手袋……」

 と言い掛けるとカノジョはその“ベージュの指先”で摘まみ上げていた鍵を取り落とした。


 慌てて拾う仕草をした時、カノジョがドアとドア枠に渡すようにくっついていた木の葉を剥がし、手の中に隠すのを見た。

 そして身を起こしたカノジョは何事もなかったようにオレに顔を向ける。

 その瞳が蛍光灯の灯りを取り込んでキラリと光る。


「あら、私の秘密にお気づきになられましたのね。私の左手は心を許した殿方の為にとってあるのです」


「……薬指に指輪をなさってらっしゃるのですか? 」


 こう尋ねると女は「ホホホ」と笑った。


「殿方はいつも……とてもロマンチックでらっしゃる」


「違うのですか? 」


「さあ……どうでしょう」

 女は鍵を差し込んでドアを開けた。


「中、散らかしておりますの。お待ちいただけます? 」

 そう言いながらカノジョは中に入り、ドアは閉められた。



 オレはすぐさまポケットの中の自動巻腕時計(ムリさんから借りた)を取り出した。

 しかしその秒針は微動だにしない。


 しまった! ベルトがまだ合わず腕に付けていなかったせいだ。巻き上げ不足になっていた。


 やむを得ず頭の中で時刻をカウントする。


 さっきの葉っぱのトラップでカノジョの用心深さを察知した。 外干しの洗濯物があるという事は、おそらく部屋干ししなければならない洗濯物もあるはず。それを片付けるのに掛かる時間は憶測できる。問題はプラスアルファでどのくらい時間が経過するかだ。それによって何かを隠している可能性も……

 ここまで考えた段階でドアが開いた。


「お待たせしました」



 オレはゆっくりと視線をトレースしながら中へと入った。


 この短時間ではおそらく1、2品しか隠せやしない。


 それとも……窓の外の洗濯物に言及した段階から……オレをミスリードさせる為の巧妙な罠なのか……


「そんなに見られるとは恥ずかしいですわ」


「いや、その……電話、お借り出来ますか? 署に連絡を取りたいので……」


「ええもちろん! こちらです」


 指し示された先にはレースの服を着せられたダイアル式の黒電話があった。

 前に見た昔のドラマ通りだ!!


 もちろん私にはその使い方も分かる。


 しかしその前に……


 私はポケットからさっき“押収”したリボルバー型の拳銃を取り出した。


 ハンカチで掴みながら

 銃口、銃身やグリップをチェックした後

 弾倉を開いて中を確認してから銃を置き、代わりに受話器を取って、記憶している署の電話番号をジーコジーコ回した。



「ああ、柴門さいもんです。ムリさんですか? 」


『チノパン! 今どこだ! 』


「女のアパートです。車で乗り付けた5人組のチンピラから女を守って……すみません!勝手な行動を……ええ、ナンバーは品川……」


『で、女は無事で……刑事ってのもバレてる訳だな! 仕方ない、お前そのまま護衛しろ! しかし気は許すなよ! 』


「ええ、分かってます。あ、それから拳銃を押収しました。リボルバーで弾数は8。弾の刻印から38口径。ただ本体は粗悪です。いびつで仕上げも悪くライフルリングもガタガタ、あとグリップに漢字……簡体字っぽいのが彫られています。中国製かもしれません」


『分かった。くれぐれも気を付けろよ! 』



 電話を切ると女はオレの手元の銃を見ている。


「危ないですよ」


「ホント! そうですわよね。あなた……サイモンさんっておっしゃるの? 」


「ハハ、柄じゃないですけど……“紫”に雷門の“門”と書きます。あだ名は『チノパン』です。御覧の通りジーパン履きですが……」


 オレの一人に女はコロコロと笑った。


「私は瀬能桂せのうかつらと申しますの。瀬戸内海の“瀬”の字にお能の“能”。桂は一文字です。源氏名はケイコ これはご存じでしたか? 」


「ええ……まあ。どうお呼びしますか? 」


「そうですね。あなたには本名で呼んでいただきたいかしら」


「では、桂さんと……オレは『チノパン』でいいです」


「ふふ、ジーパン履きのチノパンさんなんですね」


「そういう事です」


「早速ですがチノパンさん! シャツをお脱ぎになって! まず手当をしなければ……」


 桂さんは救急箱を出して来てブシュブシュと液体を傷口にふりかけ脱脂綿をピンクに染めた。



 手当を終え、ガーゼをテープ留めした桂さんは救急箱を片付け、オレのシャツをクルクルと巻いて手に持った。


「お風呂場で洗いますね。すみませんがお風呂場に干してある下着を取りたいので……ベッドの方に座っていてもらえますか? 」


 オレが移動すると桂さんは部屋を仕切る引き戸を閉めた。


 この部屋……

 どこもかしこも良く掃除が行き届いていた。


 この様な『同性』の部屋を見ると……自分の“女子力”不足を否が応でも実感してしまう。少なくとも“オレ”はこの時代ではオトコで幸運だった。


 クサくとも……


 ん?!


