ふたり暮らしは秘密の距離
リョウ
第1話 はじめましてお兄ちゃん
道路沿いの桜。道路には花びら1枚も落ちていない。俺、
時刻は確か22時を少し過ぎた頃だ。お風呂からあがり、Switch2を起動してすぐだった。
突如としてスマホが震えだした。視線をやるとそこには”LINEオーディオ”と”母”の文字が表示されている。
どうやら着信らしい。今年で28歳。すっかりアラサーおじさんではあるが、プライベートで電話がなることはほとんどない。
大体がLINEかX、インスタのDMで事足りるからだ。あえて電話をするときは緊急の時か、待ち合わせの時くらいだろう。
だが親世代は文字で打つより早いから、と直ぐに電話を掛けてくる。
彼女といる時だったらどうするんだよ。まぁ、そんな相手いないんだけど。
心の中で吐き、1人で傷つきながら電話に出る。
「もしもし」
『もしもし、蒼太くん。久しぶり』
「お久しぶりです」
家族との電話とは思えないほどの他人行儀。だが俺を蒼太くんと呼ぶのは母だ。ただ普通に母ではない、義母なのだ。
俺が幼い頃、実の母は亡くなったと聞いている。元から体が弱かったこともあり、病気になってからは早かったとか。だが、高校3年生になる春、父が再婚をし義母ができた。すんなり受け入れられた、いうほどすんなりではなかったが、それでも受け入れるまでに時間はかからなかった。おそらく、本当の母のことをあまり覚えていない、というのも大きいと思う。
『最近はどう? 元気にやってる?』
「大変なこともありますが、元気にやってますよ」
だが大学進学と同時に家を出た為、義母との生活時間は実質1年ほど。流石に敬語が抜けることは無い。
『良かった』
安心したんだろうな、と電話越しでも分かった。
『蒼太。ちょっとお前に頼みがあるんだ』
それから時間をおかず、義母の後ろから声が飛んできた。父だ。スピーカー状態で電話をしていたのだろう。
「何? ゴールデンウィークには帰る予定だけど」
こういう時はたいてい、そろそろ実家に顔を出せのパターンだろう。そう判断し、先手を打ってみる。
『そうか。いまはその話じゃなくてな』
どこか歯切れが悪い。怪訝な声色で返事をすると、少し間を置いてから父は言う。
『
花怜。覚えてるも何も、父が再婚した時に出来た義妹だ。まだ小学校低学年だったが可愛らしい印象は残っている。
「流石に覚えてるけど」
『良かった。その花怜なんだけど来週から大学生で
花怜がそんなに大きくなっていたとはなぁ。俺があまり実家に戻らないとはいえ、大学生か。最後に会ったのは小学4年生くらいの時のはず。それ以降は部活だったり、友だちと遊んでたりとなかなか日が合わず顔を合わせていない。
そんな懐かしい記憶に思いを馳せるのも一瞬。
「へぇー。って律協!?」
大学名に思わず声が大きくなる。律協といえば、俺の住んでる所から1番近い大学。偏差値とか見るとそんなに賢いとは言えない大学ではあるが、ガラの悪い大学でもない。
そしてそれと同時に嫌な予感がした。
『そう。
はい、的中。てか流れ的にそうだよなぁ。
「いやいや、それは無理だって。一応2人でも住める部屋だけど契約は単身で申し込んでるし、それに花怜だって嫌だろう」
『契約については問題ない。管理会社に連絡して許可は貰ってる。家賃についてはこっちで全部払うし、食費も仕送りするつもりだ』
捲し立てる俺に、父は冷静に返事をする。管理会社にまで連絡済み?
え、これ確定事項なの?
「お金もそうだけど。流石に小4から会ってないおっさんと住むの花怜も困るだろう」
『花怜もそれでいいと言っている。だから頼んだ。明日の夕方、
じゃあ、と父は言いたいことだけ言って電話を切った。
「頼みたいことって、強制じゃねぇーかよ」
暗くなったスマホ画面にそう呟くも、もちろん返事は無い。
俺の意思など関係はないらしい。てか、マジで大丈夫なのか?
兄妹とは言え血は繋がっていないわけで。しかも歳頃だぞ。普通に考えたらそんな男女がひとつ屋根の下っていいわけなくね?
