ファンタズマ・カプヌ

邪悪シールⅡ改

バベル

 世界がキライだ。


     ○


「それさぁ、魔改造カプヌじゃん!」

 その瞬間にガラスを叩く雨音の煩さはどこかへ失せた。

 派手な髪色。私と大して変わらぬ背丈のクソガキ。

 カフェテリアの端――――相も変わらぬ定位置に今日も今日とて現れた手ぶらの彼は、やはり堂々と私の真正面に座った。

 そして二分ほど前に湯で満たしたカップ麺を、指で突っつく。

「まか…………なんて?」

「じいさんがさぁ爆発するCMあんじゃん」

「は?」

「面白いぜ。魔改造もつ鍋醤油人間になった奴がさぁ出るの」

「怖。知らないよ。それに何だ、カプヌって略」

「超有名なんだけどな」

「…………ウザ」

 後ろ髪が汗ばんだ首筋に纏わり付く。

 慣れない感触だ。

 深く、深く息を吐いた私はスマホのひび割れた液晶を撫ぜる。

 濃い匂いが…………眼に染みる。

「…………ね、ね。ところでキミは今年で何年生だっけ」

「1年に決まってんじゃん」

「あぁ、小学1年の6ちゃいちゃん。じゃあ……そういうのがウケても仕方ない。私はさ、16歳のだからついていけないや」

「口、悪すぎない? ――――あぁ、それそれ。そのじいさんの動画」

 死にかけの携帯端末が再生した動画を、やはり彼はたいへん好いているらしい。

 周囲の――――喧噪と呼ぶほどでも無い細やかな話し声を完全に潰すべく、スピーカーの音量を可能な限り上げてやると、彼は歯並びの悪い口を広げ下品に笑った。

 この世界のどこにでもいる十代半ばのクソガキの笑い方だ。

 一方、今年投稿されたばかりとは思えない、妙に古風なアニメーションの中では、新商品の紹介最中の高名な博士が強大な爆弾として投下されていった。

「…………へっ。ヤバ」

「笑ってんじゃ~ん」

「うぜぇ~」

 三分経った。

 

 ○


「む。ぐ、……む」

 ニラの匂いである。

 少々怖じ気づく。蓋を開けただけでこんなにも「強まる」ものなのか?

「ウマそうだなぁ」

 彼は、紀元前にパンを初めて目にした人間の如く、柔い好奇心の滲む笑みを見せた。

「でもさあ、珍し。あなたさ、今日は弁当じゃねえんだ?」

「……………………」

「おーい」

「『お姉ちゃん』って呼んだら返事する」

「さっきのまだ続いてんのかよ。

「うん。寝坊して、ダルかった。んで、適当にコンビニで買った」

「あっそ?」

「…………」

 割り箸でかきまぜる。

 麺とニラに混じり…………謎の肉のような記憶にある具材が顔を出す。

「…………」

 料理の方法も知らなかった幼少期、幾度か胃へ押し込んだ記憶が浮かび、泥のように脳内で溶ける。

「思い出したけど、似たようなものを昔に何度か食ったよ。けっこう助かった」

「そう?」

「ん」

 頬杖を突く彼にカップ麺を押しつける。

「やる」

「え、ナンデ」

「考えたけど、コレ私はもう別に必要なかった。全部あげる」

「あ~…………いいの?」

「食べれるんでしょ。キミもそういうのなら」

「うん」

 彼は口に手を当て、数度瞬きした。改めて観察すると丸っこく幼い瞳である。

 すると唐突に立ち上がった。

「ちょっっと待ってな、ね。すぐ戻っから。捨てねぇでよ?」

「捨てないよ」

 スマホの電源を落としている間に彼は戻ってきた。

 手にはカフェテリア用の器と箸である。

「昼に何も食わないの、たぶん、きっと、きついと思うからさぁ。普通は。だから俺、ちょっと分けるから」

 私の返事も聞かず、カップ麺を半分程度に分ける。

「いただきます」

 作業を終えると手を合わせ、ようやく食べ始めた。 

「うめえよ。餃子みたいな味」

「ニラ入ってるからね」

「すげえ幸せ」

「そう」

「いいのかな。俺、本当に」

「いいんだよ」

 私も器によそってある麺を啜る。

「いいに決まってる。いいんだよ」


     ○

 

