第8話 呼び出しとごほうび

 ベッドに倒れ込んだまま、荒い息を整える。 手のひらには、まださっきまでの熱と粘りが残っていた。

――俺は何をしてるんだ。

自分で処理しながら、頭に浮かんでいたのは真理子さんの顔。 寸止めの笑み、冷たい命令、弄ばれた感触。 思い出すたびに身体が勝手に反応してしまう。 出してしまえば楽になると思った。 けれど虚しさと同時に、もっと欲しいという渇きが残る。

「……もう、頭がおかしくなりそうだ」

息を吐いて、目を閉じた。


 そのときだった。 テーブルの上でスマホが震える。 「こんな夜に……」

画面に映る名前に、息が詰まった。

――真理子さん。

躊躇していると、二度目の着信。 指が勝手に画面をスライドさせていた。


「……はい」

「直樹くん。まだ会社にいる?」

耳に届いたのは、昼間と同じ優しい声。けれど空気が違う。

「い、いえ……今は帰宅してます」

「そう。じゃあ、すぐに戻ってきて」

鼓動が爆発しそうに高鳴る。

「えっ……今から、ですか」

「ええ。今から。――すぐに、ね」

通話は一方的に切られた。


 胸がざわつく。 仕事のトラブルかもしれない。

それとも……?

理由も告げられない呼び出しに、不安が募った。 「……早く行かなきゃ」

震える声が漏れた。 夜の静けさに背中を押されるように、上着を掴む。

外の空気は冷たいのに、胸の奥は熱くたぎっていた。 ――あの人に、呼ばれた。




 会社に戻ると、蛍光灯は半分だけ灯っていた。 静まり返ったフロアで、真理子さんが机に資料を広げている。 「直樹くん、こっち」

振り向いた先の声は、仕事の先輩そのものだった。 慌ただしく修正を進める彼女の横で、俺も必死に手を動かす。


 汗を流しながら、なんとか形になったとき――。

「助かったわ。直樹くんがいてくれて、本当に良かった」

ふっと肩の力を抜いた真理子さんが、柔らかく笑った。 胸が大きく高鳴る。

その笑顔は、上司でも先輩でもない。 一人の女性の顔に見えてしまった。

「……真理子さん」

思わず心の声が漏れた。


 勇気を出して、彼女の髪に触れようとした瞬間。 ピシャリと手首を掴まれた。

「誰が触っていいって言ったの?」

低い声に、体が固まる。

そのままネクタイを掴まれ、壁際まで引きずられる。 背中が壁に押し付けられ、逃げ道がなくなる。


真理子さんは俺の胸に身体を寄せ、視線を絡ませてくる。 布越しに伝わる柔らかさに、呼吸が浅くなる。 「私に触れることには、許可がいるのよ?」

囁きと同時に、口元がわずかにほころぶ。

一瞬だけ見せられた優しい微笑み。 その一瞬に、心臓が熱く跳ね上がった。


「でも、仕事を手伝ってもらって助かったし、ごほうびもいるわね」


 冷たい笑みの直後、フッと目の前に彼女の顔が近づいてくる。


――なに...


甘い香りと共に、ぽってりとした柔らかな感触が唇に触れた。 すぐにヌルリと温かい舌が入ってくる。薄い小さな舌が俺の唇を押し開けている。 舌を絡め取られ、口内を蹂躙される。 息ができない。か弱い女の子のように脚が震える。 腰の奥で熱が暴れ出し、どうしても抑えられない。 耳元に吐息がかかる。


「ねぇ……勃起しなければ続けてあげる。勃起したら、そこで終わり」 


その言葉は命令であり、拷問だった。

返事をする間もなく、唇が塞がれる。 舌が上唇をなぞり、さらに深く差し込まれる。 そっと唇が離れると、ふわりと彼女の髪が揺れる。

首筋を舐められた瞬間、背筋がしびれ、膝から力が抜けそうになる。


「あっ……」

小さな声が漏れる。 下腹部は裏切るように張りつめ、布を押し上げていた。


(こんなの……我慢できるはずがない)


俺の股間に彼女の太ももが押しつけられる。 絶望と快感が一気に押し寄せ、呼吸が乱れる。 唇を離した真理子さんは、冷たい目で見下ろした。


「――はい、おしまい」 ネクタイを軽く締め直すと、真理子さんは離れた。 俺の身体は収まりきれない火照りで震えていた。


 


 真理子さんは何事もなかったように資料をまとめ、デスクへ戻る。 俺は一向におさまらない熱を抱えたまま、片付けに向かった。




 片付けを終え、真理子さんより一足先にフロアを出ようとした直樹の背中に、彼女の低く甘い声が届いた。

「直樹くん、待って」

振り向くと、真理子さんはデスクから立ち上がり、ゆっくりと近づいてくる。蛍光灯の光が彼女の細いウエストと、そこから豊かに広がるヒップのラインを強調していた。


「さっきの続き、まだ終わってないわよね?」

「え……?」


真理子さんは直樹の目の前に立つと、ネクタイではなく、今度はシャツのボタンに指をかけた。

一本、また一本と、布地がはらりと開き、鍛えられた胸元が露わになる。彼女の指先が、熱を持った肌に触れるたび、直樹は全身の筋肉が強張るのを感じた。


「あなたはもう、私のいいなりでしょ?」

「ま、真理子さん……ここは会社で……」

「そうよ。だからこそ、誰も見ていない場所で、私の命令に従うことが、より価値があると思わない?」


彼女の瞳は、昼間の仕事の顔とは違う、深く、獰猛な光を湛えていた。それは獲物を見定めた捕食者の目。

彼女は開いたシャツの襟元から、唇を滑り込ませた。


「ん……!」


冷たいオフィスの中で、彼女の唇だけが灼熱を帯びている。鎖骨のくぼみをなぞり、喉仏を甘噛みした。直樹は喘ぐ声を押し殺すため、固く奥歯を噛み締めた。


「まだ声を出さないなんて、偉いわね」

真理子さんは一歩下がり、その代わりに左手を直樹のズボンの上に置いた。直樹の股間は、先ほどのキスゲームで抑え込まれた反動で、既に硬く、熱く膨張しきっていた。


「さっきは勃起したらおしまいだったけど……今度は違うルールよ」

彼女の手のひらが、布越しに最も硬い部分をゆっくりと撫でおろす。


「ああ……っ」


あまりの刺激に、直樹の理性は崩壊寸前だった。しかし、彼女の冷たい目が「まだ許さない」と告げていた。


「ねぇ、直樹くん」

彼女の指先が、その硬い先端を何度も、何度も、執拗に、優しく、なぞる。


「私に許しを請うまで、やめないわ。ここで、私のものだと言ってごらんなさい」


彼女の低い声は、命令ではなく、蜜のような誘惑だった。屈辱と快感が混ざり合い、直樹の全身は震えが止まらない。

「さあ、直樹くん。...どうなの?」


真理子さんの手が、ついにズボンのベルトにかけられた。これから始まる夜の儀式に、直樹は抗うこともできず、ただ悦びと羞恥に溺れながら、その瞳に絶望的な服従の色を宿らせていた。

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従属オフィス 杜若薫(かきつかおる) @kakitsukaoru

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