序章・第3話 クロッド

「おはよう、ルーク」

「おはよう、アリオス」

 朝の光を浴びながら、二人は孤児院の食堂で顔を合わせた。萬筆録番の交流会は一週間続く。そのあいだ、ルークは孤児院に身を寄せ、子どもたちと同じ時間を過ごしている。


 食堂には、焼いた肉と温かなスープ、焼きたてのパンの香りが満ちていた。

 アリオスは肉を頬張りながら、今日の予定を確認する。

「このあと支度をして、広場で殿下と合流だ。護衛もいるから、粗相のないようにしような」

「護士国の王子と行動か……気を引き締めないと」

 ルークは一口大に割ったパンも、喉を通らないようだ。

「ちゃんと食べないと、最後まで力が出ないぞ」

 食器を片付け、手早く身支度を整える。二人は孤児院の広場で合流した。


 木陰では女の子たちが布の人形と大きな鎧を並べ、ままごとに興じていた。

「セスカさんと遊びたかったな」

「今年は来てくれなかったね」

 人形を抱えた子のつぶやきに、隣の子も頷いた。昨日届けられた玩具はあるが、セスカ本人がいないことを寂しがっているのだ。

 広場の中央では、男の子たちが輪を作り、木の駒を弾き合っている。その中に、巡護士の制服に似た軽装で、ひときわ大柄な大人の姿が混じっていた。

「もう一歩だ、負けるなよ!」

 子どもと同じ目線で声をあげ、駒を応援する様子には、父親のような温かさがある。


 アリオスが誇らしげに言った。

「あの人が護衛のシロンさんだ」

 ルークは目を丸くし、ぽつりと漏らす。

「王子の護衛って聞いて緊張してたけど……思ったより親しみやすそうだね」

 ふと木陰に目をやると、女の子たちのそばに置かれた鎧が「お父さん役」にされていた。アリオスは目を輝かせて言う。

「鎧がお父さん役になっているよ。二組の遊びを一度にできるなんて、さすがシロンさんだ」

 ルークは思わず苦笑し、肩の力が抜けた。ここまで持ち上げるかとあきれ、緊張はすっかり抜けていた。


 その声に気づいたシロンは子どもたちから離れ、アリオスとルークの前に歩み寄った。

「おはよう、アリオス。君がルーク君だね。今日の準備はできているかい?」

「はい」アリオスが短く返す。

「よろしくお願いします」ルークも会釈した。


 孤児院の玄関が開く。

「待たせたね」

 クロッドが姿を現すと、広場の子どもたちがいっせいに手を振り、元気なあいさつが飛ぶ。彼は軽く応えて、まっすぐ三人のもとへ歩いてきた。


「おはようございます、クロッド殿下。こちらがルークです」

 紹介を受け、ルークは慌てて一歩進み出て頭を下げた。

「はじめまして、クロッド殿下」

「堅くならなくていいよ。危険な場所に行くからね、余計な力は抜いておこう」

 少し間を置いて、ルークが口を開く。

「エレナも参加するかな」

 クロッドは首を横に振った。

「さっきリーナさんと一緒にいたから、今日は難しいだろう」

「そうか。じゃあ、また今度だな」


 シロンの視線がルークの腰に向いた。血力銃だ。

「その銃は演習には不向きだ。血力機器は衝撃に弱いから壊れやすい」

 ルークは思わず手をやる。シロンは短く付け足した。

「血力は充填式で有限だ。非常時に備えて温存しろ」

 クロッドが小さく頷き、簡潔に指示を出す。

「演習用に剣を調達しておいで。私は門で待っているよ、街は人が多くて行けないからね」

 シロンも続ける。

「私も護衛なので殿下と離れることはできません。アリオス、頼んだぞ」

 クロッドはシロンに向き直り、茶目っ気を含ませて言った。

「その装備の護衛だと心もとないけどね」

 護衛を名乗るその男は、ばつの悪い顔のまま鎧と武器を取りに駆け出す。

「お父さん、いってらっしゃい!」と女の子たちの声。シロンは一拍だけ笑みを見せた。


 孤児院を出て通りを抜けると、すぐに萬筆録番の看板が見えた。朝の賑わいで人の波ができている。二人は店内の一角に向かった。

「いらっしゃい──お、ルークじゃないか」

 なじみの店員が手を挙げる。ルークも軽く会釈した。


 壁際の棚には、さやごと括られた同じ造りの剣が整然と並んでいる。片刃や畜殺用など用途の違いは揃っているが、個性はなかった。

 アリオスが棚を見回して言った。

「……シロンさんの剣みたいなのは、やっぱり並んでいないんだな」

 ルークが肩をすくめる。

「店先にあるのは汎用の剣だけだよ。剣を扱う人は鍛冶屋で特注しないとね。それにシロンさんは下賜された剣じゃないかな、飾りにも気を配られていたし」

 店員が頷き、二人に言う。

「十四、十五は子ども用規格がある。十六からは成人規格の汎用品だ」

 アリオスが自分のと見比べる。

「俺のと同じだな」

 ルークが演習の件を伝えると、店員はアリオスと同じ剣を棚から抜き取った。

「すぐに使うんだよな?」

 店員は布で剣を拭って、そのまま差し出した。

「代金は支部長にツケとくから大丈夫だ。気をつけて行ってこい」

「ありがとう、行ってきます」

 ルークは剣を受け取り、背に回して留めた。

「門で合流だ」

 アリオスの一言に、二人は歩調を合わせ、門へ向かった。


 門は、街の中央通りを挟んで孤児院の反対側、外郭が山裾に突き当たる場所にある。門といっても扉はなく、洞窟の口のように開き、先は暗く揺れて見えない。規模は外郭のどの大扉よりも大きい。

