大陸圧搾

クソプライベート

握力剛の朝は、いつもドアノブとの戦いから始まる。並の力で回せば、ぐにゃりと飴のようにひしゃげてしまうからだ。彼は産毛を撫でるような絶妙な力加減でそれを回し、ようやく外の世界に出る。彼の人生は、常に「握りすぎない」こととの戦いだった。

​そんな剛が、先日雑貨屋で一つのストレスボールを見つけた。オーストラリア大陸の形をした、なんとも言えない表情のコアラの顔がプリントされた、ぷにぷにのスクイーズだ。

「これなら、全力でいけるかもしれない…」

日々のストレスで限界だった剛は、藁にもすがる思いでそれを購入した。

​その夜。上司の理不尽な叱責を思い出し、剛の血管がキレた。

「うおおおおおおぉぉぉぉ!!!」

手の中のオーストラリアに、ありったけのストレスを叩きつける。シリコンの塊は彼の指の間で悲鳴をあげ、みるみるうちに小さく、硬く圧縮されていく。最終的に、それはパチンコ玉ほどのサイズになり、コアラの顔は点になった。

​「…ふぅ、スッキリした」

​剛が賢者タイムに浸っていたその頃、南半球では未曾有の大パニックが発生していた。

​『緊急ニュースです!オーストラリア大陸が、原因不明の急激な縮小を開始!現在、その面積は日本の四国と同程度まで縮んでおり、専門家にも全く原因がわかっていません!』

​テレビに映し出されたのは、シドニーのオペラハウスに人々が殺到する映像。しかし、そのオペラハウスが、まるでミニチュア模型のように小さい。カンガルーはチワワほどの大きさになり、エアーズロックは近所の公園の大きな石くらいになっていた。大陸があまりに小さくなったせいで、周辺の海水が巨大な滝となって大陸棚に流れ込み、世界中の海面が数ミリ低下していた。

​「え…?」

​剛は手の中のパチンコ玉と、テレビに映る小さなオーストラリアを交互に見た。コアラの点が、心なしかこちらを恨めしそうに見ている。

​「まさか…な」

​冷や汗が背中を伝う。彼は震える手で、もう一つ、一緒に買っておいたタスマニア島型(別売り)のスクイーズを手に取った。そして、ほんの少しだけ力を込めて、きゅ、と握ってみた。

​『速報です!たった今、オーストラリア南部のタスマニア島が消滅しました!』

​「俺だあああああああああ!!!」

​剛の絶叫が、ワンルームに虚しく響き渡った。

​その後、世界は「ミニ・オーストラリア」の存在をなんとか受け入れた。観光客は、一日で大陸を一周できる手軽なツアーを楽しみ、小さくなったコアラは「ポケットコアラ」として新たなペットブームを巻き起こした。

​そして剛は、二度とストレスボールを握ることはないと固く誓い、両手に何重にもミトンをはめて生活するようになった。彼の机の上には、決して触れることのないようガラスケースに厳重に保管された、パチンコ玉サイズの元オーストラリアが置かれている。

​それは、人類史上最もスケールが大きく、そして最も馬鹿馬鹿しい過ちの記念碑として、今日も静かに鎮座している。

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