第10話 魔術師『凪』だった者の独白(クリフォード視点)

 ――深夜。

 クリフォードが後片付けをしている間に、ミルシェットは眠ってしまったようだ。

 キッチンの隅で丸くなって、くうくうと寝息を立てている。

 テーブルには綺麗に作られたパンケーキがあって、見事だ。

 彼女はやはり賢い。そして天才なのだろう。


「天才だとしても、子どもは子どもです。……無理を、させてしまいましたね」


 クリフォードはミルシェットを抱き上げる。

 5歳とは思えないほどしゃきしゃきとした子どもだから、眠った姿は何倍もあどけなく見えた。


 二階に彼女を運んで、ベッドに寝かせる。

 昨日からのプレオープンの大騒動で、きっと疲れたことだろう。


「うっかりしましたね。カフェのメニューを忘れていたなんて。……私も、焦っていたのでしょうね」


 寝顔を見ながら、クリフォードは彼女との出会いのきっかけを思い出す。


 ミルシェットには、数ヶ月前からポーションの件で目をつけていた。

 宮廷魔術師に送られてくる膨大な報告書の中に、妙な密造ポーションの話が上がっていた。

 密造ポーションがマフィアの間で出回ることはよくあるが、妙なのは密造した魔術師がいないことだった。


 ――ポーションは魔術師が魔力をかけて生み出す。それが常識だ。

 しかし『妙な密造ポーション』は、魔術解析をかけても密造者の魔力を辿れなかった。

 普通、宮廷魔術師は魔術解析で分からないものを、わざわざ調査しない。そんなもの、から。

 だがクリフォードは密造ポーションの出所を己の足と調査で探った。

 直感的に『何かある』と踏んでいた。


 そして見つけた。

 通称ビッグボスが元締めをする娼館で飼われた『飼い猫』を。

 それは『ミルシェット』と書かれたタオルケットを敷いて、魔石クズを散らかして丸まって眠る、聖猫族の子どもだった。

 彼女は、特別な能力を持っていた。まだ宮廷魔術師すら未発見の珍しい能力を。


 彼女を宮廷魔術師局で保護するのが筋だ。

 しかしクリフォードは彼女をマフィアからも宮廷魔術局からも隠し、保護する道を選んだ。


「……『凪』のように、何も知らないまま大人の道具になる子どもが目につくと……ほんっと、駄目なんですよねえ……」


 ミルシェットの髪を撫でながら、クリフォードは苦笑した。

 クリフォードは『凪』という英雄として祭り上げられた子どもだった。

 過去の己を助けるように、クリフォードは大人に才能を搾取される子どもを放っておけない。理屈では無い、性分だ。



 ――クリフォードもまた、孤児だった。

 長きに渡る『大竜厄役』で家族を失ったクリフォードを拾ったのは、喫茶店を営む老夫婦だった。

 赤子から5歳まで喫茶店で暮らした時間。クリフォードにとってたった唯一の家族の思い出だった。


 5歳の時。

 国は『大竜厄役』への対抗手段として、全国民に対する一斉魔力検査を行った。

 魔術師適正のある子どもを招集し、宮廷魔術局の『強化魔術師第一期』とするためだ。

 クリフォードも招集され、修行し、10歳で唯一無二の魔術師となった。


 その日からクリフォードは『凪』として働いた。

 子どもでもなく、人間でもなく。

 魔物を掃討する兵器として扱われた。

 最後には『大竜厄役』を終わらせた英雄となった。


 全てが終わったとき、もう老夫婦は没し、店も畳まれていた。

 帰る場所を失ったクリフォードはそのまま、兵器から『平和な時代のお飾りの英雄』になった。

 戦場は対魔物から対人へ。

 日々社交界の見世物にされ、愛憎を向けられ、日々が過ぎていくようになった。

 ――兵器。英雄。生きた魔術書。血を残すための種馬。


 空虚で多忙な日々を過ごし、次第にクリフォードは何のために生きているのかわからなくなっていた。

 かつての自分と同じような子ども、ミルシェットを見つけたのはこの時だ。


 ――もう疲れました、『凪』でいるのは。

 ――全部捨てて田舎でのんびりと、カフェでも営んで過ごしましょう。


 『凪』を辞して彼女を保護すると決めたのは、ほぼ衝動だった。もう、限界だったのだと思う。

 少なくとも、目の前の子どもを見捨ててまで、しがみついているべき肩書きではなかった。


 それに自分も誰かの家族になってみたいと思ったのだ。

 かつてのひとりぼっちだった子どもを、あの日、老夫婦が助けて育ててくれたときのように。



「クリフォードしゃん、クリフォードしゃん」


 揺すられて目を覚ますと朝だった。

 ミルシェットが自分を揺すっている。

 どうやらベッドに送ったまま、ベッドの横に座って眠っていたらしい。


「私を運んだまま、寝ちゃったのでしゅか?」

「ふふ、そのようです」

「もー、お疲れすぎでしゅ」


 愛らしい子どもはクリフォードを見下ろし、しかたないですね、と大人びた顔になる。


「あの、クリフォードしゃん」

「なんでしょう」

「クリフォードしゃんは大人で、ぱぱでしゅけど。一人で抱え込まないでくだしゃいね」

「……ミルシェットさん……?」

「大人だって万能じゃないんでしゅ。私たち、一蓮托生の契約親子じゃないでしゅか」


 まっすぐな大きな緑の瞳で見下ろすミルシェットの眼差しは、心からこちらを案じる様子だった。


「役に立てないことも多いでしゅけど、頑張りましゅから。あなたは助けて貰った恩人なんでしゅし……か、家族、なんでしゅから。いちおー」


 胸がじんと温かくなるのを感じる。

 眠っているときはあどけないのに、目を覚ますとなんてしっかり者なのだろう、この子は。

 それだけ苦労をして生きてきたのだろう。


「ありがとうございます。パパは嬉しいですよ。ミルシェットさん」

「みー」


 クリフォードは微笑んだ。

 この子との暮らしがどうなるかは、今日のメニューくらいわからない。

 それでも、クリフォードは必要とされるかぎり、彼女の家族でありたいと思った。


 ーーどうやら彼女は、自分の密造ポーションのについて気づいていないようだし。

 ただクズ魔石を配合して、ポーションができる?

 そんなことができているのなら、必ずこれまでに誰かが気づいているはずだ。

 けれど、彼女以外にはクズ魔石のポーションは作れない。


 答えは一つ。彼女はまだ未知の固有スキルを持っているのだ。


 守ってやらなければ。

 気づいた誰かに目をつけられてしまえばーー『凪』のように、なってしまう。


「さて、今日のメニューはどうしましょうか」

「きょっ…………待ってくらしゃい、あのっ! えっ!? もう朝日がのぼ……」

「ふふ、いい日になるといいですね、ミルシェットさん♡」

「にっこりイイ笑顔、してる場合じゃねーっしゅ!!!!!」


 ぴえーっと叫ぶミルシェットに怒られながら、今日も一日が始まる。

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