 門前では、巡護士と要件を交わすクロッドと、周囲を警戒する鎧姿のシロンが待っていた。


 シロンはアリオスとルークの剣帯を一瞥し、頷く。

「学校で基礎は習っているはずだが、この先に入るのは初めてだな」

「はい」アリオスが背筋を伸ばす。

「護士、それに狩人が行き来する。邪魔にならないよう、常に気を配れ」

「不用意に動き回らず、団体行動。通路は開けること」とルークが復唱する。

「向こうには“幻体”と呼ばれる獣がいる。気を抜くな」

「人に好戦的で、知能も高く、群れでの行動も多いと学んでいます」

 アリオスが答える。

「その通りだ。行くぞ」

 クロッドとシロンが先に門をくぐり、アリオスとルークは一呼吸、全身に力を入れて門を通る。

 まぶたを閉じたように一瞬視界が暗くなり、肌に当たる空気の温度が変わる。市場とは違うざわめきが耳の奥で揺れ、においよりも先に、乾いた砂埃が鼻を刺した。


 視界が明るさを取り戻す。掛け声が交差し、鎧の留め金がかすかに触れ合う音が続く。一帯には天幕がいくつも連なり、一方では炊き場で湯気を上げ、別の天幕には木卓と水桶が置かれている。奥には包帯と薬箱の並ぶ救護の幕が見える。出入りの道だけが広く空いていた。


 当番の衛護士が近づき、礼を取る。

「殿下、周辺は安定しています」

 クロッドが頷き、「行路予定を申請してくる」と言い、天幕に移動した。

 その間、シロンが二人に護士の任務に関して説明を始めた。


「門の近くは衛護士の持ち場だ。周囲を見張り、間合いを保つ。討護士は前線寄りで開拓し、狩人と連携して行動することも多い」

「役割と協力が大事ですね」とルークが思い浮かべる。

「衛と討の任務は交代制だ。どちらの経験も護士として必要なことだ」

 シロンが締めくくる。

「了解です」とアリオスは護士の敬礼のまねをする。


 クロッドは地図を確認する。討護士の駐在地と狩人の行路予定記録を報告する。

「本日の浅い層は、北に三人組が二隊、東と南に四人組が一隊ずつ。西には二人組が一隊、進行しています」

 クロッドは少し考え、頷く。

「二人組か……。私たちも西に行こう。戻りは明日の予定だ」

 確認を終えたクロッドが、短く合図を送った。

「行こう」

 先頭にシロン、その後ろにクロッド。アリオスとルークが並んで続く。


 人の気配が薄れたところで、シロンが手を上げて合図した。

「幻体が現れる前に確認だ。クロッド殿下、鍛錬の確認も兼ねてお願いできますか」

「ああ」

 クロッドは静かに一歩進み、剣を鞘から抜き払う。呼吸が整うにつれて、刃の周りに輝きがまとわり始めた。

 シロンが二人に視線を移す。

「何が見える?」

「炎が見えます。その炎は、剣の刃にまとまった輝きから発せられているように見えます」

 アリオスは目を見開き、状況に漏れがないように確認を怠らない。

 クロッドは剣先をわずかに傾けると、炎の像が消える。

「ちゃんと視る力はあるね。これが魔技、活力で『性質』を再現する技術。魔とは自然、性質は想像。知識や経験で可能性が広がる」

「……って、これも習ってるよね」

 クロッドは剣を鞘に納める。

 シロンが補足する。

「本物の炎や水を出しているわけではない。炎として熱はあるが、燃え移りはしない。水として渇きを癒せるが水分不足は癒せない。そして、重さも増えないから活用は難しい」

「だが、性質の練度が高いことは強さに直結する。目安としても重要になる」

 シロンが剣を抜く。刃の縁に炎の像が猛々しく燃え上がり、頬に熱が触れる。

「さっきより、強く見えます。そして……熱いです」

 アリオスが息を呑む。


 シロンは魔技を解き、鞘に戻す。

「使うのは成人を迎えてからだからな。今日は視ることに集中しなさい」

「護士となると、防具に性質を重ねることも多いな。――必要なときに、必要なだけ。活力は有限だ」

 二人は頷いた。

 クロッドは周囲をひと巡り見渡し、一考する。

「この世界、常世に関しても復習しておこうか」




用語注読み・定義

討護士とうごし:前線での開拓を担う攻勢任務の護士。討と衛は交代制で運用される。

狩人かりゅうど:幻体討伐を専門とする職業。

幻体げんたい:門の先に生息する存在。

魔技まぎ:活力を用いて性質を想像して再現する技術。質量はない。

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