 微かに……


 ニオイが……


 それは近頃辟易として……おかげでかなり鈍感にもなってしまったオトコのニオイだ。


 目をつぶってニオイがする方向に当たりを付け追い掛ける。


 どうやら枕からだ。


 洗いたてのパリッとしたカバーに包まれているが……逆に言えばそれはカバーを変えたばかり!


 オトコの影か……


 恐らく干していたシーツも男との情事の後の事なのだろう。


 客を自分の部屋に引っ張り込むとは考えづらいからなあ……


 客でないとしたら恋人? 愛人? ヒモ?


 この線から何か掴めるかも……オレはマットレスをそっと持ち上げ、その下に手を突っ込み探ってみる。


 指に何か紙片が触れて抜き出してみると、うっすらと湿気っている聖徳太子一万円札だった。


 物音がしたので急いで元に戻し、何食わぬ顔でベッドに背を向けていると、桂さんが灰皿を持って入って来た。


「シャツのポケットにはタバコはなかったので……灰皿もなくお困りかと思って。ベッドで吸わないでなんてヤボは申しませんよ」


「いや、オレ、タバコはやらんのですよ」


「あら、そうですの? 」と言いつつ桂さんは視線の動きをオレに悟られないようにしながらベッド周りをスキャンしているらしい。

 少し間があってオレに話を振って来る。


「殿方は後は吸うものだと思っておりました」


「終わった……ですか? 」


「そう、それを横からかすめて吸うのが私は好きなの」


 まるでオレのを見ていたかの様に桂さんはクツクツ笑って言葉を繋ぐ。


「女がタバコを吸うのはふしだらですか? 殿方はそんな私を捉まえていつもそうおっしゃいます」


 そう言われて……

 なぜだろう……私はがしたくなった。


 なのでシニカルに微笑んでこう答えた。


「私は女です。どういうわけかこの“昭和の世界”に転生してオトコ臭い刑事に成り下がりましたが……だから、そんな女性蔑視的発言をするオトコの気持ちも理屈も分かりません」


 桂さんは一瞬きょとんとしたがすぐにコロコロと笑った。


「なら、私も告白いたしましょう。私はオトコを毒針で刺し殺し食らう毒蜘蛛です。この左手はその証! だからいっそ、あなたがお持ちの拳銃でこの私を断罪してくださいませ」


「それは致しかねます」


「女は撃てない? 」


「いいえ! 一つには……オレは人を殺す為に拳銃を持っているわけではない。人の命を守るために持っているのです。二つには……こんな粗悪な銃では……まともに役には立ちません」


「それは残念ですわ……では取りあえずあなたの左腕にラップを巻きましょう。そしてお風呂に入って下さい。着替えは真新しい物が男物も女物もございます。無理はなさらないでくださいね。後で私がお体を洗いに参りますから……」


「いや、それは不適切でしょう! 」


「あら、あなたは女性でらっしゃるからよろしいでしょ? それに私はどちらでも結構ですのよ。どうか私に恩返しをさせてくださいませ」

 こう言って微笑む桂さんは確かに魔性の女かもしれない。



 ◇◇◇◇◇◇


「タバコをお吸いにならないあなたに」と桂さんがくれた白にエンブレムが印刷されたクラウンチョコレートは外国たばこの箱を模したそうだ。


 背の高いオレは床に布団敷きで……ベッドの上の桂さんを見上げながらチョコの包みを剥いで齧っている。

 やはり煮干しより上手い。


 ふと見ると……カノジョの左手が布団から出ている。


「寝ている時も手袋をしてるのか……」


 布団の中に戻してやろうと左手を取るとひんやりと冷たい。


 どうやらカノジョにはカノジョの……何か大きな事情がありそうだ。


 なぜなら……


 今、

 カノジョはこうして寝入っているのに


 そのつぶった瞼を押して

 涙が川を作り

 頬を伝っているから……






 

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