第p話-2

『結衣ッ!!!! あんた、何てことしてくれたのよ!!!!』


 第一声から、耳が張り裂けそうな、ヒステリックな絶叫。


『ネット見たわよ!!! 水族館!? 暴行!? あんた、頭おかしいんじゃないの!?!? だいたいね……!!』


 耳がキーンと痛んで、意識が遠のく。

 何で?

 何でそんなに責めるの?

 娘のことお構いなしに続ける? そんなの、母親のすること? まず心配するのが普通じゃないの?

 実の娘だよ? お母さん……。


「違うの! 私は悪くない! ハメられただけで……!」


 お願い。お願いだから、わかって。世界中が敵でも、お母さんだけは、味方でいてよ!

 ボロボロになった喉で、必死に懇願する。声がみっともなく裏返る。


『黙りなさいッ!!!! 言い訳なんか聞きたくない!』


 私の言葉が。

 願いが、全部、けたたましい金切り声で塗り潰される。


『あんたのせいでッ! あんたのせいで、お母さん、もう外も歩けないわよ!!! 近所の人に何て言われるか! 親戚中に知れ渡って! お父さんの会社のことも! 全部あんたのせいよ!!!!』


 頭がガンガンする。違う。そうじゃない。私の心配は? こっちが今、どんな状況か、一言も訊かないの?

 わかってもらえない。この人にも。一番わかってほしかった人間に、ナイフで抉られるみたいに、一方的に切り捨てられる。

 何で私が、こんな目に遭わなきゃいけないわけ?

 ていうか、自分の世間体の心配ばっかり。

 こいつ、ゴミか。


『そもそもあんた、職場はどうしたの! こんな平日の真っ昼間に! 未経験で動物看護師に採用されたって、あんなに嬉しそうに……!!」

「……夜の蝶やってるから」

『はあ? 夜? ……キャバクラ!? 嘘でしょ!? あんた、今まで私に嘘ついてたの!? この泥棒! 詐欺師! 今までかけた養育費いくらだと思ってんのよ!!!』


 うるっっっせえな。クソババが。

 だから、その養育費とやらを一日でも早く返そうとしたんだろうが。アンタが金、金、金って、喧嘩になるたびギャオオオンって騒ぐから。

 こっちがどれだけ惨めな思いして、あのゴミみたいなATMを手なずけて、必死にカネ作ってたか、わかってんの?

 娘の人生を転落させた責任とれや!!!!


『この恥知らず!! よくも騙してくれたわね!! もうあんたみたいな娘、知らない! 勘当よ!! 二度と連絡してこないでっ、この疫病神!!』

「願い下げだよ毒親がよ。死ね」


 もうお前に用はねえんだわ。

 吐き捨てると、電話の向こうが、一瞬、しん、と静まり返った。最後の繋がりが、ブツリと切れた音がした。ざまあみろ。


『親に向かって、何ですかその口の聞き方はァアアアアア!!!!!!!』


 通話終了ボタンを押した。そのまま設定を開く。着信拒否。連絡先を削除。母親。父親。うるさい親戚。全部。驚くほど冷静に、指がスルスル動く。

 スマホを、アスファルトに思い切り叩きつけた。

 甲高く弾ける音。拾い上げると、画面が蜘蛛の巣みたいに砕け散ってる。もう一度全力で叩きつける。


「おい、ゆ、結衣……!」

「話しかけんな」


 今、余裕ねえから。

 拾っては叩きつけて粉々にしていく。

 砕け散ったスマホの残骸を、何度も、何度も踏みつけた。 ああクソ、ヒールでも履いてくればよかった。 スニーカーの底が、プラスチックとガラスの破片でギリギリと音を立てる。 クソが。クソが。クソが。




