前世で鬼のつがいと呼ばれた私は、生まれ変わったら最強の鬼騎士団長に溺愛されています
@kinoko-kino
第1話 鬼と戦争
石の牢は、四年の歳月を吸い込んでなお、冷たさを失わなかった。
セレスはそこに幽閉され、幾度も尋問を受けては「鬼のツガイ」という事を認めろと迫られた。
「彼は戦友、ツガイなんかじゃない!」
セレスは、その答えを曲げることなく、彼女は耐えた。
しかし心も体も、限界はとうに超えていた。
体は痩せ細り、骨と皮ばかり。精神も薄氷のようで、ひと息で砕けてしまいそうだった。
四年前の大戦争。
濃藍の旗が、大陸の風を裂いていた。
双つの火山と金の獅子〈グランディオス帝国〉。
その戦は小競り合いではなかった。
大陸の半分を呑み込む、総力戦であり、その戦いが何年も続いていた。
北は氷海の同盟、東は騎馬諸侯の連合、西は商都の傭兵団と海上封鎖。
グランディオス帝国は三方から絞め上げられ、南は山脈と火山帯に阻まれて補給は途絶えかけていた。
敗れれば領土は切り取られ、王朝は分割され、地図から帝国の青は消える。
勝てば覇権。
子々孫々、百年に及ぶ秩序の主となる。
だが――戦力は足りなかった。
若い兵は死に、老兵は倒れ、徴税官は空の倉で棒を数える。
そこで、皇帝セオドリク・グランディオスは、“切り札”に手を伸ばした。
それが――鬼。
「首輪を嵌め、鎖で繋げ。焼印と鉄札で所有を刻め。鬼は道具だ。躊躇うな」
鬼は、グランディオス帝国の火山近くにしか生息しない個体だった。
文化を持たず、言葉もない。
ただ群れ、寄り添い、眠り、空腹を満たすだけ。
己の欲を満たすだけの存在だった。
だがその体は人間よりひと回り大きく、厚い皮膚は矢を弾き、槍を受けても歩みを止めぬ。
鬼は戦争の『盾』にぴったりだった。
人間は彼らを“しつけた”。
鉄の輪は喉に、鎖は踝に。
簡単な命令の言葉を教え込み、従わせる。
焼印は胸骨の上へ「所有」を押し当てる。
棒で叩き、一語ずつ命令を重ね、従えば餌、従わねば罰。
鬼はそれで従順になった。
一体の鬼は五十人の盾兵に等しい。
十体で中隊の損耗率は半減する。
五十体で戦の趨勢が傾く。
その中に、一際大きな影があった。
胸に粗く打刻された焼印。
《七一番 所有者:セレス・マリエン》
小隊長でありながら、帝国の“軍神”と呼ばれた女騎士がいた。
セレス・マリエン、二十歳。
赤茶色の長い髪を高く結い上げ、馬上で風にたなびかせる。
真っすぐ前を見据える大きな瞳には、年上の騎士をも怯ませるほどの意志の光があった。
彼女だけが、その鬼を人として扱った。
帝国の規律は鬼と人の距離を定めた。
餌は投げ与えよ、火には近づけるな、言葉は命令に限れ――“鬼規”は統率のための冷たい知恵だ。
けれどセレスは、いつもその線をつま先で踏む。
水袋を口へあてがい、寒ければ外套を肩にかけ、戦の前には必ず目を合わせて告げる。
白い軍馬に跨り、セレスは声を掛ける。
「七一番、背を預ける。返事を!」
「……まか、せろ」
低く掠れた声が返る。
彼――七一番は、他よりも多くの語を覚えていた。幾度もの会戦を生き延び、合図と足運びが骨に沈んでいる。
セレスは短く頷いた。
信頼は命令よりも速い。
角笛が鳴り、丘の上の連合軍が押し寄せてくる。
最初の矢が雨のように降り注ぎ、盾に突き刺さり、灰の匂いが鼻を刺した。
「七一番、やって!」
セレスの声が刃となる。
