第14話 久々の日本食

 あれ……何かいい匂いがする。俺はそっと目を開けて周りを見回した。ここは、えーっと? そうだ、今はアオイの家に置いてもらってるんだ。そう言えば俺、もしかしなくても気絶したよな? ああっ恥ずかしい……。


 軽く悶えてると肩からハラリと布が落ちた。これは……確かアオイが使ってた膝掛けだ。眠気で今にも閉じようとする目を擦りながら膝掛けを畳むと、洗剤の控えめな匂いがした。何だか落ち着くな。


「おはよう。ごめんね、起こしちゃった? 朝食の準備をしていたの。貴方は夜行性だろうからこのまま夕方まで寝る? そのソファー、ベッドになるからちゃんと横になった方が良いわよ」


 菜箸を持ったアオイが顔を覗かせた。キッチンはリビングと繋がってるのか。


「お、おはよう。ううん、起きる」


 おお〜『おはよう』なんて言うの何年ぶりだろう? いや、何100年ぶりか。アオイの膝掛けを抱いたまま、今にも出そうな欠伸を噛み殺し勇気を出して頼んでみた。


「朝ごはん俺も一緒に食べたいな」


 言った、言っちゃったぞ。図々しいなんて言われないよな? ドキドキ……。アオイは無言で鍋の前から離れて、布巾を濡らして絞る。


「吸血鬼って普通の食事も出来るの?」


 俺はコクコク頷く。


「そう、貴方の分も用意するから、これで机拭いて来て」


「うん!」


 よっしゃ! やった、やったー!!


 だって500年断食状態だったんだ。あそこの炊飯器から立ち上る微かに甘い魅惑的な匂いが、さっきから凄く気になってた。これは間違い無く米の匂いだ。それに味噌汁の匂いもするぞ。


 日本食を食べれるなら何でもする。……あ、フィンリーに捕まる以外なら。


「そんなに気合い入れて拭いてくれても、お貴族様のお口に合う物かは分からないわよ? まぁ、おかずのリクエストくらい聞いてあげる」


 えっ、リクエストまで聞いてくれるのか。アオイは優しいな。それなら──。


「玉子焼き!」


「え、ちょっと玉子焼きって──」


 俺は布巾をアオイに返して、シャワールームで顔を洗った。だってこんな起き抜けの状態でご飯様やお味噌汁様、玉子焼き様に対面するのは失礼に値する。シャキッとせねば。アオイが作る玉子焼きはしょっぱい系か? 甘い系か? どっちでも嬉しいな。


リビングへ戻ると、玉子焼きを作る香ばしい匂いがした。


「一応リクエストに応えて卵焼きを作っているけど、後から文句を言わないでよね」


 もしかしてアオイはメシマズなのか……? そうだとしても、ひとりでの食事をする寂しさが身に染みてた俺には嬉しい。それにもし不味ければ、次からは俺が作れば良いだけだしな。でもどんどん準備されてく朝食を見て目が点になった。


「どうしたの? 早く持って行って。あ、やっぱり貴方が思ってた玉子焼ってこれじゃなくて、オムレツの事だった? だけど私にとっての玉子焼きはこれなの。具体的に言わなかった貴方にも責任はあるんだからね?」


 いや、皿の上にある玉子焼きは、紛う事無く俺が求めた物だ。見るからにふわふわしてそうで、端に少し付いた焦げ目が美味しいと物語っている。出汁の匂いがするから出汁巻き卵、しょっぱい系だろう。


 俺が驚いたのはそこでは無く、俺の分だろうご飯が平たい皿の上に盛られ、味噌汁もスープ皿に入れられてる事だ。しかも箸じゃなくてフォークとスプーンが用意されてた。


 そっか、俺って見た目がモロに外国人だし、ケリー伯爵とか言われたから仕方がない事かもしれないな。よし、理解したぞ。テンパってるって思われるのも恥ずかしいし、さっさとテーブルへ運んじゃおう。


「冷めないうちに早く食べましょう。いただきます」


「……いただきます」


 それでもあまりの衝撃に俺がフォークを見つめてると、アオイが慌てて立ち上がる。もしかして俺の箸を使いたいって思いが伝わったのか?


「ごめんなさい、ナイフ出すのを忘れていたわね」


「ううん、フォークとナイフじゃなくて俺も箸がいい」


「我が儘言わないで。箸は使い慣れてないと大変なのよ?」


 無情にも俺の右横にナイフが置かれた。


「俺だって使えるよ」


「はいはい使えるのね。でも洗い物が増えるし、テーブルだって汚れるかもしれないでしょ? 今日はこれから警察に呼ばれているし、また今度箸の練習に付き合ってあげる。今は食べましょう」


 うぅっ、それを言われると何も言えない。あの研究室を最後に出入りしたアオイは、警察に疑われてるらしい。ご迷惑をおかけしてます……。


 仕方なく玉子焼きをナイフでひと口大に切って食べる。フォークにご飯をくっ付けて口に運ぶ。スープ皿に入れたスプーンを静かに動かして味噌汁を掬い、音を立てずに飲む。


 人間時代からテーブルマナーはそつなくこなせたけど、これはやってて何だか切ない。やっぱり日本食は箸で食べたかった。それにアオイの視線を感じて食べづらい。


「な、何?」


「やっぱり貴方ってお貴族様なのね。所作が洗練されているわ」


 おだてたって何も出ないぞ。箸の件、俺はまだ納得してないんだからな。内心下唇を尖らせてるとアオイが手を合わせた。


「ねえ、今度テーブルマナー教えて。あまり自信が無くて」


「いいよ──じゃなかった! 交換条件だ」


 いけない、いけない。危うく何も考えないで頷くところだった。そんな可愛くお願いしたからって、俺が直ぐにOKすると思うなよ。何てったって俺の心は今、凄く狭くなってるんだからな。


 俺は神妙な面持ちでフォークとナイフを置く。……でもアオイが微妙な顔をしてる。断られる前に条件を突きつけなきゃ。


「今夜、人工血液1パック持って来たら考えてもいい」


 アオイが衝撃を受けた表情をする。見たか、俺はチョロい男じゃないんだぞ!


 俺の良心が『いつもアオイに頼んでばっかりなのに、交換条件を出すんだ〜』って言ってる気がするけど、聞こえないふりをする。だって俺は吸血鬼、鬼だもん。化け物だからな。


「分かった、人工血液ね。良かった生き血とか処女を差し出せと言われたら、どうしようかと思った」


「しょ、しょ、処女!? 酷い! 俺の事をそんな人の心が無いような化け物だと思ってたのか?」


「ごめんなさい。あまりに貴方が悪そうな顔をするから。ただし対価は払うんだから、人前に出ても恥ずかしくないくらいに教えてよ」


「当たり前だ。俺は約束を違えるような男じゃないぞ! ドレスコードが必要な店にも胸を張って行けるくらい仕込んでやるから覚悟しろ」

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