第2話-4
◆
幸村との約束の時間まで、あと二時間だ。
さっきのコンビニでの別れ際。
「駅前の居酒屋に集合!」と楽しそうに言った幸村に「直接向かえばよくね?」と聞いたところ、「わかってないなぁ、もう!」と拗ねられた。
待ち合わせというイベント自体が楽しいのだと、後から気づいた。
すっかり浮かれた気分で、クローゼットの前で腕を組む。
たかがバイト仲間との、競争の罰ゲーム。そう自分に言い聞かせても、自然と口元が緩んでしまう。
ふへへ。一人きりの部屋で、思わず奇妙な笑い声が漏れた。
勤務終わりのヨレヨレのTシャツじゃ駄目だ。かといって何を着ようか。あ。昨日、幸村が褒めてくれたあの私服はどうだろう? ……いや、いかにも意識しているみたいで気恥ずかしい。
少しでもマシな男に見られたくて。久しく忘れていた、デート前の感覚が蘇る。
結局、無難なシャツとデニムを選んだ。それでも時間が余っているから、シャワーを浴びて、髪を整えるべく鏡の前に立った。
そこに映っていたのは、ここ数ヶ月、見たこともないほど、穏やかな顔をした自分だった。
その時だ。
部屋の隅で充電していた、古いスマートフォンが不気味なバイブレーション音を立てて震え始めた。
もう鳴る予定のない携帯。連絡先は今のスマホに移したし、ごく最低限、家族にだけは伝えた。だが、機械が苦手なじいちゃんばあちゃんからの連絡を考えて、まだ手元に置いていた。
画面に表示された名前に、心臓が凍り付いた。
――相川結衣。
やがて留守番電話に切り替わる。すぐに、メッセージが文字起こしされて画面に表示された。
『何で出ないの!? 今どこにいるの! 私彼女だよね!? 連絡先教えないで消えるなんてサイテー!』
――別れたはずだ。
俺から、何回目かわからない別れを告げて、今回こそ合意を得たはずなのに。
でも想像はつく。
彼女の中で、あの日の出来事を捻じ曲げて、俺が一方的に逃げ出したという物語に書き換えたのだろう。
『あんたがその気なら、こっちにも考えがある。あんたの今の連絡先、もう入手してるから』
「……勘弁してくれよ!!」
思わず漏れた声は震えていた。
壁に手をつき、その場に崩れ落ちそうになるのを必死でこらえる。
引越して、電話番号も変えて、ようやく手に入れたはずの平穏。それが、いとも容易く侵食されていく感覚。逃げ場など、どこにもなかったのだと突きつけられる。
『これ以上こっちに迷惑かけないでくれる? 居留守使うなら、あんたの新しいスマホに直接かけるから』
暴力的なまでの、責任転嫁。
自分が相手を追い詰めているという自覚はなく、相手が自分の思い通りに動かないことを、迷惑だと断罪する。
――ああ、そうだ。
彼女は、こういう人間だ。
やっと逃げられたと思っていたのに。
幸村がくれた温かい光が、結衣という名の分厚い暗雲に、一瞬で覆い隠されていく。
思い返さなくていいはずのこと。
誰も、思い返せなんて言っていない。
なのに、脳が勝手に、あの地獄の記憶を再生し始める。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます