第6話 美月

## 変化と再生


咲良ちゃんの事件のあと、サークルはしばらくざわついていた。


健太先輩は「卒論に専念するため」と言ってサークルを抜けた。

1年生の田村ちゃんも、2年生の山田くんも練習に顔を見せなくなった。

「最近、人数少ないね」

佐々木さんの言葉に、拓海先輩は「まあ、時期的に忙しい人も多いし」と苦しげに答えた。

誰もがそれが建前だと分かっていたけれど、深く追及はしなかった。


それでも11月に入る頃には、新しい顔ぶれも加わり、サークルは表面的な落ち着きを取り戻していた。

事情を知らない新入部員たちは、普通に練習に参加し、普通に笑っている。


「よし、基礎練習からやろうか」

拓海先輩の声に、「はい」と返す。

美樹先輩とも、いつものように挨拶を交わす。


でも、心の奥には薄い膜のような違和感が張りついている。


咲良ちゃんがいなくなってから、確かにサークルは表面的には「平和」になった。

みんなが適切を探して振る舞い、以前のような自然な笑い声は減ったように感じる。

けれど、そうしていればここは安全だった。

少し息苦しいけれど。


## テニススクール


毎週水曜日のテニススクールでは、咲良ちゃんと変わらず過ごしている。

「美月先輩、今日もよろしくお願いします」

「こちらこそ」

咲良ちゃんは、以前と変わらぬ笑顔で声をかけてくれる。

大学の話やテニスの話をしながらボールを追う時間は、嘘みたいに穏やかだった。


私は無意識のうちに、頭の中を切り分けるようになっていた。

咲良ちゃんといるときはサークルのことは考えない。

サークルにいるときは、咲良ちゃんのことは考えない。


そうすることで、どちらの場所でも「普通」でいられるから。

大人になるということは、きっと「そういうこと」なのだろう。


そしてどちらとも関係を続けられている自分が、美樹先輩たちよりも、咲良ちゃんよりも、人間上手というような優越感も感じていたのだと思う。


## 輝く場所


ある金曜の夕方、講義帰りに大学のテニスコートを通りかかった。

硬式テニス部が練習をしていて、その中に咲良ちゃんと健太先輩の姿があった。


二人はダブルスを組んでいて、ナイスショットのあとにハイタッチを交わしていた。

その笑顔は、サークルにいたときとはまるで違う。

咲良ちゃんは防御の仮面を外したみたいに自然で、のびのびとしていた。

健太先輩もまた、晴れやかな表情をしている。


二人は新しい場所を見つけたのだ。

そんな考えが浮かんだ。


その光景はあまりにもまぶしくて、私の立っている場所が急に薄暗く感じられた。

咲良ちゃんが輝いて見えるのは、彼女が悪い場所から抜け出したからだ。


そして私は、そこにとどまっている。

表面の下に潜む計算や、見えない序列や、暗黙のルール。

それを承知のうえで。


ふと、ファミレスでの別れ際、咲良ちゃんが私に言った言葉を思い出した。

「美月先輩、話を聞いてくれてありがとうございました」

その時は、なんとなく自分が良いことをしたような気分になっていた。

咲良ちゃんの事情を聞いて、理解を示して、優しく接することができた自分を、少し誇らしく思っていた。


でも今、その言葉は、何故か私の胸を強く押しつぶしてくる。

頭を振って、それを振り払う。

コートから聞こえてくる楽しそうな笑い声から逃げるように、走った。


限界まで駆けると、胸のあたりに大きな痛みが走った。

前かがみになりながら、はぁはぁと荒い息を繰り返すが、しばらく動くことができなかった。

ふぅーと大きな息を一つはくと、ようやく頭が回り始める。


「辞めちゃおうかな」

気がつくと、ぽつりと口からこぼれていた。


その言葉をどこまで本気で口にしたのか自分でもよく分からない。

きっと明日になれば、またいつものようにサークルに顔を出すのだろう。

何事もなかったかのように、普通を装って。


もう一度、大きなため息をひとつついて、空を見上げる。

澄んだ夜気は冷たく、肺の奥にまで染み込んでいく。


それが私という人間。


そう納得すると、花壇の脇に転がる空き缶を横目に、私はゆっくりと歩き出した。

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