 ゴメンね。

 キミが、こういうものを食べたがっているって私は知ってたよ。

 ついこの前だけど。

 教室で同じ動画を観て、その時もぼんやりと…………やっぱり「ウマそうだな」と独りごちてたこと。キミも覚えてないでしょう。

 そうでなかったら、こんなところに持ってきたりしないよ。


 朝に水を飲んでスナック菓子か味の無いサプリメント…………そんなものを囓るだけで、って言ってたキミなのにね。


 私が適当な理由を付けてお弁当を持ってきても、買い食いに誘っても。

《苦しくなって食べられない》》って謝ってたキミなのにね。

 だから私には、これが大きな策だった。

 汗が止まらず、私自身の胃も縮まったように思える。

 祈るような思いだった。


 カップ麺は身体にどうかって?

 知ったことか。

 彼が痩せ細るよりはいい。

 彼が飢えて死ぬよりはいい。

 食物を手に取るたび、何かに詫び続けるよりはいい。


 これで、何か少しでも変わることに比べれば。 


 どこかの博士さん、ありがとう。

 どうかこれからも。何度も、何度でも、爆発してください。

 彼の何もかもを破壊してください。

 そのためならば私は祈ることができそうです。


 私はひとりぼっちで生きられないと教えてくれた、たった一人の人なんです。

    

 ○


 世界がキライだ。


 今になって、俺の何もかもを、何もかもで満たそうとする世界が。

 だから忘れることばかりに専念した。

 血の繋がりがあっただけの無関心な大人共を。

 一欠片の喜びも夢も未来も情愛も知らぬまま死んだ妹の顔を。

 そうすればこの気持ち悪さと後悔が消え失せると願った。


 自分がキライだ。 

  

 昔に戻ることすらも恐れ何もかもに失敗し、こうして今は、この世界に寄生する自分が。

 動画投稿サイトや本を漁り、妹が笑うようなジョークやコメディに縋り付くばかりの自分が。

 傍にいる何もかもを避けようとし、ただ物を食うと吐き気に襲われるだけの惨めなくだらない自分が。


 

 彼女が好きだ。


 大事なものなど何一つ無いと言う割に、俺を気にかけてくれた人。

 身勝手な拒絶をしても怒らずに俺の背をさすってくれた人。

 くだらない、間抜けな、何の益も無い――――妹と昔、空腹を紛らわすために言い合ったような馬鹿話を聴いてくれる人。


 あのね。

 俺も今、久しぶりにカップ麺を食べたよ。

 他に妹へ食わせてやるものも、用意する知恵も無かったから。


 こうしてまともに飯を食えたのはいつぶりかも分からない。

 口に運ぶまで、食えるとも思っていなかった。


 あの頃の俺は不幸かもしれないけど、幸せだった瞬間もあった。

 妹に生きていて欲しかった。この世界に美しさがあるとしたら、あの子には俺の代わりにそれを知って欲しかった。

「泣いてんの?」

 カップ麺を食い終えたとき彼女は不思議なことを言った。

 目元を拭ってみたが、涙など一粒もありはしない。

 そんなものはこの身体からとっくの昔に消えた。

 そのはずだ。

「そう見えただけ。私には」

「そう」

「うん」

「…………ありがとう」


      ○


 博士。

 ずっと昔、家の便所に放り投げられた携帯端末であなたの動画を観ました。

 爆発するあなたの姿を観て、俺の妹は大笑いしていました。

 俺も妹の顔を見て笑いました。

 博士。

 きっとこれからもあなたは爆発し続けるのでしょうが、一つだけお願いです。

 

 俺の目の前にいるこの人だけは壊さないでください。

 

 俺が祈ることはそれだけです。


 

 

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