第36話 人生やり直しましょう、お互いに
「みぃ……」
そわそわ。そわそわ。
「うう…………」
そわそわ。そわそわ。そわそわ。
「みぅうう~~……!」
通常営業時間を終えた夕方、私は尻尾をぎゅっぎゅとにぎりながらそわそわしていた。
窓辺でそわそわ。キッチンでそわそわ。うろうろ。
片付けと経理仕事を手早く済ませてくれたシトラスさんが、杖をヴンッ! と振って言う。
「大丈夫だって。なにかあったら僕が潰すから」
「ぴえ」
そういう怖い意味で緊張しているのではない。
ビッグボスはちゃんと来てくれるのかなとか、怒らせないかなとか、二人と喧嘩しないかなとか、そういうことが不安なだけである。
「ミルシェットさん、ホットミルクをいれましたよ。少しお飲みなさい」
「みぃ、ありがとうございましゅ」
クリフォードさんが用意してくれたホットミルクを、ソファ席に座ってちびちびと飲む。
私がほおっておけないのだろう、だまってシトラスさんが隣にいてくれた。
そうしてどれくらい時間が経っただろうか。
反射的に耳がぴくっとする。
ぴっと立ち上がって窓の外を見ると、そこには夕日を浴びながらこちらにやってくる、妖艶なシスターさんの姿があった。見た目ではとてもビッグボスとは思えない、シスター・スターゲイザーさんだ。
「ミルシェットちゃん、大丈夫。深呼吸」
「ふー、はー、ふー、はー」
「がんばれ」
背中をぽんとシトラスさんが叩いてくれる。
ドアまでやってきたビッグボスことシスター・スターゲイザーさんは、出迎えた私とクリフォードさんを見て顰め面をした。
「んだよ、来てやっただろ」
その様子は、どこか照れくさそうで。
私は深呼吸して、にっこり笑顔で挨拶した。
「ようこそいらっしゃいました、ねこねこカフェへ! お席ご用意しておりましゅ!」
「……おう」
ぱたぱたと歩く私の後ろを、シスター・スターゲイザーさんがついてくる。
席に着いた彼女は、荒っぽいことをするつもりはなさそうだった。
貸し切りの札を確認して、お冷やとおしぼりはシトラスさんに任せ、私とクリフォードさんはメニューの準備をする。
「おまたせしました……にゃ!」
私がごろごろとワゴンで持ってきたのは、一斤まるごとのハニートーストだ。
私の頭くらいの大きさのどでかさ。
中をくりぬいてトーストにして、その上から蜂蜜とアイス、ねこのかたちのクッキーをさして、ぱらぱらとクズ魔石ブレンドのきらきらの七色の輝きがちりばめられている。魔石そのままではなく、今回は七色に色づけしたポーション水を使った琥珀糖だ。上にたくさん乗っけたそれは、まるで宝箱から溢れそうな宝石のようで。
「こんな量、一人じゃ食えねえよ」
たじろぐように、シスター・スターゲイザーさんが言う。
「もちろんでしゅ。みんなで食べられたらいいなって」
「……みんなで、か?」
「はい、みんなで、でしゅ」
シスター・スターゲイザーさんの座った席の対角線側にシトラスさんが座り、誕生日席側にクリフォードさんが座る。
私はワゴンから、四人分の取り皿とカトラリーをにゃにゃっと並べる。
「ミルシェットちゃんが一緒に食べようって。……いっとくけど、僕はまだ信用してないからね」
「こらこら、美味しいハニートーストの前でチクチク言葉は御法度ですよ」
「……なんなんだ……俺は、食事会って事しかしらねえぞ」
私は一旦奥に引っ込み、用意していた手紙を胸に抱いて戻る。
深呼吸して、てちてちと戻ってきた私に、三人の視線が集まった。
どきどきする。緊張する。
深呼吸して、私は一枚目の手紙を、震える手で開いて読んだ。
