第4話-3


 そして、午前九時。

 チロリロリン、と高い音を立てて自動ドアが開いた瞬間、俺たちの戦いは始まった。


「オープンセールのお弁当どこ!?」「セッター。……タバコ! 早く出せよ!」「揚げたてのチキン、五本ちょうだい!」


 なだれ込んできたのは、開店を待ちわびていた客、客、客。人間の津波だ。

 オープン記念の100円引きクーポンを握りしめた主婦。タバコを求めるサラリーマン。特売の弁当と飲料をカートに満載する若者。

 こんなに需要あるのかよ、新規オープンって!

 近隣にもコンビニはあるのに、この殺到。

 瞬く間に、二台しかないレジには長蛇の列が形成された。


「申し訳ございません、ただいま確認します……」


 研修通りにやろうとする他のスタッフは、マニュアルにないイレギュラーな要求の嵐にたじたじだ。一部スタッフは、完全に思考を停止させて、手を止めていた。


「あの! 白米の袋はどこですかって! 聞いてるだけなんだけど! 何で答えられないかな!」

「……チッ。んでオレがこんな……」

「あぁっ!? 今何て言った!? 店員の癖に敬語も使えないのかよ!」


 金田に至っては顧客と口論を始めている。


「申し訳ございません!!」


 店長はひたすら頭を下げ続ける。

 俺は俺で、空いた陳列棚にひたすら補充する。一人では到底追いつかないが、それ以前に在庫がない商品が多すぎる。

 時計を見れば、まだ開店して一時間も経過していない。

 品出しの立場から店の様子を見ていると、生田の仕掛けた罠がよくわかった。

 まず目につくのは、日販在庫の壊滅的な欠品だ。


「すみませーん、缶コーヒー、売り切れ?」

「ツナマヨのおにぎり、もうないんですか?」


 客が当たり前に求める商品――いわゆる売れ筋が、軒並み姿を消している。

 その一方で棚を圧迫しているのは、誰も手を伸ばさないような新奇なフレーバーの炭酸飲料や、意識高い系の高級ナッツ。

 バックヤードの在庫も、売れ筋から外れた商品ばかりだ。

 そして問題は、オープン記念の目玉商品である、弁当と特売茶の導線。

 通常の米飯やチルドを収めるケースではなく、店舗の奥の平台に置いたせいで、顧客は無駄な往復を強いられる。

 せっかく米飯コーナーを歩いてもらうのに、欠品が多くてスカスカだ。効果がないくせに、大混雑が起きている。

 ――生田の罠。

 これは、意図した事故じゃない。人災だ。

 生田は、品出しを俺一人にして店を崩壊させ、その責任を全て被せるつもりだ。それはわかっていた。

 だがそもそも、品出し以前に、この店の惨状は何だ?

 店舗の評判も、顧客の満足も、スタッフの疲労も、何もかもが犠牲になる。満たされるのは、今もバックヤードに籠る、奴のちっぽけな自尊心ばかり。

 思えばオープン前、在庫を整理できていなかった。俺と陽菜で取り掛かったぐらいだ。売れ行きの想定や、売れ筋商品の確保なんて、できなかったんだ。

 生田は、マネージャーとして失格の、無能だ。


「オメエな、ふざけてんじゃねえぞ! 何だよこの行列は?」


 目の前の顧客から、叱責を受ける。


「申し訳ございません! 混雑解消に努めてまいります……!」


 ――思考を振り払い、頭を下げる。

 生田のためじゃない。これからも、ここで働くかもしれない陽菜のためだ。店舗の評判を下げないために働く。

 台車は通れない。

 汗だくで人混みをかき分ける。商品を運び、平台の前で待つ顧客一人ひとりに手渡していく。地道に、何度も。

 台車分がなくなった。混雑は、少しはマシになったか。いや、まだだ。次の弁当を――!

 息を切らしてバックヤードに戻ると、信じられない光景を目の当たりにした。


「いやっ……! やめてください、マネージャー!!」


 狭い通路の奥、山積みの段ボール箱とドリンク棚の間に、追い詰められた陽菜。


「いいじゃねえか、ちょっとくらい。幸村ちゃん、ほんっと綺麗だよなあ、はあ、はあっ……」


 彼女を閉じ込めた、後ろ姿の生田。

 俺はすぐさま駆け寄り、奴の肩を掴もうとした。

 だがその直前、陽菜が、俺だけに分かるように、かすかに首を横に振った。

 ――動かないで。

 その瞳が懇願するように、俺を射抜く。

 足が、床に縫い付けられたように止まった。


「そんな怯えんなよ? ……分かってんだよ、オレは。幸村ちゃんみたいな可愛い子はさ、自分の武器をどう使えばいいか、ちゃーんと知ってる。その笑顔も、その優しい声も、全部、男を転がすための計算だろ?」


 陽菜が持っているドリンクのケースに、自らの下半身を押し付けるように、じり、と距離を詰めていく。


「あの諸橋とかいうゴミ、哀れだよなぁ? 幸村ちゃんの優しさを本物だと信じ込んで、尻尾振ってやがる。幸村ちゃんも、あんな社会不適合者の童貞じゃ物足りねえだろ? オレなら何戦でもイケるぜ! なあ!!」

「……いい加減に……」

「図星か? 教えてやるよ。本物の大人の男ってやつをな!! オレみたいのに媚びてりゃ、時給も上がるし、シフトも融通してやる。幸村ちゃんも、すっごい気持ちいい。その方がいいだろ?」


 一言、一言が、俺の理性を削り取っていく。

 陽菜は何故俺を止める?

