第2話 黒翼のレクイエム

放課後の教室。

窓の外は薄曇り。陽菜は、今日も机の上でスマホを指先でいじっている。

通知をチェックするふりをしながら、実は昨日もらった「黒翼のレクイエム」のチラシの写真を何度も眺めていた。


(あの人、やっぱりカッコよかったな…)


少しだけ見えたライブの記憶がフラッシュバックする。

スピーカーを震わせる低音、鋭く突き抜ける歌声、熱気で満ちるステージ。

その中心で、黒髪の少女の眼差しだけが、陽菜の記憶の中で妙にクリアに焼き付いている。


(同じ年くらいなのに…私は“観てる側”のままだ)


「ひーな!またスマホで“推し活”してるでしょ~」


陽菜の頭上から、親友のくすぐったい声。

「ち、ちがうよ……」

あわてて隠そうとしたスマホ画面、しっかり友人に見られている。


「もう~隠さなくていいって!ねえ、今日部活来れる?また神社のお手伝い?」

「うん、今日は巫女服の日…」

「ひな、ほんと真面目~。でも推しのライブは逃さないのね」


からかい混じりの声。

だけどその温かさに、陽菜は少し救われる気がした。


神社の空気は、学校のそれとはまるで違う。

制服から巫女服に着替えると、不思議と背筋が伸びる。

境内の掃除、御朱印の整理、時々観光客の対応。

穏やかな日常。でも、今日はどこか集中できない。


箒を握る手に、昨日からのモヤモヤがまとわりついて離れない。

(あのバンドの子は“自分の世界”を持ってる。私は…)


ふいに、頭の奥に響く声。


『陽菜、そろそろ本気出す時じゃない?』

イチキシマヒメが、軽口混じりに話しかけてくる。

『焦らないで。君のリズムで大丈夫』とタキツヒメ。

『でも、チャンスはそんなに何度も来ないぞ』とタキリビメ。


三女神の“脳内チャット”は、今日もやかましい。


「もう…静かにしてよ…」

陽菜は箒で地面を一気に掃く。

(でも、本当は聞いてほしい。私のこの気持ち)


掃除の後、陽菜は神楽殿の前で立ち止まった。

古びた扉の向こう、いつもは静かな舞台が、今日はなぜか妙に自分を呼んでいる気がする。


思わず中に入る。

スポットライトなんてないけれど、日の光が舞台の床を淡く照らしていた。


「……あの子みたいに、歌えたら…」


小さく息を吸って、そっと歌ってみる。

でも、声は震え、音は途中で途切れる。

「全然ダメだ…」


三女神の声が、それぞれにコメントしてくる。


『強さが足りないわ!』

『もっと華やかに!』

『自分の気持ち、大事にしてごらん』


でも、指摘はいつも他人事みたいで、どうしても本当の“自分の歌”には届かない。


「やっぱり…私には、無理なのかな」


陽菜は膝をついて座り込む。

静かな神楽殿で、自分の情けなさと向き合うしかなかった。


「……君、昨日、店の前にいてた子だよね?」


ふいに後ろから声がした。

振り返ると、昨日のライブハウスのオーナーが立っていた。

サングラスと派手な柄シャツ、でも笑顔はやわらかい。


「神社で練習してるの、ちょっと見ちゃってさ。…緊張するよね、人前で歌うの」


陽菜は顔が熱くなるのを感じる。


「私、うまく歌えなくて…」

「みんな最初は下手だよ。

でも、“本気で誰かに届けたい”って気持ちが、全部の始まりだよ。

それだけは、どんなプロでもごまかせないからね」


その言葉が、不思議と心にすとんと落ちた。


家に帰って、夜。

陽菜は自分の部屋で鏡を見つめていた。

三女神の声がまたふわっと浮かんでくる。


「私…やっぱり、昨日見たあの子みたいに、誰かの心を動かしたいんだと思う。

上手じゃなくても、誰かひとりのために」


『そうだよ陽菜。君の中の光は、まだ弱いけど、確かにそこにある』


三女神の声も、今夜だけは少し優しい。


陽菜は、小さくうなずく。

思い浮かぶのは、神社に来る疲れた大人たち、

友達とふざけて笑い転げた放課後、

そして、ステージで輝くあの子のまぶしい瞳。


(私も、誰かの力になりたい)


そう思った瞬間、胸の奥に、小さな光が宿るのを感じた。


次の日の朝。

ポストに封筒が一通届いていた。

「黒翼のレクイエム」からの手紙。


“君の声、聞かせてほしい。

ステージで待ってるよ。”


陽菜は思わず両手で封筒をぎゅっと握りしめた。


「…私、やってみたい!」


もう一度鏡に向かって、小さな声で呟いた。


物語の歯車は、静かに、確かに回り始めていた。

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