第18話『震える夜と帰る場所』
床に押さえつけられた狂信者の警察官が、まだ何かを叫んでいる。
ロビーは駆けつけた他の警察官たちの怒号と、野次馬のひそひそ話で騒然としていた。
俺はまだ腰が抜けたまま、その場にへたり込んでいた。
心臓がばくばくと激しく音を立てている。
手足の震えが止まらない。
「佐藤悠真さん」
声をかけられ、びくりと肩が跳ねた。
顔を上げるとそこには橘さんの上司である、課長と呼ばれていた女性が立っていた。
彼女は俺の前に深く、深く頭を下げた。
「この度は、誠に申し訳ありませんでした。我々の不手際です。保護対象であるあなた様を、庁舎内で危険な目に遭わせるなど、あってはならないことでした」
その謝罪は、地位のある人間のものとは思えないほど丁重なものだった。
「今後、このようなことが二度と起こらぬよう、警備体制を見直し、徹底いたします。そして、あなた様の安全確保のため、明日より、男性保護課による警護をつけさせていただきます」
「け、警護…ですか」
「はい。あなたの身の安全を、我々が責任を持ってお守りします」
課長の言葉に、俺はただ頷くことしかできなかった。
ショックでまだまともに言葉が出てこない。
狂信者は、他の警察官たちによって連行されていった。
ロビーはまだざわめきが残っていた。
◇
「…送ります」
橘さんに付き添われ、俺は再び公用車に乗り込んだ。
《Second Beat》へと戻る道すがら、車内の空気は重く沈んでいた。
さっきまでの恐怖が、じわじわと身体を蝕んでいく。
もし、橘さんたちが気づくのが、あと数秒遅れていたら。
もし、あの狂信者が何か武器を持っていたら。
そう考えると、背筋が凍る思いだった。
「…怖かったでしょう」
運転しながら、橘さんが静かに語りかけた。
「申し訳ありませんでした」
その声にはプロフェッショナルな仮面の下にある、人間らしい感情が滲んでいた。 後悔と怒りと、そして俺への純粋な申し訳なさ。
「…大丈夫です」
俺は窓の外を見つめながら、力なく答えるのが精一杯だった。
大丈夫なわけがない。
だが、彼女を責める気にはなれなかった。
悪いのはあの狂信者であり、それを生み出した神木レイジなのだから。
◇
《Second Beat》の前に車が停まる。
地下へと続く階段の入り口には、見慣れた顔が集まっていた。
玲子さん、美咲さん、そして真琴と玲奈もいる。
俺が車から降りると、全員が駆け寄ってきた。
「ユーマ!大丈夫だったかい!?」
「橘さんから連絡があって…!」
玲子さんが、俺の肩を掴んで心配そうに覗き込む。
橘さんは、彼女たちに簡単な事情を説明した。
庁舎内で警察官に襲われたこと。
その警察官が神木レイジの狂信者だったこと。
事実を知り、玲子さんたちの顔からさっと血の気が引いた。
「そんな…警察の中まで…」
「あいつ、本気でユーマくんを潰す気なんだ…!」
真琴さんと玲奈さんの声が震えている。
敵の狂気が自分たちの想像を、遥かに超えていたことに誰もが戦慄していた。
「ユーマ…」
サヤが、涙ぐみながら俺の前に立つ。
「ごめん…あたしのせいで、また…」
「違う」
俺はその言葉を遮った。
そして、まだ震えている彼女の肩をしっかりと抱きしめた。
「違うって、言っただろ。謝るな」
俺は、全員の顔を見渡した。
玲子さんも美咲さんも、真琴も玲奈も、そして腕の中にいるサヤも、みんな不安と恐怖に顔を歪めている。
そうだ。
怖いのは俺だけじゃない。
みんな、怖いんだ。
だからこそ、俺がしっかりしなきゃならない。
俺は恐怖を振り払うように、力強く宣言した。
「俺は、負けません。絶対に」
「ユーマ…?」
「サヤのことも、この場所も、俺が守ります。必ず」
その言葉は、俺自身の決意表明だった。
恐怖に揺れていたサヤの瞳に、わずかな光が宿る。
玲子さんたちが、息を呑んで俺を見つめていた。
この世界の常識ではありえないはずの、男からの「守る」という言葉。
それが今、確かに彼女たちの心に強く響いていた。
そうだ。
俺は一人じゃない。
襲撃は怖かった。
今も身体の震えは止まらない。
だけど、俺には帰る場所がある。
心配してくれる仲間がいる。
守りたい相方がいる。
それだけで俺はまだ戦える。
俺は腕の中のサヤを、もう一度強く抱きしめた。
彼女の温かさが、俺の心を少しずつ溶かしていくのを感じていた。
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