第11話『祝杯と不穏な影』

「お疲れー!あんたたち、最高だったよ!」


配信を終え、興奮冷めやらぬまま楽屋に戻った俺たちを、満面の笑みの玲子さんが出迎えてくれた。

彼女の手には、ジュースの入ったグラスが人数分、盆に乗せられている。


「玲子さん…!」

「いやー、面白かった!まさか、あの状況をああやってまとめるとはね。たいしたもんだよ、ユーマ!」

「いえ、俺はもう必死で…」

「それがいいんじゃんか!サヤ、あんたも最高だったぞ!あの自由っぷり!」

「えへへ、ほんと?楽しかったー!」


玲子さんは、俺とサヤの頭を、わしわしと豪快に撫で回した。

美咲さんも、カウンターの奥から静かに親指を立ててくれている。

その温かい歓迎に、張り詰めていた緊張の糸が、ぷつりと切れるのを感じた。


「…お疲れ様でした」


ふと、楽屋の隅から、凛とした声が聞こえた。

そこに立っていたのは、いつの間にか楽屋に戻ってきていた、橘さんだった。

彼女は、まだ少し気まずそうに、腕を組んで壁に寄りかかっている。


「あ、橘さん。見ててくれたんですね」

「仕事ですから。監視するのが」


橘さんは、ぷいとそっぽを向く。

だが、その耳がほんのり赤いのが、照明のせいでなければ、俺にも分かった。

テーブルに突-伏して震えていた姿を、思い出しているのだろうか。


「…それで、どうでしたか?」


俺が意地悪くそう尋ねると、彼女は咳払いを一つして、こちらを睨みつけた。


「報告書に書く必要があるので、客観的な事実として言っておきますが…」

「はい」

「…一定のクオリティは、担保されていました。以上です」


ツン、とした態度でそれだけ言うと、彼女は「では、私はこれで」と帰ろうとする。

その背中に、玲子さんが声をかけた。


「まあ、そう言わずに、一杯飲んでいきなよ。ジュースだけどさ」

「…勤務中ですので」

「いいじゃんか、お堅いこと言わずに。あんたも、笑った仲だろ?」


「笑ってません」と即答する橘さんだったが、玲子さんに強引に腕を引かれ、結局、俺たちのささやかな祝勝会に付き合わされることになった。



「うわっ、また通知きてる!」

「こっちもー!」


祝杯をあげている間も、俺とサヤのスマホは、ひっきりなしに通知音を鳴らしていた。

画面を開くと、信じられない光景が広がっている。


「フォロワー、5000人超えてる…」


配信終了から、まだ一時間も経っていない。

それなのに、開設したばかりのアカウントのフォロワーは、俺が芸人をやってきた中で、一度も見たことのない数字にまで膨れ上がっていた。

コメント欄には、「面白すぎて呼吸困難になった」「次の配信はいつ!?」「二人のファンになった!」「男の人って、あんなに早口で喋れるんだ…」といった、絶賛のコメントが溢れかえっている。


「ユーマ、すごいよ!有名人じゃん!」

「いや、そんなこと…」


何年も、誰にも認められなかった。

面白いと言ってくれるのは、身内だけ。

そんな俺が、今、何千人もの見ず知らずの人たちから、賞賛の言葉を浴びている。

嬉しくない、と言えば嘘になる。

だが、それ以上に、現実感がなさすぎて、戸惑いの方が大きかった。

まるで、自分ではない誰かの成功物語を、見ているような気分だった。



その頃、男性保護課のオフィスでは、橘梓が上司に電話で報告をしていた。

彼女は、祝勝会を早々に切り上げ、職場に戻っていたのだ。


「はい、配信は先ほど終了しました」

「懸念されたような、彼の身元の特定に繋がる情報漏洩や、身の危険を誘発するような言動は、今回は見られませんでした」


電話の向こうで、上司が「して、その内容は?」と尋ねてくる。

橘は、一瞬、言葉に詰まった。

脳裏に、自分がテーブルに突-伏して、必死に笑いを堪えた記憶が、鮮明に蘇る。


「…コンテンツの内容、ですが…」


彼女の声は、自分でも気づかないうちに、わずかに上ずっていた。


「…き、極めて、高い水準の…エンターテイメント、でした。はい。視聴者の反応も、極めて良好です」


彼女は、自分がただの報告書を読むように、淡々と事実を述べているつもりだった。

だが、その言葉の端々には、初めて触れた「お笑い」という文化への、隠しきれない興奮が滲んでいた。

彼女の中で、佐藤悠真という男の存在が、ただの「保護対象」から、少しだけ違うものへと変わり始めた瞬間だった。



豪華な高層マンションの一室。

巨大なモニターに映し出されたユーマたちの配信録画を、神木レイジが冷ややかに見ていた。

彼の興味は内容ではなく、熱狂するコメント欄にだけ向けられている。


彼は何も言わない。

ただ、自分以外の男の名前で埋め尽くされたチャット欄を眺め、静かに「チッ」と一つ、舌打ちをする。

そして、無言で動画の再生を止めると、その顔には、自分のおもちゃに勝手に触られた子供のような、独占欲に満ちた不機嫌さが浮かんでいた。

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