第19話

 食事を終え、容器をまとめた後も、どちらからともなく言葉を探すように沈黙が続いた。その静けさの中で、時計の秒針の音がやけに大きく響く。


「そういえば」


 ふと思い出して、口を開く。


「俺のスマホ、どこいった?」


「あ、向こうで充電しっぱなしだ。持ってきますね」


 イオリはすぐに立ち上がり、軽い足取りで部屋を出ていき、数分後、スマホを手にして戻ってくる。



「これ。ちゃんとフル充電になってました」


「……ありがと」


 イオリは少し微笑んで、また椅子に腰を下ろす。


 スマホの画面を点けると、いくつかの通知が並んでいた。姉ちゃんからのメッセージもあったし、レイからも連絡が来ている。


 短いやり取りを返している間、視線を感じてふと顔を上げた。


 イオリが、テーブルに肘をついたまま、にこにこと笑いながら俺のほうを見ている。

 その笑顔に、どう反応すればいいかわからなくて、思わずスッと視線をスマホに戻す。


 その際にふと時間がすでに22時を少し過ぎていることに気づき、思わずぼそっと呟いた。


「もう、こんな時間か」



「眠たいですか?」


 その問いに、俺はスマホをテーブルに伏せながら軽く首を振る。


「いや。さっきまでずっと寝てたし眠たくはない、かな」


「まぁ、そうですよね」


 イオリは一度だけ視線を落とし、何か考えるような仕草をして、ハッと顔を上げた。


「じゃあ、眠くなるまで映画でも観ませんか!?」


「映画?」


「はい!俺、サブスクいくつか入ってるんで。なんでもありますよ」


 イオリは笑いながらそう言って、ソファの近くに移動して、リモコンを手に取りテレビの電源をつける。「シキ様もこっち来ましょうよ」と言われソファに腰掛ける。イオリはそんな俺の隣にボフンと腰掛けそのままリモコンをいじりだす。


「いっぱいありますけど、どれがいいですか?」


「なんでもいい。お前が観たいので」


「え、またそれですか。シキ様、選んでくださいよ」



 少し拗ねたように眉を下げるイオリに、苦笑いで返す。差し出されたリモコンを受け取って、テレビの画面に並んだタイトルを見ていく。


 アクション、恋愛、ホラー、コメディ、どれも心惹かれるものがなく、「うーん」と言いながらカチカチとリモコンの矢印を押す。


 画面を流していると、ふと、目に留まったタイトル。目についたその一枚を指さした。


「じゃあ、これは?」


 画面に映るのは、薄暗い廃墟と配信者らしき者の姿。あらすじには、心霊スポットに潜入調査する配信者に襲いかかる数々の怪奇現象が~と書いてある。


「えっ、これですか!?」


「うん、これ前から気になってたなって」


「これ……ホラーじゃないですか」


「そうだけど、ダメなのか?」


 俺が首を傾げると、イオリはわずかに引きつった笑みを浮かべた。


「い、いや、ダメってわけじゃないんですけど」


 イオリはわかりやすく視線を泳がせ、俺の手からリモコンを奪い、別のタイトルを開く。



「これはどうですか!?このシリーズめっちゃ面白いんですよ。続きものなんですけど、途中からでも話もわかりやすいし」


 弾んだ声で説明してくるが、その手の動きがどこか落ち着かない。



「お前、ホラー無理なの?」


「えっ?い、いやそんなことは……」



 言葉に詰まりながら、わずかに視線を逸られる。


「怖いの、苦手なんだな」


 わざと煽るように言ってみると、イオリの肩がぴくりと動いた。


「そ、そんなことないです!ただ、音とか……びっくりする系が、ちょっと……」


「要するに苦手ってことだろ」


「ち、違いますって!」


 必死に否定しながら、顔を赤くして抗議するその姿が、その反応が面白くて、思わず笑いそうになるのを堪える。


「じゃあ決まりだな。さっきの観よう」


「えぇぇぇ!?いやいや、待ってくださいよシキ様!」


 イオリは抗議の声をあげて、リモコンを胸に抱え込む。その仕草がまるで子どもみたいで、思わず笑いそうになる。


「これだけは勘弁してくださいって!あれ本当に怖いやつですよ、絶対!」 


「怖くないって、大丈夫」


 そう言って、わざとゆっくり手を伸ばす。

 イオリはリモコンを守るように両手で抱え、体をひねって背中を向けた。


「だ、だめです!俺ほんとにびっくりすると変な声出るんで!」


「変な声?」


「っ、今のは忘れてください!!」


 顔まで真っ赤にしながら、必死にリモコンを死守している。その姿が妙に可愛くて、つい悪戯心がうずいた。


「ふーん、そっか。俺が観たいって言ってるのに、ダメなのか……」


 わざと少し寂しそうな声を出して、ゆっくりと身を引く。イオリがハッとこちらを振り返った瞬間、口の端が勝手に上がる。


「それなら、仕方ないな」


「っ……」


 言葉に詰まったイオリは、まるで反論を探すように唇を開きかけて、それから観念したように小さくうつむく。


「うっ、ずるい言い方しますね、シキ様」


「じゃあ、決まりだな」


 イオリはちょっと嫌そうな顔をしながら、さっきのタイトルを開いてくれた。


 テレビの画面がふっと暗転し、静かなイントロが流れ出す。徐々に明るくなって配信者たちが動画を回し始めるシーンが始まる。その映像が壁や床をぼんやり照らして、部屋の空気がひんやりと変わる。


「せっかくホラー観るんだし、照明も全部消そうぜ」


「えっ!?い、いや、その……」


「雰囲気、大事だろ?」


 そう言いながら、俺はテーブルの上に置かれた照明のリモコンを手に取り、ボタンを押す。


 ピッと小さな音がして、部屋の光がおちる。その瞬間、空気の温度がひとつ下がったように感じた。


 暗闇の中、スクリーンの青白い光だけが、俺たちの輪郭を淡く浮かび上がらせる。


 俺はソファの背にもたれ、横目でイオリを見る。イオリは姿勢を正してクッションを両手で抱え込み、画面を真剣に見つめていた。


「本当に怖くなったら、止めてもいいぞ」


「い、いや、大丈夫です!」


 強がるように言いながら、クッションを抱え直すイオリ。その仕草が可愛くて、思わず笑いそうになる。


 画面の中では、配信者たちが心霊スポットへ向かう車の中で笑い合っている。

 その軽い笑い声が、逆に不気味に感じられるのは、たぶん夜だからだろう。

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