第5話-8
◆
「……このような騒ぎにして、大変申し訳ございません」
水族館の騒ぎが収束した後に、集まったスタッフの方々に向かって、深く頭を下げる。
「いや、あんたは悪くないよ!」
「酷い目に遭ったな」
「元気出してくださいね」
「彼女さん、お大事に!」
スタッフの方々は、嫌な顔一つせず、むしろ気遣ってくれた。
それでも、床に散乱した商品を拾い集め、倒れた棚を黙々と組み立て直す姿に、申し訳なさで胸が痛んだ。
俺たちのせいで、こんなことになってしまった。
そこに、館長らしき初老の男性が現れた。
大きなジンベエザメのぬいぐるみを、俺に差し出した。
「よければ、また、ゆっくりいらしてください。彼女さんと、二人で」
その言葉に、少しだけ救われた気がした。
受け取りながら頭を下げた。
「……ありがとう、ございます……っ」
◆
今日のバイトは、店長に事情を連絡して休ませてもらった。
陽菜は病院からそのまま帰宅したらしい。メッセージで送られていた。
俺も付き添うと返信したが、連絡はなかった。
冷え切った自室に帰り着いたのは、もう夜だった。
ジンベエザメのぬいぐるみをベッドに置き、スマホを握り締める。
意を決して、発信ボタンを押す。
――コール音が、無機質に響き続ける。
出ない。 そして、留守番電話サービスに接続するアナウンス。
すぐにチャットを送った。
『今日は本当にごめん。大丈夫か? 顔、痛むだろ』
送信。……既読がつかない。
『ゆっくり休んで。明日、渡したいものがある』
シャワーを浴びてから、再び送信した。やはり、既読がつかなかった。
それは朝、目覚めても。
◆
陽菜は早番のはずだ。
すれ違いざまに、一目だけでも顔を見て謝りたかった。
だが、バックヤードに入っても、彼女の姿はどこにもなかった。
「……店長。幸村さんは?」
「ああ、諸橋くん。……それが、幸村さん、今朝電話があって」
「電話、ですか?」
「『一身上の都合で、しばらく休みたい』って……」
血の気が引いた。
あんなに仕事熱心だった陽菜が? ありえない。
慌ててスマホを取り出し、電話をかける。
――プッ、プッ、プッ。
「……っ」
通話中。
いや、違う。これは、着信拒否だ。
嘘だろ。陽菜。何で。もう一度、諦めきれずに発信する。プッ、プッ、プッ。無慈悲な音。
全身から急速に熱が奪われていく。
◆
バイトが終わっても、家に帰らず、駅前のベンチに腰掛けて、ただひたすらに電話を待った。『駅前で待ってる』。そうメッセージを送って。
夜が更け、日付が変わった。ダメか。
帰る前に、最後にもう一度だけ電話をかけた、その時。
――プルルルル。
コール音が、鳴った。 拒否が、解除されている……!
心臓が跳ね上がる。3コール目。プツリ、と音がして、繋がった。
「陽菜ッ!!」
遠くで「まもなく二番線に~」というアナウンスが聞こえた。
『……湊くん』
掠れた、か細い声。
生きていた。よかった。安堵と、何度も催促した罪悪感で、声が震える。
「陽菜! よかった……! 殴られたところ、大丈夫か!? 本当に、ごめん。俺が、俺が弱かったせいで……。守れなくて、本当に、ごめん……っ」
『……わたしこそ、ごめんね』
電話の向こうの陽菜は、呆然としているようだった。
声にいつもの光がない。まるで、魂が抜け落ちたみたいに。
『……余計なこと、したから。湊くんに、また、嫌な思いさせちゃった』
「余計なこと、なんて、そんなこと……」
『ううん』
陽菜は、それきり黙ってしまった。
彼女が息を詰めているのがわかる。ただ、じっと待った。彼女自身の言葉を。
そして、絞り出すような、絶望に満ちた声が聞こえた。
『……わたしね。あの時、殴られて、嬉しかったんだ』
「――え?」
『ああ、これで、わたしも湊くんと同じになれた。……これでやっと、湊くんの痛みの側に立てるって。同じになれたって。汚されんだ、って、思ったの』
違う。陽菜、きみは、何を言ってるんだ。
『でもね、違った。……わたしは、最初から、バカで、最低なの』
「そんなことは……!」
『湊くんは、わたしみたいに汚れた、最低な女じゃなくて……』
「やめろ!!」
そんなことない。
結衣に、直哉に、教授に、存在価値を否定され、生きる意味すら見失っていた、俺。
陽菜が、今、あの時の俺と、同じ声をしている。
『……もっと綺麗で、ちゃんとした人と、幸せになって』
「俺が幸せになれる人はっ! 幸せにしたい人は、陽菜だけだ!! 今すぐそこに行く! どこにいるんだ!」
『さよなら、湊くん』
「陽菜!!!」
プツッ。
切れた。虚しい音が、鼓膜に突き刺さる。もう一度かける。プッ、プッ、プッ。再び、着信拒否。
――陽菜。
きみが俺を、絶望から救い出してくれた。
今度は、俺が救う番だ。
俺にくれた光をきみに返す。
必ず、見つけ出す。この世界の、どこにいても。
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