「ビッグボスへ。今日はお越しくだしゃり、ありがとうございまちた。私は、まず、あなたにお礼を言いたいと思います。……拾ってくだしゃって、組織が壊滅するまで、私を信じてくれて、一緒に過ごしてくれて、ありがとうございました」
ビッグボスが、大きな目を見開く。
驚いているのか、ぱくぱくと唇が震えている。
私は、ゆっくりと続けた。
「私はもう新しい人生をはじめました。もう、一緒に悪い事はできないとおもいます。ごめんなしゃい。……でも、私は、ビッグボスが悪い事ばかりをしてきたのじゃなく、一生懸命組織を守っていたのも知っていましゅ。ビッグボスの力がなかったら、私は、この年まで生きられましぇんでした。ポーション作りだって、できてましぇんでした。……ありがとうございまちた」
深く深呼吸する。二枚目の手紙に、私は進む。
「あなたもわたしも、お互い、いきるために、必死だったとおもいましゅ。でも、私たち、もう裏組織じゃなくなりまちた。ビッグボスはシスター・スターゲイザーさんとして、頑張ってて、私も、ねこねこカフェで頑張ってます。新しい居場所をお互い見つけたし、これからはやり直しましょう。ビッグボスとミミ太郎じゃなく、シスター・スターゲイザー、ミルシェットで、生きるのをやり直す、お誕生日会にしたいです」
最後に、クリフォードさんとシトラスさんを見た。
「クリフォードさん、シトラスしゃん。……これからも、よろしくお願いしましゅ!」
ぺこーっと頭を下げる。
クリフォードさんとシトラスさんが、手を叩いてくれるのが見えた。
ふわっと部屋の中が暗くなり、『凪』と『嵐』――二人の魔術師の指先が光る。
銀の輝きと金の輝きが、まるでたくさんの妖精のように、私たちの周りをきらきら、くるくると回った。
「今日が0歳の誕生日ってことで。……おめでとう」
「さあ、シスター・スターゲイザーも何かひとこと」
シスター・スターゲイザーさんは黙って私を見ていた。
光に照らされる顔は、とても穏やかだった。
「……なあ。ミミ太郎。お前を売りかけたことあっただろ」
「み」
「あのときな。……聖猫族の保護施設に送ってやろうと思ったんだよ」
「え」
突然の告白に、私だけではなく魔術師二人も目を丸くする。
開き直るように髪をかきあげ、シスター・スターゲイザーさんは肩をすくめた。
「娼館を経営して、手下どもを手駒として荒っぽく扱ってた俺が、今更何を言っても信用されないだろうけどな。猫のお前は娼婦にしようとすりゃあ変態相手のグロい相手しかいねえし、物心つきすぎる前にさっさとカタギの道に捨てようと思ってたんだ」
「信用できるわけがなかやろうが」
そう言うのはシトラスさんだ。
「まあお前が正しいよ。こんなもん、信じるのが悪ぃ」
シトラスさんの剣幕に、シスター・スターゲイザーさんは素直に頷く。
「保護施設に送るって言やあ、必ず周りから怪しまれる。ミミ太郎を狙ってた連中は多かったし、金欲しさに娼婦の一部が売り飛ばそうとしていた」
「みっ!? は、初耳でしゅ」
「なら売り飛ばし先が決まったって言って強引に保護施設にぶち込んでやろうと思ってたんだ。まあ……ぶち込むにはもったいない技をお前が見せてくれたから、結局利用させてもらったけどな。俺もガキの頃娼館に捨てられたガキだったからよ。『大竜厄役』真っ盛りの時代に生まれちまったからな。切り刻まれる猫くらい、助けたっていいだろ、一度くらい」
私はビッグボスと別れたときの言葉を思い出す。
『ミミ太郎、お前は逃げろ。逃げ先は世話してやらねえしピンチも助けてやらねえけど、状況落ち着いたら戻ってきて俺の金儲けに利用させろ、絶対逃がさねえからな。俺のタメに生き延びろ、金になれ』
やっと、その冷たい言葉の真意に気付いた。
