悪意のアトリエ ~田中マリ改造計画~
霧島猫
第1/10話
巨大な金属製の扉が重々しい音を立てて閉ざされた。
ここは、悪の組織の地下深くにある秘密ラボ。冷たく硬質なコンクリートの壁と、天井を走る複雑なパイプラインが、非日常的な雰囲気を醸し出している。ラボの中央には、見たこともない奇妙な装置が唸りを上げて稼働し、壁沿いには人の背丈を遥かに超える巨大な試験管がズラリと建ち並んでいた。その試験管の中には、培養液にゆらゆらと揺れる様々な生物のパーツや、いかにも「作りかけ」といった風貌の怪人たちが、沈黙のまま浮遊している。異形の肉塊、鋭利な爪、七色に光る鱗、あるいは植物の根のようなものが絡みついた骨格……。その悍ましい光景は、ここが人道から外れた場所であることを雄弁に物語っていた。
そんなラボの喧騒の中心に、場違いなほど安っぽい事務デスクと、パイプ椅子が二脚置かれている。
デスクの片側には、私――田中マリが座っていた。
「田中さん、申し訳ありませんが、状況は理解していただけましたか?」
私の向かい側で、デスクに肘をつき、穏やかな笑みを浮かべているのが、悪の組織の科学者だ。彼は白衣を着用しているが、その肌はまるで岩のようにゴツゴツとしており、時折、顕微鏡でしか見えないような微細な動きで体表の水分を調整しているように見える。彼の正体は、過酷な環境耐性を持つクマムシ怪人らしい。その風貌は異形だが、口調は極めて丁寧で理知的だ。
「ええ。つまり、私はあなたたち悪の組織に捕まった。そして、怪人に改造される。そういうことですよね、クマムシ博士。」
私がクマムシ怪人の名を出すと、科学者は少しだけ肩をすくめた。
「そこを『ドクター・フリーズドライ』と呼んでいただけると助かります。そう、その通りです。正確には、あなたの怪人適合率があまりに高かったため、上層部が是非とも戦力に加えたいと判断しましてね。これは我々科学者にとっても非常に稀有なデータとなります。ご安心ください、改造手術は痛みもなく、一瞬で終わりますよ。」
痛みがない、というのは、このラボの光景を見る限り、到底信じられる話ではない。しかし、私には絶望も恐怖も湧いてこなかった。むしろ、目の前で繰り広げられる非日常的な状況に、妙な好奇心が勝っていた。
「なるほど。まあ、いいです。どうせ改造されなくても、私の人生は退屈な日々を送るだけでしたから。」
私は深く息を吐き、あっさり了承の意を示した。ドクター・フリーズドライは、予想外の私の反応に目を見張り、再び穏やかな笑みを浮かべた。
「ありがとうございます。その冷静さが、我々があなたを選んだ理由の一つでもあります。」
ドクター・フリーズドライは、デスクの上にあった分厚いファイルを開き、私に向かって差し出した。
「さて、あなたは今日から新たな存在となります。ですが、我々も効率を重視しますので、あなた自身のモチベーションは重要です。怪人になった後のモチベーションに雲泥の差が出ますので、モチーフは選べます。組織の命令と、あなたの精神状態を合致させるためですね。」
彼はファイルをトントンと指で叩いた。
「いくつか、制約があります。細胞を取り寄せて改造する関係上、恐竜など絶滅種は選べません。また、激しい拒否反応が起こりますので、2種類以上のミックスはできません。」
「ですが、モチーフにした生物の特徴を強化しての適用や、水中の生物を陸上適応させることも一部可能です。以前に成功した例としては、サメ怪人が挙げられます。彼らは水中だけでなく、地上でも高速で移動できます。」
私は興味深そうに身を乗り出した。この状況は、もはや現実逃避の遊びのようだ。
「へえ。面白いですね。そういえば、私の前の人は何を選んだんですか? さっき通りかかった時、試験管の中にはいなかったようですが……。」
「ああ、彼ですか。彼は以前、負けが込んでいる三流ボクサーだったそうで、自分の拳に最強のパンチ力が欲しいと望みました。」
ドクター・フリーズドライは、ふっと笑みを深めた。
「彼は、動物界最強のパンチ力を誇るモンハナシャコ怪人になりました。改造は成功し、彼は今や組織の主要な戦闘員の一人です。その代わり、知性は少し後退しましたが。」
最強のパンチ力を持つモンハナシャコ。確かに、単純だが魅力的な選択だ。
「さあ、田中さん。あなたはどんな存在になりたいですか? 動物でも植物でもご随意に。」
ドクター・フリーズドライは、私の目を真っ直ぐに見つめた。
「よろしければ、いくつか提案させていただけますか? 汎用性が高いのは、夜間の活動能力に優れたワシミミズク。あるいは、圧倒的なフィジカルとリーダーシップに長けたゴリラ。これらは候補として非常に優秀ですよ!」
彼の提案に対し、私はニヤリと笑った。この退屈な人生を終わらせてくれるというのなら、とことん楽しんでやろう。そして、私の脳裏には、ある奇妙で恐ろしい生物の名が浮かんでいた。
◇ ◇ ◇
topics AIの解説
クマムシ:体長1mm前後の微小な「緩歩動物(かんぽどうぶつ)」で、クマのような形をしていることから名付けられました。水のある場所で暮らし、ゆっくりと8本の脚を動かす姿が特徴です。乾燥や極限温度、放射線など、他の生物が耐えられない過酷な環境に置かれると、「乾眠(かんみん)」と呼ばれる生命活動を停止した状態になり、水分を与えると元に戻る能力を持ちます。この驚異的な耐久性から「地上最強生物」と呼ばれることもあります。
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