 生田は、彼女が持っていたドリンクのケースをひったくり、床に叩きつけた。ガシャンとけたたましい音が響き、陽菜の肩がびくりと跳ねる。


「さあ、お利口さんの陽菜ちゃんには、特別に褒美をやろう。――キス、してやるよ」


 ぷつり、と。

 今まで、何とか理性で押さえつけていたそれが、決壊した。

 頭に血が上るのとは違った。

 むしろ沸騰していた思考が、急速に冷えていく感覚。


 直哉への怒り。結衣への絶望。一週間この男から受け続けた仕打ち。

 そんなものはどうでもいい。

 守ると誓った、陽菜への毒牙。

 こいつだけは絶対に許さない。

 

 床を蹴って飛び出そうとした。

 陽菜が、今度ははっきりと、鋭い視線をよこした。

 声には出さず、唇だけでこう告げた。


 ――逃ゲテ!


「……っ!!」


 ……何でだよ……ッ。俺のことより、自分のことだろうが!

 その心の叫びが聞こえたかのように、彼女の唇が、もう一度動いた。


「あなたが無事なら、未来があるの。わたしたちが戦うための、明日が……!」


 この地獄の真っ只中で。

 俺の暴行で、全てを失う未来を、何よりも恐れているのか。

 自分の身がどうなろうと、俺との明日を守ることだけを、考えているのか。


「……っ、わかった」


 唇を噛み締め、この戦場を、生き抜くことを誓う。

 だが、ただ黙って耐えるわけじゃない。


「おい、クズ。こっちを向け」

「ああっ? ……はうっ!?!?」


 生田が、俺に振り向いた瞬間だった。

 真正面からクリーンヒットした。 ゴッ、と鈍い音。生田は「ひゅっ」とカエルの潰れたような悲鳴を上げると、白目を剥き、スローモーションのようにその場に崩れ落ちた。

 ――自業自得だ。

 ただでさえ戦場と化している店のバックヤードで、スタッフに絡んで突っ立つな。プラケースの角がぶつかる、こんな事故に遭うのも当然の報いだ。

 しゃがんだ陽菜の腕が、どう動いたかは、よく見えなかった。暗いしな。


「も、諸橋、てめえ何でここにいんだよ!!」


 床でエビのように丸まってなお、滑稽に凄む生田を見据え、あえてバックヤード中に響く声で、はっきりと言った。


「見ていますよ、エリアマネージャー。お客様に多大な迷惑をかけ、現場のスタッフが汗水流して働いているこの時間に、何をしていたのか」

「なっ……!!」

「顧客対応のない安全なバックヤードで、籠もるだけ籠もって。挙げ句、床に這いつくばって。その体は、その手は、その肩書は、何のためにあるのですか?」


 お前の処遇は後で決める。今、かまける暇はない。


「事実として、本社にありのままを報告させていただきます」


 床で醜態を晒す男よりも、もっと大事なことがある。

 まだ不安げにこちらを見つめる陽菜に、力強く頷いてみせた。


「この店を、立て直すぞ。陽菜」


 バックヤードから表に出る。

 目の前に広がるのは、客の怒号が渦巻く地獄絵図。

 店長は一つのレジで孤立し、もう一つのレジでは新人三人が完全にパニックに陥っていた。

 ――陽菜を、この戦場の最前線に呼び戻す!

 レジに入り、スタッフの肩を叩いて、矢継ぎ早に指示を飛ばした。


「鈴木さん。レジは任せて、台車で弁当と冷蔵エリアを補充してくれ! 人が通れないなら、お客様に頭を下げて道を作って」

「山田! お前は声が出せるな? 店の入り口に立って、弁当コーナーの場所と行列の最後尾を案内し続けろ! お客様の質疑応答も頼む!」

「金田。お客様と喧嘩する暇があったら、バックヤードからドリンクを一つでも多く補充しろ! やれ!」


 突然の命令に誰もが戸惑う。だがな、状況を好転させたいなら、従え!


「店長。いいですね?」


 問いかけると、目を丸くした店長は、こくりとうなずいた。

 指示に沿って、彼らは操られるように動き始めた。

 これでいい。これでレジが一つ、完全に空いた。

 店長が一人で奮闘するレジの隣で、空になったレジ画面の右上の応援ボタンを押した。

 ティロリロ、と場の喧騒に不似合な、爽やかなチャイムが鳴る。

 ――来い、陽菜! ステージは整えたぞ!


「おい何だ! ……負傷してるときに応援なんか呼びやがって!!」


 お前かよ!?


「生田マネージャー、どいてください!」


 凛とした声が、喧騒を切り裂いた。

 通路の真ん中に身を乗り出した生田を押し退けるように、バックヤードから出て、颯爽とレジに現れる。


「お客様、大変申し訳ございません。お待たせいたしました!」


 飲料補充担当だった、陽菜。

 彼女が名札のバーコードをリーダーで読み込んだ瞬間、店舗の空気が変わった。

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