「……あれも、私が裏社会から逃げるように……言ってくれたんでしゅね」
視界が滲みかけたそのとき、シスター・スターゲイザーが手をパンパンと叩いた。
「ほら、湿っぽい話は終わりだ終わり! 俺は腹減ってんだ、早く食うぞ!」
「情緒がないなあ、この野蛮人」
「なにくそ、このサイハテ鈍りのクソガキが」
「まあまあお二人とも。口の荒さも顔の綺麗さもいい勝負なのですから、それ以上は」
「一緒じゃねえ!」
「一緒じゃないです、先生っ!」
「いやー……とほほ」
店内がぱっと明るくなり、ムーディーなきらきらも消えた。
ナイフを持ったシトラスさんが腰を浮かせる。
「さあさあ食べましょう。シスター・スターゲイザーは蓋でよか?」
「なんで蓋なんだよっ! 俺にもふわふわでしみしみの所を食わせろっ!」
「シトラス、蓋は私がいただきましょう。なにせ全面パンの耳って感じのボーナス部分ですからね」
「ミルシェットはどうする?」
「みー、なんでもたべましゅ!」
「よーし、じゃあ一番柔らかいところとってあげる」
「み!」
私は取り分けられたハニートーストを口にして、祈りを捧げてぱくっと食べる。
お手紙を読んでいた間に、アイスとポーション琥珀糖と、トーストとバターと蜂蜜と、全部がとろとろに溶け合って少しぐずぐずになっている。
美味しい。ほっぺの奥までしびしびするくらい甘ったるいのは、ハニートーストが甘いせい?
――ううん、違う。
過去を精算して。私のためにいっぱい準備をしてくれて。
どんな過去だとしても、娘だと言ってくれる人がいてくれて。
色んな事があった私たちが、今、ここでみんなで一緒に美味しいものを食べている。
きっと、それが幸せだからだ。
◇◇◇
帰る前、少し真面目な顔でビックボスことシスター・スターゲイザーが言った。
「ミミ太郎は何の罪もねえよ。大人にやらされたことだから無罪だ無罪。だから†罪深き猫の娘†みたいな顔すんな、わかったな」
「みっ! そんなかおしてないでしゅ」
「してたしてた」
「みい~~」
ふっと、シスター・スターゲイザーが笑う。
「俺こそやり直すよ。……せっかく違う人生貰ったんだ、今度こそは真っ当に生きる。とりあえずはネモリカのダンジョンで迷える冒険者共に祝福をやれるくらいのシスターにならねえとな」
「今はえらい調子よかけど、ほんとにできるんかちゃ」
シトラスさんがジト目で言う。
怒ることなく、シスター・スターゲイザーがシトラスさんに目を向けた。
「ボウズ。このピアスの調査記録、おとなしく付き合ってやっていいぜ」
ピアスをさしてビッグボスは言う。
「あとは俺の知ってる裏組織に出回ってる情報もお前にやるよ。欲しいだろ? お前を転売して勝ち逃げした、サイハテの人身売買ギルド」
「……っ!!」
シトラスさんの目の色が明らかに変わる。
「いつでも来いよ。『凪』と『嵐』なら、好き勝手に俺の居所にこれるだろ? じゃあな」
最後に私の頭を撫でようとして――シスター・スターゲイザーは手を引っ込めて、クリフォードさんを見た。
「ミミ太郎を、よろしく頼む」
「お任せください。大切にミルシェットさんを育てますよ。……あなたも、お元気で」
「ん」
片手を上げて、シスター・スターゲイザーは背を向ける。
暗くなったスレディバルの道を、彼女は振り返らずに歩き去って行った。
「……ありがとう」
ビッグボス。ありがとう。
こわかったけど、お父さん代わりをしてくれてありがとう。
――これからは、お互い、新しい人生をおくりましょう。
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