鬼は大きな体を揺らし、槍の穂先を手の甲で払い、敵兵の馬を叩き割った。
崩れ落ちる兵、乱れる列。
そこへセレスの刃が水平に走り、返す刀でさらに人を沈める。
戻るタイミングは一拍の呼吸。
大きな体躯なのに、七一番の影は驚くほど静かに、セレスの背後へ戻った。
七一番が掌を地面につけうなりをあげる。
次の瞬間――地面が揺れた。
敵兵の足元が裂け、土が崩れ落ちる。
悲鳴をあげながら兵や軍馬が崩壊した地面に呑み込まれていった。
「……なんだこの力は……!」
周囲の兵が目を見開く。
しかし、驚きはそれだけでは終わらなかった。
敵の後列から放たれた火矢の束。
燃え盛る矢がこちらへ迫る瞬間、七一番の手に炎が宿った。
鬼の腕から吹き上がった炎が火矢を呑み込み、灰に変えて消し去る。
「……さすが!」
セレスは、微笑んだ。
「助かったわ。七一番、最高よ!」
「……まかせろ」
鬼の短い言葉に、確かな信頼があった。
七一番は他の鬼と違っていた。
体格は一段と大きく、鍛え抜かれた筋肉は鎧のように張り、灰銀の瞳が時折、理性の光を宿す。
他の鬼よりも多くの言葉を理解し、簡単な単語を話すことができる。
そして何より――大地を裂き、炎を操る異能。
その力は恐れられ、軍務記録には幾度も赤字で記された。
――「七一番、制圧の要。セレス小隊、損耗率最低」。
だから彼女は言ったのだ。
「七一番は、誰が何を言おうと、私の戦友よ」
「隊長、規律に抵触しますよ」
小隊の兵が眉をひそめるたび、セレスは肩をすくめた。
「統率のためよ。彼は命令に従う。だから私は彼を信じる。信頼は命令より速いの」
そして、七一番はその言葉どおり、彼女の背を守り続けた。
そんな二人を、鼻で笑う者がいた。
「鬼を天幕にいれて、ずいぶん仲が良い事だ。何かよからぬ事をしてるんじゃないのか? まさか、性奴隷にしてるのではないだろうな」
皮肉を投げるのは、同じく小隊長であるサミュエル。
セレスは薄く笑った。
「くだらないことを言ってるから、あなたの隊は統率がとれていないのね」
「口が達者な女め……」
「私は口が立つし、剣の腕も立つ。あなたは何が立つのかしら? 下半身? ずいぶん色んな令嬢に手を出してるみたいだけど、戦場では、全くだめね」
「下品な女だ……!」
サミュエルは、吐き捨てるように言うと、去って行った。
「そっちこそ!」
セレナは、べーっと舌を出す。
七一番はそのやりとりの意味を半分も理解しない。
だが、彼女の声の高さで味方の機嫌と敵意を感じ取る。わずかに身を屈め、彼女の影の中に体を滑り込ませた。
白旗がいくつも翻った。
敵陣の中央で、高く掲げられた布が夕陽を受けて淡く光る。
「敵軍、全て降伏――!」
誰かが叫び、次の瞬間、陣中に歓声が爆ぜた。
「勝ったぞ!」
「帝国の勝利だ!」
兵たちの鬨の声が空に散り、武具が打ち鳴らされる。
血と汗に塗れた空気の中、わずかに安堵の匂いが混じった。
何年も続いた戦争は、ようやく幕を降ろした。
セレスは剣を下ろし、馬から降り深く息をついた。
隣には、巨体を震わせる七一番がいる。
肩で息をし、地面には深い亀裂、あちこちに焼け焦げた跡――彼が全力を振るった痕跡が、戦場を赤黒く刻んでいた。
セレスは視線を彼に向ける。
灰銀の瞳は疲弊に濁り、それでもまだ彼女の背に従う意志を燃やしていた。
「七一番、もう終わったのよ」
セレスは、七一番の体にそっと触れて微笑んだ。
だがその時だった。
――パアアアアア……!
再び、角笛が鳴り響く。今度は鋭く甲高い、血を凍らせる音色。
高台から馬を駆け下ろしてきた使者が布告を掲げた。
「皇帝の勅命! 鬼が反乱を起こした! 危険と判断! 全鬼、殲滅! 逃亡者、匿い人、共に処刑!」
歓声が止んだ。
先ほどまで沸き立っていた戦場が、まるで凍りついたかのように静まり返る。
多くの兵士はすぐに槍を構え直した。
「……反乱?何を……」
セレスは思わず声を漏らす。
鬼は何もしていない。
ほとんどの鬼は、戦争が終わったことも理解してない。
ちょっと待って。
一体何を言ってるの……?
近くにいた兵が、叫んだ。
「 勝利の勅命だ! 鬼どもは用済み、全員斬り捨てろ!」
セレスの胸が冷たい衝撃に打たれる。
「この戦争に勝ったら、鬼を自由にして褒美を与えるって――皇帝は、そう仰っていたじゃない!」
サミュエルが歩み出て、口の端を吊り上げる。
「ははは。軍神殿は、まだそんなことを信じていたのか?」
歯を見せて嗤いながら続ける。
「見ろよ、あの図体。頭は悪いが力だけはある。こんな化け物、戦が終われば危険因子以外の何者でもないだろう? 敵に奪われたら厄介だしな」
「……っ!」
セレスの瞳が怒りで揺れる。
サミュエルの号令が響いた。
「隊列反転! 鬼どもを処刑しろ!」
兵たちが踵を返し、鬼に向けて槍を構える。
先ほどまで前進のために握っていた鎖は、今や首を絞めるための縄に変わった。
「……ああああああ!」
鬼たちの列から戸惑いと咆哮が入り混じる。
「止まれ」
と言われれば止まる。
命令だけ教え込まれた体は逃げ方を知らない。
止まったまま、次々と槍に貫かれていった。
七一番の周囲でも同じだった。
兵士の槍が巨体を突き、鉄の音と肉を裂く音が重なる。
「……ぐっ……」
七一番の喉から低い唸りが漏れる。
しかし反撃の炎はもう上がらない。
地面を砕く力も、すでに枯れていた。
セレスは愕然とする。
無数の兵を打ち倒し、大地を裂き、炎を操った。その代償に、彼の巨体は限界に達していた。
「七一番――!」
セレスが駆け寄ろうとしたその時、七一番は血に濡れた喉を震わせ、吠えた。
「……あああああああああああ!!」
絶望と怒りを混ぜた咆哮が戦場に響く。
それは言葉ではなかった。
だが確かに――生きたいという魂の叫びだった。
槍がさらに何本も突き立つ。七一番の灰銀の瞳が揺らぎ、膝が折れる。
その光景に、セレスは奥歯を噛み締めた。
「やめて!!」
七一番を背にして、剣を構え直す。怒りと憤りが、戦場の空気を再び震わせた。
泥に倒れた七一番の体を守るようにして立つ。鉄の匂いが鼻を刺した。
「彼は私の戦友よ!彼は殺させない!」
その叫びに、ひときわ甲高い笑いが響いた。
「見ろ!あれが証拠だ!」
サミュエルだった。鎧の肩を揺らし、勝ち誇ったように指を突き出す。
「女騎士セレスは鬼と交わり、ツガイとなった!国家への反逆だ!粛清せよ!」
「なにを……バカなことを……」
兵士たちが一斉にセレスを取り囲む。
セレスに向けて槍の先が冷たく光り、群衆のざわめきが膨れ上がった。
七一番が呻きながら立ち上がろうとする。
膝は震え、片腕は血に濡れて重い。
それでも彼は吠えた。
「セレス……、さ…わるなァァァ!」
巨体が暴れ、兵を薙ぎ払う。二人、三人と槍を持った兵士が吹き飛ぶ。
だが背に新たな槍が突き刺さり、血が地に落ちる。
それでも七一番はセレスの前へとにじり寄り、両腕を広げセレスを守るように立つ。
「七一番、私を庇わなくていい!」
セレスは叫ぶ。