 じゃあ、いらねえよ。

 こんな親。


「……チッ。直哉、スマホ貸せ」

「あ? ……あ、おい!」


 ひったくるように奪い取って、スマホで検索して、店に電話をかけた。

 金。金よこせ。来週分の給料前借りだ。 こんなことになったんだ。援助してもらって当然だろ。


「あ、店長? 結衣ですけど、今日出れそ――」

『ふざけんじゃねえぞこの疫病神ッ!!!!』


 鼓膜が破れそうだった。さっきの母親と同じ、ヒステリックな絶叫。


『お前、ネットで何したかわかってんのか! うちの店まで特定されてんだぞ! 暴行女の勤務先って!! Googleマップにクソレビュー書かれまくってんだよ! 二度とかけてくんな、水族館女! 給料もねえからな!』

「はあ!? ちょ、勝手に――」


 ガチャン。ツーツーツー……。


「……ふざけんな!!!! あのクソ店長! 訴えてやる!!!」


 こうなったら、他のヤツだ。直哉のスマホの連絡先、片っ端に電話をかけていく。


『直哉か? え、……結衣? ……ごめん、今、忙し――』

『……ああ。ネット、見たよ。悪いけど、もう、連絡してこないでくれるかな。ブロックさせてもらうよ』

『今お前と関わったら、こっちまで炎上するから』


 もう連絡先をスクロールしきった。全部、だめ。もはや電話に出ない。


「はああああああああ!!!!?? 今まで寝てやった恩義返せや!!!!」


 コンクリートを蹴りつける。

 隣の直哉を見ると、ビクッと震えた。


「……結衣。……今まで寝てやった、って……。オレ以外のやつと、どこまで」


 は?  こいつ、何言ってんの?  


「あんたさ、あのレストランで回しキスしたの忘れたわけ? アレが平気で、これはダメなの? バカじゃん」


 この世の終わりみたいに、真っ青になってる。キモ。


「……あれは、ノリ、だったろ……。でも、お前、オレと付き合って……」

「いつからアンタ、私の彼氏面してんのよ。キッショ」


 ノリで直哉のスマホも地面に叩きつけるふりをした。「おい!!!!」と本気で怒鳴って掴みかかる直哉。ギャハハ。余裕なさすぎっ!


「……アンタの家行けないの?」

「はあ!? 実家暮らしだよ!!」

「別にいいしゃん? じゃあ兄貴の家は?」

「行けるわけねえだろ! 鍵持ってねえし……俺も晒されてんだぞ!! 家族も全部特定済みだ! 今頃、実家も兄貴のタワマンも、マスコミか凸系ユーチューバーが集ってんだよ!!」


 チッ。 使えねえ。

 もういいわかった。アンタがダメでも、私は平気だし。こういうのはSNSで『泊めてくれる人ー?』とか書けば、秒で釣れるんだから。

 直哉のスマホで、私のアカウントにログインしようとする。パスワード……よし。

 ログインした、瞬間。


 通知が、止まらない。


 さっきのネカフェの比じゃない。何千、何万。『死ね』『ブス』『前科者』『ネカフェでヤってた獣』『親の顔が見たい』。DMも99+。

 誤って開いた瞬間に、グロ画像やら、殺害予告やら、私の顔を切り刻んだコラ画像が、滝みたいに流れ込んできた。


「ひ……っ」


 ダメだ。釣るどころじゃない。ていうか、何、これ。私の偽アカウントまで出てる。

 

『水族館で大暴れしたネカフェ獣姦女です♡』


 意味不明。

 そのプロフィール欄の下、固定ポスト。


『♡結衣のキモチイイ声(MP3)♡ みんなもオカズにしてね!』


 何これ。誰が。どうして。

 聴きたくない。でも、確かめなきゃ、わかんない。嘘かもしれない。祈りながらリンクを開く。


 ――あのネカフェの、クソジジイが生配信してた、私と直哉の、一番聞かれたくない、切り抜き音声。


 私のプライドが、私の過去が、私の価値だったはずのものが、全部、世界中のオモチャにされる。

 今日の宿を釣ろうとしてたSNSは、もう、私を嬲り殺すための、公開処刑場。




 あれ。つまり、何?

 終わり?




 コンクリートの硬く冷たい感触が、薄っぺらいスニーカーの底から這い上がってくる。

 私たちは、どこにも帰る場所がない。


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