第7話 二人が願ったもの


Side A:池田祥子


 目を開けると、そこは静かなビジネスホテルの一室だった。

 白いシーツの肌触り。窓の外を走る車の音。

 ――間違いない、私の世界だ。


「……帰ってきたんだ。」


 胸の奥が、ゆっくり現実に戻っていく。

 テーブルの上には、一枚のプラチナカード。

 恐る恐る残高を確認して、息を呑んだ。


 ゼロがいくつ並んでいるのか、数えるのも大変なほどの桁数。

 手が震えた。


「これって……おじいちゃんの成果なんだね。」


 ぽつりと呟いた途端、涙がにじんだ。

 ――すべては、あの金貨から始まった。


 焼き芋を頬張って笑う子どもたち。

 『芋嬢さま』と呼ばれて顔を赤らめた日。

 消毒液を片手に『ショーコ式消毒法!』と叫ぶ村人たち。

 太鼓と笛の音に包まれ、誰もが笑っていた広場。


 思い返すたびに、胸があたたかくなる。

 あの世界でやったことは、決して無駄じゃなかった。

 何度も泣きそうになったけど、それでも前を向けた。


「……やるべきことをやった。

 神様、ちゃんと見てくれてたんだね。」


 その瞬間、手の中の『古代王の金貨』が、かすかに光を帯びた。

 やわらかな黄金の輝きが、部屋いっぱいに広がっていく。

 光は宙へとゆっくり浮かび、淡い粒となって消えていった。


 まるで――「よくやった」と、誰かが微笑んでいるみたいに。


「ありがとう……おじいちゃん。」


 声が震えた。涙が頬を伝う。

 けれど、それは悲しみではなく、静かな幸福の涙だった。


 ――これからは、この世界で。

 私の力で、私の道を歩いていく。


 金貨の余韻が消えたあとも、部屋の中にはほのかな光が残っていた。

 その光はまるで、異世界から届いた『ありがとう』のように、私の心を優しく照らしていた。




Side B:レイナルト=フォン=グランシュタイン


 我は再び、魔導の塔に立っていた。

 窓の外には、金色の穂が風に揺れ、かつて荒廃していた大地が嘘のように輝いている。

 村人の笑い声、子どもたちのはしゃぐ声、焚き火の向こうに広がる温かな食卓。


「……これが、争いなき世の実りか。」


 かつて炎を戦のために振るった我が、この光景を見る日が来るとは。

 思い出すのは――未来から現れたあの幻影。

 我が孫、ショーコ。

 科学とやらの知恵をもって、飢えと病に苦しむ民を救った少女。


「我が孫よ。お前が残した知恵を、我は決して忘れぬ。」


 そのとき、塔の扉が勢いよく開かれた。

 家臣が駆け込み、息を弾ませて叫ぶ。


「お館さま! お嬢様が……ご出産にございます!」


「……そうか。」


 我は胸の奥が熱く震えるのを感じた。

 やがて布に包まれた赤子が運ばれてくる。

 その寝息は穏やかで、まるで世界そのものが呼吸しているかのようだった。


「名は……『ショーコ』とせよ。」


 家臣たちが驚きの声を漏らす。

 だが我は静かに微笑んだ。


「この名には、未来を照らす光の響きがある。」


 赤子の小さな手を握った瞬間、胸の奥に確信が生まれた。

 ――未来から来たあの幻影は、この子の姿を先に映していたのだ。


「ショーコよ。お前と共に、この国を導こう。

 この炎は、もはや争いのためではない。

 民の糧となり、未来を照らす光なのだ。」


 窓から射し込む陽光が赤子を包み、塔の広間は柔らかな輝きに満ちた。

 炎の魔導士としてではなく、祖父として。

 我は、この国の未来を守るために生きようと決めた。


 ――遠い空の向こうで、同じ光が瞬いた気がした。

 あの異なる世界の少女もまた、自らの道を歩き出しているのだろう。


 ならば我も、胸を張って進もう。

 炎を抱き、希望を掲げて。


 静かな風が塔を抜けた。

 その風の向こう、まだ見ぬ世界で、誰かが笑っている気がした。

 その声は、まるで未来を運ぶ『天使のささやき』のようだった。



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