第3話 命じられる快感
「直樹くんって、ほんと素直だよね」
昼間、何気なく渡された書類と一緒に投げかけられた言葉。
周囲の誰にとってもただの雑談。
けれど俺の胸には、特別な言葉のように残っていた。
褒められたのに、妙にざわつく。
素直――それはこの人の前では、従うことと同義なのかもしれない。
◇
夜。
蛍光灯の半分は消され、フロアは不自然なほど静かだった。
時計の針が乾いた音を刻み、コピー機の電源ランプだけが小さく光っている。
真理子さんと俺。
残っているのは二人だけ。
昼間の賑やかさが嘘のように、呼吸の音すら響いてしまう。
彼女は机の上に散らばった書類をまとめ、眼鏡を外してこめかみを押さえていた。
髪が揺れ、淡いウェーブが頬にかかる。
何度も見慣れた仕草のはずなのに、夜の静けさに包まれると、それだけで色を帯びて見えた。
「直樹くん、こっち来て」
呼ばれて歩み寄った瞬間、ネクタイをつかまれる。
布地が喉を締め、息が止まる。
「緩んでる。……動かないで」
低く湿った声。
指先が喉元を滑り、結び目を持ち上げる。
冷たいはずの指が、皮膚に触れるたび熱を残していく。
胸が一気に締めつけられ、心臓が暴れ出す。
「……どうしたの、そんな顔して」
挑発めいた視線。
答えられないまま吸い寄せられる。
逃げ場がなく、目の奥まで見透かされる。
◇
次の瞬間、背中が机に押し付けられた。
腰に硬い感触が走り、肩に置かれた手が軽く押す。
それだけで全身が縛られたように動けない。
「疲れてるでしょ? 少し休もうか」
耳元に落ちる声。
息が首筋を撫で、全身が震える。
寄りかかるなと言われたわけじゃない。
でも、寄りかからずにいられなかった。
「……動かないで」
命じられた途端、全身が硬直し、呼吸だけが荒くなる。
耳元で囁かれ、背筋が焼けるように熱い。
指先が鎖骨をなぞり、爪の先で軽くかすめられる。
電流みたいな痺れが走り、思わず脚が震えた。
布越しに胸元を撫でられる。
そこだけが火照り、喉から声が漏れそうになる。
必死に噛み殺しても、息の荒さは隠せなかった。
「声も出さないでね」
低い囁き。
それは命令であり、縛りでもあった。
喉を締め付けられるように苦しいのに、痺れる快感が背骨を駆け上がる。
下半身が脈打ち、硬さを自覚した瞬間、羞恥と興奮が一度に押し寄せる。
隠したいのに隠せない。
体が勝手に反応してしまう。
「……体も素直ね」
耳元で囁かれ、唇の端が触れそうなほど近づく。
吐息が耳を濡らし、背筋が震える。
言葉も視線も奪われて、ただ従うしかなかった。
◇
彼女の顔がさらに近づく。
唇が触れる――そう思った瞬間、わざと止められた。
あと数ミリで世界が変わる。
吐息だけが重なり、濡れた声が落ちる。
「……して欲しいの?」
挑発。
胸が爆発しそうに高鳴り、全身が震えた。
答えられない。
でも、反応は全部読まれている。
彼女は唇を寄せるのをやめ、ゆっくり笑った。
「ふふ……ほんとに素直」
指を離すと、何事もなかったように机の上の書類をまとめ始める。
さっきまでの熱が幻だったみたいに。
それでも、身体はまだ彼女の支配の余韻に縛られていた。
◇
改札に並ぶと、真理子さんはもう昼間の顔に戻っていた。
「気をつけて帰ってね」
手を振る声は優しくて、誰が見ても頼れる先輩だ。
けれど俺は知っている。
机に押しつけられ、耳元で命じられたあの声を。
それを思い出すだけで、下半身の昂ぶりが蘇る。
ネクタイに指を添える。
そこにはまだ、掴まれた感触が残っていた。
――これは恋じゃない。尊敬でもない。
胸を焼くのは、しびれるような快感。
命じられて従わされる悦びだった。
俺は今、この人に支配されたいと願っている。
認めた瞬間、全身が熱で包まれた。
もう後戻りはできない。
それでも心の奥はぞくりと悦んでいた。
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