星託の災/厄/
白筆織雪
序章・第1話 アリオス
星託の災厄、引き裂かれる生命――
火煙の通路、華やかな大広間は面影もなく、巨大な影が道を塞ぐ。
獰猛な牙、鋭利な爪、吹き飛ばす翼、薙ぎ払う尾。
歴戦の兵の一撃も火花だけを散らす。刃が通らない。
息が詰まる一拍。若者が叫ぶ、平穏を想い、未来を切り開く
――あの頃を忘れるな、取り戻すべき情景を。
「おはようございます」
澄んだ声が礼拝堂に響いた。施療士のリーナの挨拶に、子どもたちが一斉に返す。
彼女の背後には、丸い星を
「それでは、祈りの作法を行いましょう。片方の手を胸に当てます。鼓動を感じ、今日も生きていることを思い出しましょう」
子どもたちが次々と手を胸に置く。十四歳のアリオスは背筋を伸ばし、模範を示すように正しい姿勢をとる。隣でエレナも同じ動きをして、年少の手つきを横目で確かめる。
「もう片方の手は大地へ添えましょう。この星に支えられていることを忘れないために。大地と海は変わらずそこにあり、私たちを支える。食べる物も水も、この星からいただいていることを思い出しなさい」
石畳に小さな手が触れる。姿勢を崩す子もいたが、エレナがそっと支えた。
「胸の鼓動と、大地のぬくもり。その両方を感じながら、心を星へ向けましょう。この儀礼は、生きていることへの感謝を、私たちの星に伝えるものです」
子どもたちがまぶたを閉じ、短い祈りの言葉を唱える。声は揃ってはいないが、温かな調和が礼拝堂を満たしていった。
朝の祈りを終え、食堂で朝食を済ませると、リーナが子どもたちに声をかけた。
「今日は納血の日です」
机の上には、箱に詰め込まれた拳ほどの筒が整然と並んでいる。これは孤児院の大人たち、リーナや職員、奉仕者の血が収められた血筒だ。外側は頑丈な金属製で、中身は見えない造りだ。
子どもたちは興味深げに眺める。採血は十歳から。十歳未満の子は形だけの血筒を持ち、まずは義務を学ぶ。納血を負うのは十六歳からで、アリオスは携行用の血筒に補血はしているが、納血にはまだ加わらない。
アリオスとエレナが木箱を開け、一つずつ確認していく。
「全員分、そろってるな」
アリオスが
「台車に差し込むのは、アリオスの血筒でいいんだよね?」
「ああ。昨日しっかり充填してある。行って帰ってくるだけの余裕はあるよ」
充填は血の補充ではなく、収めた血に活力を注いで満たしておくことだ。活力が満たされた血筒は、装置を通じて血力を放出する。
部屋の隅には血力台車が置かれていた。木製の枠に金属の留め具、厚板で囲まれた荷台。普段はただの重い台車にすぎないが、血力で動作する仕組みを備えている。
アリオスが自分の血筒を差し込み口に入れると、荷台がふわりと浮き上がり、重さを半ば忘れさせる軽やかさを帯びた。
見ていた年少たちが身を乗り出す。
「わぁ……浮いた……」と息が揃い、指先が取っ手へ伸びた。
横でエレナが鼻歌まじりに立ち、まるで遠足にでも出かけるかのように、軽い足取りで笑みを浮かべる。
「途中で押すの、代わってくれよ?」
「うんうん、まかせて!」
軽口が飛び交い、出発前の空気が少し和んだ。
リーナが二人に歩み寄り、声をかける。
「今日、私は医療当番で同行できません。代わりに二人にお願いします」
「はい」
二人は声を揃えて答え、台車の取っ手を握った。
門の前で子どもたちが手を振る。
「いってらっしゃい!」
その声を背に、二人は血力台車を押し出した。
荷台は揺れることなく進み、やがて街の中心に建つ大きな建物にたどり着いた。そこは血力を集めて管理し、街の力へと変える場所。管理所と呼ばれる。
広場に面した入口には、絶えず人の列ができていた。肩に筒を抱える者、台車を押す者、年配の夫婦に若い親子まで、誰もが慣れた手つきで順番を待つ。建物の奥からは低い
二人は血力台車ごと中へ進み、受付口で取っ手を係へ渡す。
「孤児院の分です」
係は目を合わせて軽く会釈し、半扉の奥へ台車を押し入れた。奥では留め具の鳴る音がして、血筒を回収して確かめる手の動きが続く。ほどなく台車が戻り、空の木箱だけが揺れていた。係は受領札を手渡す。
「受け取りました。いつも助かっています。気をつけて帰ってね」
