都会の幽霊

@kagami1990

第1話 ある物語

目黒駅の有隣堂、スピリチュアルのコーナーで「私の殺し方、または死に方」というタイトルが目に入る。私はそれを手に取る。


ハードカバーだが、サイズが一回り小さい。表紙は白地で、水色の四角の上に黄色い三角形が重なっている。小学校高学年の算数の教科書の表紙のようにみえる。表紙はまさに、小学生が使ったようなくたびれ方、汚れ方をしている。黒ずみはまるで消しゴムの消しカスがこびりついたようである。


「私の殺し方、または死に方」

という文字は明朝体で表紙上部に印刷されている。


殺し方と死に方は別なのか。と私は考える。

私が主体的に私の命を立つ行動を取れば殺しだ。死に方、死に方はどうなんだ?

そもそも、「または」というのはどこにかかっている?


私は2つの説を考えてみる。

①私の | 殺し方,または,死に方

②私の殺し方 | または死に方


①は、私の殺し方、または、私の死に方、と同義とみる読み方だ。「私の殺し方」、の場合、対象が私である自死のケースを真っ先に連想したが、対象が他者や他生物である可能性もある。であれば、「私の(こだわりの)(ある対象の)殺し方」か。では「私の死に方」、これはどうだろう、私の、と言っているからには、「私の(理想の)自死の仕方」というような感じだろうか。

②は、前者の私の殺し方については①で検討したもので十分だろう。しかし、「または死に方」というのは茫漠としている。あえて「私の死に方」ではない読み取りをするのであれば。広く一般的に「How to Die」かもしれない、しかしあまりにも前者と非対称だ。やはり「My Way of Dying」に思える。

My Killing Way and My Way of Dying、とすると、「私のこだわりの殺し方、死なば諸共、その後の私なりのけじめのつけかた」そんな感じかもしれない。うん、それでいこう。


なんとなく立ち読みをする気が起こらず、私は漫画コーナーを横目に、追いかけている少年漫画の新刊がないことを確認して、会計へ向かった。


税込みで3780円だった。

値段をみていなかったが、値段をみていたら買わなかったかもしれないと思った。


不意に尿意を催した。

目黒アトレの女子トイレは臭くて苦手だったが、強度の尿意だったので仕方なくそこで用を足した。

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