第3話:白い婚姻の始まり
挙式から数日後、ラファエラは正式にエンツォの侯爵家へと移り住んだ。彼女が目にした新たな居城は、壮麗で完璧だった。大理石で作られた階段や装飾の細部にまでこだわった豪華な作り。侯爵家の格式を象徴するかのような圧倒的な威容を放っていた。だが、その冷たく無機質な美しさは、ラファエラの胸を重くした。
「これが……私の新しい家……」
一人呟きながら、ラファエラは屋敷の中に足を踏み入れる。だが、家族を迎える喜びや温かさはどこにもなかった。代わりに出迎えたのは、整然とした行列を作った無表情な使用人たちと、冷え切った空気だった。
「ようこそ、ラファエラ様。」
執事が形式的な言葉で挨拶する。それに続き、使用人たちが一斉に頭を下げた。
「お世話になります。」
ラファエラは微笑みを作り、穏やかに答えた。しかし、心の中ではこの状況に違和感を覚えていた。どれだけ広く豪華であっても、この屋敷には温もりが欠けている――それが彼女の第一印象だった。
「旦那様から伝言です。本日は仕事でお戻りにならないとのことです。」
挙式からまだ数日しか経っていないというのに、エンツォは既に彼女を放置していた。婚礼の夜すらも彼は形式的な挨拶を交わすだけで自室に引きこもり、その後もまともに会話する機会はなかった。この状況にラファエラは驚くどころか、むしろ「やはり」と呆れる自分を感じていた。
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新居での生活が始まってからも、エンツォとの接触は最小限に抑えられていた。朝食の時間には彼の姿はなく、夕食の席でも彼は簡単に食事を済ませるとさっさと部屋へ戻ってしまう。ラファエラに向けられる言葉はほとんどなく、彼女が何をしていても無関心のようだった。
彼の態度を見て、ラファエラは自嘲気味に笑った。
「私を駒だと言ったのだから、これが当然なのね……」
それでも、彼女は毅然と日々を過ごすことに決めた。こんな状況で心を壊すわけにはいかない。彼女にはまだ守るべきプライドがあった。
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ある日の午後、ラファエラは暇を持て余し、屋敷を散策することにした。侯爵家の庭園は広大で、手入れの行き届いた草木や噴水が美しく配置されている。その中で一際目を引いたのは、色とりどりの薔薇が咲き乱れる一角だった。
「美しい……」
思わず立ち止まり、その場に座り込む。庭師が愛情を込めて育てたであろう薔薇の花々は、ラファエラにかすかな癒しを与えた。彼女は目を閉じ、静かに深呼吸する。薔薇の香りが心を少しだけ落ち着かせてくれるようだった。
しかし、その穏やかな時間は長くは続かなかった。
「何をしている。」
冷たい声が彼女の背後から響いた。振り返ると、そこにはエンツォが立っていた。相変わらず無表情で、彼女をまるで無関係な存在でも見るかのような目つきだった。
「庭園を見ていただけです。」
彼女は静かに答えた。怒りを押し殺し、冷静さを保つ。
「時間を無駄にするのが好きなのか。」
彼の言葉は棘のように突き刺さる。ラファエラは咄嗟に反論しかけたが、すぐに口を閉じた。この人に何を言っても無駄だと悟ったからだ。
「失礼しました。」
それだけを言い残し、彼女は庭園を後にした。
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その夜、ラファエラは自室で一人過ごしていた。豪華な寝室はあまりにも広く、彼女の孤独を一層際立たせた。ベッドに腰掛けながら、彼女はふと昔のことを思い出した。
「小さい頃、幸せな結婚を夢見ていたのに……」
愛されること、家族として温かい日々を過ごすこと――それが彼女の理想だった。だが、現実はその全てを裏切るものだった。エンツォの冷たい態度は彼女の心を少しずつ蝕み、日々の孤独が希望を奪っていく。
その時、ノックの音が聞こえた。
「ラファエラ様、失礼します。」
ドアを開けたのは、エンツォの秘書であるレオナルドだった。彼は静かに彼女に近づき、深々と頭を下げた。
「旦那様からのお言葉をお伝えに参りました。」
「……何でしょう。」
ラファエラは彼の顔を見上げる。レオナルドの表情は穏やかで、どこか安心感を与えるものだった。
「旦那様は、今後しばらく領地の仕事に集中されるため、屋敷にはあまり戻らないとおっしゃっています。それに伴い、ラファエラ様にはご自由に過ごしていただいて構わないとのことです。」
ご自由に――その言葉がラファエラの胸にひどく虚しく響いた。彼女は笑みを作りながら答えた。
「ありがとうございます。お伝えください。」
レオナルドは少し躊躇した後、低い声で言った。
「ラファエラ様、ご不安なことがあれば、何でもおっしゃってください。私は旦那様の秘書ではありますが、ラファエラ様のお力にもなりたいと思っております。」
その言葉に、ラファエラはわずかに胸が温かくなるのを感じた。彼女は小さく頷き、ありがとうと呟いた。
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こうして、ラファエラの「白い婚姻」が始まった。愛も情もない結婚生活の中、彼女は自分の居場所を探そうと少しずつ動き始める。そして、冷たく無慈悲な夫とは対照的に、秘書レオナルドの存在が彼女にとって微かな救いとなっていった。
だが、彼女はまだ知らなかった。この「白い婚姻」の裏に隠されたさらなる陰謀と、彼女自身の運命が大きく動き始めることを――。
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