第17話

「はぁ……とりあえず出よう」


 シャワーを止め、体についた水滴をさっとタオルで拭き取って、浴室の扉を開ける。湿気が一気に外へ逃げていき、脱衣所の空気がひんやりと肌を撫でた。


 そこで、ふと着替えを持ってきてないことに気がついた。


 普段なら、風呂から上がったあとに全裸で部屋まで戻って着替えるのがデフォだった。誰もいないし、移動はほんの数歩。特に不便もなかったから、習慣みたいになってた。けど。


 今、部屋にはレイがいる。


「まあ、一瞬だし。バレないだろ」


 小さくそう呟いて、タオルを肩に羽織った。さっと腰にも巻こうか迷ったが、どうせすぐ部屋に着く。肩からかけてた方が湯冷めしにくいし、迷ってる暇はない。


 そう判断して、そっと脱衣所の扉に手をかけた。


 そっと音を立てないように慎重に開ける。外の空気がひんやりと肌を撫でて、鳥肌が立つ。けど、立ち止まってる余裕はない。


 足早に廊下を進み、脱衣所を出てすぐの自室を目指す。


 自室にあと少しというところで、リビングからレイの声が飛んできた。


「シキくん、あがったの?おかえり~」


 一瞬、足が止まりかける。

 けれど、それを悟られないように、なるべく自然な声で返す。


「んー、ああ。今出た」


 幸い、スマホか何かをいじっているようで、視線がこっちに向いてる気配はない。声の感じからして、ソファに座ったまま、こっちを見ずに声をかけてきたようだ。


 見られてない。たぶん。


 そう自分に言い聞かせながら、俺は歩幅を少しだけ速める。自室の扉に手をかけ、ほぼ滑り込むようにして中に入った。


 ほっと息をついて、部屋の明かりを点ける。濡れた髪と肌に、室内の空気が容赦なく刺さる。


「……っさむ」


 そう呟いて、クローゼットの前まで歩く。バスタオルを外して体を拭ききると、軽く髪にもタオルを当てて水分をぬぐった。さっきまで浴室にいたのが嘘みたいに、体が冷えていく。


 適当に下着と適当なスウェットを引っ張り出して、急いで袖を通した。着慣れた服の柔らかさが、ほっとする体温を取り戻させてくれる。


 けれど、いくら引き出しを探しても、肝心のスウェットのズボンが見当たらない。


「あれ……?」


 もう一度、引き出しの奥まで手を伸ばす。冬物、夏物、バラけて突っ込まれている衣類をひっくり返してみたが、やっぱり、ない。


 ああ、そうだ。


 つい先週、膝のとこ破れたままになってたやつ。この前「もういいか」って思って、捨てたんだった。そのついでにゴムが緩くなったやつとか履かなくなったやつもついでにと断捨離したことを思い出した。


 二本あれば、とりあえずいいだろって思ってた。だから、まだ新しいの買ってなかったんだ。


「マジかよ」


 下着のまま戻るわけにもいかないし、小さくため息を吐いて、引き出しの奥から夏に履いてた短パンを引っ張り出す。


「これしかない、か」


 どうせ部屋着に使ってたのに変わりはないんだし。そう自分に言い聞かせながら、それを履いてリビングへ戻る準備をした。


 タオルで髪をわしゃわしゃ拭きながら、俺はリビングへ向かった。髪の水分がまだ完全には取れてなくて、肩にかけたままのバスタオルが少し濡れてきていた。


 レイはソファに座ったまま、スマホをいじっていたが、俺の姿を見た瞬間、目を見開いた。


「……え、ちょ、ちょっと待って!?シキくん、それ足出しすぎじゃない!?」


「うるさい、これしかなかったんだよ」


 うるさいなと視線を向けると、レイは顔を赤くしながら俺の足を指さしていた。


「それって半パンっていうか、もうほぼ……下着というか……短すぎない……?」


 レイは咳払い一つして、ちらちらこっちを見ながらやたらと目線をさまよわせている。わざとか、コイツ。


「じゃあ見るなよ」


 呆れ混じりに吐き捨てる。こっちはズボンがなくて仕方なくこれにしただけだってのに。


 まぁ、確かに俺が今履いてるのは、実家で姉ちゃんが使ってたルームウェアの短パンだから丈は短い。


 顔が少しだけ熱くなるのを感じながら、視線をそらしてソファの隣に腰を下ろした。


 レイはというと、まだ頬を染めたまま、横目でちらちらと俺の脚を見てくる。


「お前、見すぎ」


「見てないってば!いや、見てるけど、ていうか、目に入るんだって!」


 必死に言い訳してるその口調が妙に焦ってて、なんだか逆にこっちが恥ずかしくなってくる。


 俺はタオルで髪を拭く手を止めて、レイを睨むように一瞥した。


「なら、見えないようにするから、その毛布取って」


 指先でソファの背にかかっていた毛布を指すと、レイは慌ててそれに手を伸ばした。


「え、あ、うん、はいこれ!」


 若干ぎこちない手つきで毛布を手渡してくるその動作すら、なんか気恥ずかしい。


「ったく……」


 ぶつぶつ言いながらも、それを膝にかける。ようやく露出してた足が隠れて、少しだけ落ち着いた気がした。


 ふと視線を上げると、レイは、まだほんのり赤い顔のまま、何か言いたげに俺の顔を見ていた。


「なんだよ」


 問いかけると、レイは小さく肩をすくめて、目線をそらす。


「いや……なんか、隣にいると落ち着かなくて」


「は?」


「だから、ちょっと離れるね!?あ、そうだ、ドライヤーしてあげるよ、ね?そっちの方がいいでしょ!?」


 レイは勢いよく立ち上がると、ソファの背もたれを回り込んで、俺の後ろ、背中側へと移動していく。


「べつに、どっちでもいいけど」


 そう答える頃にはもう、レイは後ろに回り込み、タオル越しに俺の頭にそっと手を添えていた。


「ギリギリ、コード届くね。……じゃあ、乾かしていくよ~」


 軽くそう言う声の温度が、少しだけ優しくて。

 次の瞬間、耳元でドライヤーのスイッチが入る音がして、くすぐったい風が髪を揺らした。

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