「明日って行ってたよな。くそ、ゲームできねぇーじゃん」
スタート画面のまま俺のプレイを待っていたが、どうやら今日はお預けのようだ。
足元に畳んで置きっぱなしにしている洗濯物。あちらこちらに散見される髪の毛。どうしてこんなに落ちてハゲないのか不思議なくらいだ。
妹とはいえ、家に人が来るのだからこれらの掃除をしないといけない。
スリープ状態になったスマホのロックを解き、ゲームをする約束をしていたフレンドにメッセージを送り、大きな溜め息をついた。
* * * *
「おい掛川、今日の予定は?」
会社での会議が始まる。
「今日は午前中に田中さんのところに集金、それから積金の再契に走ります。午後からは森本商事が設備が古くなってきたって言われたので融資かリースで対応出来ないか面談してきます」
賢い大学ではなかったが運良く信用金庫に採用された。毎日似たようなことをやってはいるがある程度決まった時間に帰宅でき、給与もそこそこあるので不満は少ない。
「よし。森本商事、進捗あったら報告頼むぞ」
返事はするも、今日はそれどころでは無い。花怜が家に来ることに不安しかないからだ。あんな時間に言われて綺麗に掃除できるわけないだろう。なんて思っているうちに会議は終わり、業務が始まる。
「なんかソワソワしてるな。森本商事行けそうなのか?」
隣の席に座る1つ上の先輩、
「そんな風に見えますか?」
「いや、たぶん仕事じゃないんだろうなーって思ってる」
チャラそうな見た目をしているが、意外と人のことをちゃんと見ている。一瞬表情を固めてしまうも上村先輩は見て見ぬふりをして続ける。
「まぁ何でもいいんだけど、俺の順位だけは抜かさないでくれよ」
俺たちの会社は渉外、内勤で分けて獲得した預金量、融資額等に応じたポイントが振り分けられ、それが毎月順位として発表される。最下位だからダメ、とかではないが昇給には響くものとなり賞与にも影響があるため結構気にしている人は多い。
「そんな額にならないと思いますよ」
そんな会話をしながら集金に行く準備を進め、俺は店を出た。
「田中商事についてなんですが、古くなった設備は修理じゃなくて買い替えを希望しているとのことで、来週くらいに見積取るって言われてました。なので時期見てまた訪問しようと思います」
定時である17時30分を少し過ぎた頃。俺は片付けを済ませ、支店長に今日のことを報告する。
「了解。大体の金額とかは分かるのか?」
「中古だと1800万とかで新品だと3200万くらいかなってことらしいです。新品だと納入までに時間かかるし中古かなって言われてました」
「まぁ、融資できるのが1番いいけどな。他行に取られないようアプローチよろしく」
俺の報告を自身の手帳にメモし終えたのを見て退勤の挨拶をする。
「お、今日は早いんだな。デートでもあるのか?」
ニヤついた表情でそう話してくる。言う相手が違ってたらセクハラと言われてもおかしくないだろう。ただ支店長にそういうつもりが一切ないと見える。本当に残念なところである。
「いえ、そういうのはないです」
相手妹だし。
「早く帰れるときは帰った方がいいからな。お疲れ様」
それ以上は特に何かを言ってくるわけもなく送りだされる。頭を下げ、更衣室に置いてある通勤リュックを持って時間を確認する。
17時42分か。
──今日18時06分着の電車乗って行くから!迎えよろしくね♡
兄に送るLINEじゃないだろう。昼過ぎに花怜から届いたLINEを見返し、リミットまであと20分も無いことを確認する。
「ギリだな」
リュックを背負い、自転車にまたがる。ここから姫咲駅まで早くても15分はかかる。信号に引っかかったりすればそれ以上かかることになるだろう。
LINEを開き、花怜にメッセージを送る。
──いま仕事終わったから向かう。ちょっと遅れるかもしれない。
自転車を飛ばすこと約15分。どうにか約束の時間までに姫咲駅に到着した。
駐輪場に自転車を止め、改札口の方へと急ぐ。
──1人で駅で待つのとか嫌なんだけど
自転車を漕いでるうちに花怜から返事があったようだ。1人でって、こっちだって遅れたくて遅れてるわけじゃないのに。ていうか、間に合ってるし。
──大丈夫だ。ギリ間に合った。改札口にいる
ありがとう、のスタンプだけが返ってくる。春先でまだ汗をかくような季節ではない。しかし、急いで自転車を漕ぎ、急いで改札口まで来たのだ。流石に少し汗ばんだような気がする。
短く息を吐き、Xのツイートを流しながら待つ。
マジで花怜がどんな姿になってるか想像つかないんだよな。LINEのプロフィール画像で、髪が長いことだけは分かるが、後ろ向きで顔は分からない。髪の長さだって、昔に撮った写真なら今は違う可能性あるか。
顔も知らない、でも名前とLINEは知ってるってマッチングアプリの待ち合わせってこんな感じなのかな。
そう考えた瞬間、恥ずかしさが一気に襲ってくる。シャツが出ていないか確認し、ネクタイを締め直し最低限の身だしなみを整えたところで改札口から大量の人が出てきた。
花怜が乗っているであろう電車が到着したのだろう。
「緊張してきたな」
Xを閉じ、LINEを開く。それと同時に花怜からLINEが届いた。
──お兄ちゃんみっけ
スマホに向いていた視線を上げて、辺りを見渡す。
スーツ姿や制服姿の人で溢れかえっている。だがおそらくそのどれとも花怜は違う。
一方的に認知されてて見られている。まるでスナイパーにでも狙われているような、そんな気分になる。
──慌てすぎて面白いんだけど!
続けて送られてくるLINE。だがどれが花怜か分からない。まだキョロキョロしているとまたスマホが震える。
──前。今改札抜けるよ。
どうやらまだ改札を抜けてなかったようだ。改札を抜けた人たちばかりみていたからな、気づかなくて当たり前か。
どこかホッとした気持ちになりながら、改札へと顔を向けた。
「は?」
小さな音だった。周りの人には聞こえないレベルだったと思う。俺が想像していたよりも遥かに可愛くて、綺麗な女性がいたずらっぽく微笑んでいる。
同時にそれが花怜だと直感して声がこぼれた。
「花怜、なのか?」
情けない、という表現がピッタリであろう声色と態度で。俺めがけて一直線に歩いてくる彼女に問いかける。
「そうだよ」
容姿端麗? そんな言葉で片付けられない。
大きく切れ長の目にスっと筋の通った鼻。微笑むだけで見えるえくぼ、整った口。どこをとっても1級品と言って過言ない花怜は、少し茶色がかったポニーテールを後ろに靡かせて言う。
「はじめましてお兄ちゃん」
はじめましてじゃないだろう。なんてツッコミすら出来ず。俺はただただ花怜から目を離すことが出来なかった。
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