第4話 ノンフィクション

 三年後――。

 荒れた空き地を吹き抜けた風の肌寒さに、シュウはおもわず身震いした。

 反射的にTシャツの上に羽織ったネルシャツの上から軽く腕をさすってみたものの、早朝の気温の低さの前では気休め程度にしかならない。

 もう少し厚着をしてくればよかったと後悔するも、どうせ陽が昇りきってしまえば、今度はそのことを後悔することになるのだからあまり意味はない気がする。


「っあー、さむっ……集合時間、早すぎんだろ」


 シュウはスンッと鼻を鳴らすと、口元を覆った手のひらに息を吐きかける。

 体内であたためられた空気が、肌の表面にじんわりと熱を広げていった。


(この辺りも、すっかり人がいなくなっちまったな)


 日中はせわしない町の中心地から少し離れれば、無人の家屋や空き地が多く目につく。その数は、ここ数年で一気に増えたように思う。

 シャッターが閉まったままの商店街。

 ポストに無理やりねじ込まれた、いつの日付かわからない数日分の新聞。

 乗り捨てられた子ども用の三輪車。

 平凡な日常の名残だけが、今もこの場所に置き去りにされていた。


(戦争なんて、別の世界の話だと思ってたんだけどな)


 人類とはあきらかに異なる生命体との戦いなんて、所詮は誰かが作り上げたフィクションにすぎないのだと。

 たしかそう遠くない昔、そんなような内容の映画がいくつも作られていた覚えがある。

 巨大な怪獣。

 宇宙からの侵略者。

 急速に進化を遂げた類人猿との攻防。

 当時はなんの気なしに、誰もが娯楽のひとつとして楽しんでいたはずだった。


(まさか現実になるなんて、誰も思わねぇじゃん)


 未知なる生命体がどこから来たのか。地底人や宇宙人といった類いのものなのかはわからない。

 それは侵略戦争とは名ばかりの、一方的な虐殺だった。


 かといって、正直なところ自分には関係のない話だった。

 名も知らぬ遠い国から始まったらしいその戦いを、みずから目撃し体験したわけでもない。実感しろというほうが無理なのだ。

 もちろんそこに当事者意識はない。

 ただ漠然と、メディアから伝えられる情報を眺めるにすぎなかった。


 乱れる映像。

 人間ではない、『なにか』。

 破壊された建物の残骸。

 火の手から逃げ惑う人々の悲鳴。

 母を求めて泣き叫ぶ幼子の姿。


 それこそSF映画のワンシーンでも見ているかのような感覚に近かった。

 いつも決まった時間に原稿を読み上げるアナウンサーの声も、日を追うごとにどこか機械的で事務的になっていき、それが余計に現実味を失わせる要因となっていたのだろう。


 ところが、他人事のように眺めていたその光景が、ついに大陸を渡り海を越えてやってきたのだ。

 戦争というものが、急に身近なものとして目の前に迫ってくる。


 逃げるか。

 戦うか。


 シュウが選んだのは後者だった。

 もちろん逃げることを考えなかったわけではない。

 ほとんどの人間がこの非現実的な状況からのがれようと、少しでも安全な地へと避難している。『逃げる』という選択が、市民としてはごく自然な行動だろう。


(なんで逃げなかったんだろうな、オレ……)


 それが正義感からきているものなのか、なんなのかはわからない。

 もしかしたら、子ども時代に胸踊らせた戦隊ヒーローへの憧れも、少しは影響しているのだろうか。


(だけどオレは……ヒーローなんかじゃない)


 ぼんやりと見つめていた手のひらを、シュウはグッ、と握り込んだ。

 どんなに困難な状況でも常に勝利を手にするヒーローとは違い、なんの力もない自分に待つのは『死』のみだろう。

 だが、なにもしないでただ殺されるのはまっぴら御免だった。


 とはいえ、比較的安穏とした生活を送ってきた彼には特別秀でた知識や技術があるわけでもない。

 闇雲に敵に向かっていったところで無駄死にするのが関の山だ。

 敵にとっては、それこそ人間が虫を殺すのと同じようにたやすいことなのである。


(オレもバカな選択をしたよな)


 自嘲気味に口角を上げたシュウは、ぐるりと周囲へ視線を泳がせた。

 雑草も生えないほどに荒れ果てたむき出しの地面には、大きいとも小さいとも言えない石がいくつも転がっている。

 踏み荒らされたぬかるみには大きな水たまり。

 隅には空気の抜けた泥だらけのサッカーボールがひとつ転がっていた。


(つーか、こいつら全員、オレと同じ入隊希望者か?)


 空き地には、シュウのほかにも数人の若者が集まっていた。

 大きなリュックやボストンバッグをかかえた彼らの目的も、シュウとさほど変わらないのだろう。

 否、このタイミングでこの場所にいるということは、間違いなく同じ目的のはずだ。

 所在なさげに空き地の端を行ったり来たりする者。

 小刻みに足を揺らす者。

 しきりに携帯端末を操作する者。

 年齢や性別、服装などてんでバラバラであるが、みな緊張した面持ちでその瞬間を待っている。

 それだけが、彼らの唯一の共通点であった。


(やっぱ面接とかあんだろうな、めんどくせ)


 そんなことを思いながら、くあっ、とあくびをひとつこぼしたときだった。


「やだっ……! うっそ、最悪ぅー!」


 どこからか聞こえた甲高い女の声に、シュウもほかの若者たちも声のしたほうへと視線をやった。

 海外旅行にでも行く気かと問いたくなるほど大きなスーツケースのすぐそばで、女がひとり騒いでいる。

 どうやらキャスターが地面のくぼみに落ちてしまったらしい。


「なんっで! こんなところに来なきゃいけないわけ!? 意味わかんない!」


 女はそう吐き捨てると、スーツケースを押したり引いたりしていた。

 だが重たそうなスーツケースを支えるキャスターがくぼみからはずれる気配もない。

 早々に荷物を移動させることを諦めた彼女は肩で息を吐くと、今度はきょろきょろと周囲を見回している。


(入隊希望者、だよな? 普通あんな格好してくるか?)


 十センチ以上はあろうかと思われるヒールの高いサンダルに、細い肩を大胆に露出したオフショルダーのニット。ずいぶんと丈の短いタイトスカートは、少し前かがみになるだけで下着が見えそうである。

 この場においてひどく不釣り合いなその出で立ちは、あきらかに周囲から浮いてしまっていた。


 だが、シュウには女のうしろ姿に見覚えがあった。


「待てよ……? アイツ、もしかして……!」



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