「ありがとうございます」
空になった木箱が軽く揺れる。取っ手を受け取り直し、二人は台車を引いた。
列を離れながら、エレナが話を始める。
「これにて月に一度の納血は、かんりょう」
「ああ、家ごとに持ち込む人もいるから、いつも
エレナが続ける。
「それと、週に一度は自分の血筒に充填。……忘れたら」
アリオスが言葉を繋ぐ。
「暮らしが止まる。灯りも水も工房も、血力で動いてるからな」
外に出ると、広場はいつもの賑やかさだ。市場の呼び声、子どもの足音、荷車の車輪の音、商人の張りのある声が石畳に軽く響いていた。
「うん、やっぱり街を回してるのは私たちってことだね」
「そういうことだ」
アリオスは微笑みながら答えた。
エレナが振り返り、弾んだ声で言う。
「ねえ、せっかくだし、少し街を見ていこうよ!」
アリオスは苦笑し、肩をすくめた。
「……少しだけな」
その返事に満足したように、エレナは駆けていった。
広場に足を踏み入れると、呼び声と笑い声が渦を巻いた。焼いた肉の匂いや香草の香りが漂い、揚げ菓子を揚げる油の弾ける音と混ざって広がっていた。通りには布や革を扱う露店が並び、風に揺れる衣が色を散らす。狩人が持ち込む素材は軽くて丈夫、染めやすい。街行く人々は思い思いに仕立て、統一感のない華やかさが通りを明るくしていた。
「見て、あの布、新しい模様だよ」
エレナの目がきらりと動く。
「こうして選べるのは、狩人さん達のおかげだよね。ほんと、感謝しなきゃ」
「そうだな。あの子たちにも似合いそうだ」
アリオスは孤児院で待つ子どもたちの顔を思い浮かべる。
人混みの中には、見回りをする巡護士の姿もあった。護士は国に仕える職であり、街の治安を預かる存在だ。制服は厚みがなく、一見すると革よりも頼りないが、実際には特別丈夫に織られている。通りがかった子どもに軽く手を振るその姿は、威圧ではなく安心を与え、街の日常に溶けている。
通りの角には衛護士が描かれた募集が掲示されていた。巡護士とは違い、厚みのある装甲をまとった姿が大きく描かれている。
「やっぱり衛護士って、かっこいいよね」
エレナが足を止めて見上げる。
「確かに。あれを着こなすのは大変だろうな」
アリオスの声には憧れがにじんでいた。
「ね、あっちも見に行こう!」
エレナが勢いよく走り出す。
「おい、待てよ」
アリオスは諦め交じりに笑い、彼女の元気に当てられるように駆け出した。二人の足音が石畳に響き、喧騒の中へと溶けていった。
二人が台車を引いて戻ると、門の前で子どもたちが待ち構えていた。姿を見つけるやいなや、わっと駆け寄ってくる。
「おかえり!」
「ちゃんと届けてきた?」
矢継ぎ早の声に、エレナが胸を張って答える。
「もちろん! 街もすっごく賑やかだったよ」
アリオスも笑いながら頷き、台車を片付ける。
リーナも二人を迎える。
「おつかれさまでした。無事に終えられてよかったです」
エレナは楽しげに、広場の露店や衣装を思い出しながら話す。
「新しい模様の布が出ててね、街の人たちもすごくおしゃれだった!」
「護士の募集ポスターもありました」
アリオスは短く報告を添えた。
リーナは頷き、アリオスに視線を向ける。
「そういえば、あなたは次の演習に特別に参加しますね。予定通り、護士の方々との狩りの訓練です。準備をしておきなさい」
「はい、わかりました!」
アリオスは拳を握り答える。
それからリーナは周囲の子どもたちに目をやり、やわらかく告げた。
「もうすぐ、隣国からあの子が来ますよ」
その言葉に、子どもたちの間から歓声が上がる。
「やった!」
「また一緒に遊べる!」
エレナも微笑み、「楽しみだね」と小声で言う。アリオスは頷くだけだったが、その表情にはかすかな喜びがにじんでいた。
ひとしきり声が落ち着いたところで、リーナが手を叩いた。
「さあ、中に入りましょう。ご飯にしましょうね」
子どもたちの歓声が再び上がり、賑やかな足音が廊下に響いた。アリオスとエレナもその流れに加わり、昼下がりの孤児院に、温かな匂いが広がっていった。
【用語注(読み・定義)】
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