足をもつれさせながら駆け寄り、血に濡れた七一番の腕に、自分の腕をまわす。
セレスの白い軍服が、血で赤く染まる。
「これ以上は……あなたが死んでしまう!」
大きな体は彼女に凭れかかるように揺れ、荒い息が耳元をかすめた。
七一番は震える手を持ち上げ、セレスの左手を探る。
「……す、ま、ない……」
血に濡れた指先が、彼女の薬指をなぞった。
赤い光が皮膚の下で弾け、輪を描く。
熱が脈打ち、セレスの全身に火のような感覚が走った。
「……っ!? ……なにをしたの?」
そのまま七一番は、泥の中に倒れ込んだ。
端正な顔立ちは血と泥に覆われても、ただ一瞬、柔らかな光を宿す。
そして、そのまま彼の体から力が抜けた。
「だめ……七一番!いやぁぁっ!」
セレスの泣き声が戦場に響いた。
腕の中の体は冷えゆき、残るのは赤い輪の熱だけ。
サミュエルが声を張り上げる。
「見たか!聞いたか!鬼をかばったセレス!粛清せよ!」
兵士たちの槍が再び向けられる。
セレスは涙に濡れた瞳で、血に沈んだ戦友の顔を見つめた。
叫びは誰にも届かない。
勝利の歓声が遠くでまだ響いている中、他の鬼たちの断末魔が聞こえていた。
セレスが幽閉されて、四年目のある日、牢の扉が軋む。
松明を手にした男が立っていた。かつて同じ軍に属し、彼女を妬んだ者だ。
「いい加減に罪を認めろ。女のくせに軍神などと呼ばれやがって……。その異名のせいで、お前の処分が長引いた」
その声は、軽く冷たく、彼女の存在を嘲る。
「だがまあ、よく黙っていた。褒美をやろう」
くくっ笑いながらサミュエルはセレスに近づく。
「お前は奴隷どもの慰み者として、別の場所に送られることになった。ああ、その前に、俺も少し楽しませてもらおうか……?」
セレスの絶望する顔を見て、サミュエルは満足そうだった。
「そういえば、あの鬼ども、よく燃えたな。焚火にちょうど良かったぞ」
大笑いするサミュエルの言葉に、あの時に戦かった鬼の顔が思い出された。
瞬間、セレスの心に火が点った。
激昂、屈辱という言葉では追いつかない、焼けるような怒り。
その時だった。
左の薬指に刻まれた赤い輪が、ふっと光を放つ。
四年前、鬼が最後に遺した“血の指輪”。微かにしか見えなかったはずのその輪が、今は脈打つように赤く輝いていた。
「……これは……」
セレスは息を呑んだ。
次の瞬間、指輪の光は炎へと変わった。
炎は彼女の全身を包み、牢の石壁を舐め、空気を震わせる。
「な、なんだ!?」
「危険だ!殺せ!」
兵士たちが剣を抜き、雪崩れ込んだ。槍が突き立ち、鉄の音が火花に溶ける。
だが炎は衰えず、彼女の怒りと共に燃え広がる。
その炎は、セレスを燃やすことはなかった。
炎に包まれても燃えることがないセレスは、まるで魔女のようだった。
次の瞬間、そこにいた多くの兵の槍や剣が、セレスの体を突き刺す。
セレスの体から、血が噴き出す。
「……これで、いい。もう……限界だった」
セレスの声は静かで、微笑さえ浮かんでいた。
「私だけが生きていても意味はない……七一番……いいえ、銀目の鬼。私もそちらへ行くわ」
炎が弾け、さらに刃が深々と突き刺さる。
体は崩れ落ちても、薬指の赤い輪だけはなお温かく、牢の暗闇で脈打っていた。
その十月十日後。
産声が響いた。
「おぎゃあ――!」
ヴァンデール侯爵家の屋敷に、新しい命が誕生した。
侯爵夫妻は小さな体を抱き上げ、涙を浮かべて微笑む。
「イレーナ……私たちの可愛い娘」
「ようこそ、私たちの元へ」
母の胸に抱かれた赤子は、安心したように小さな手を伸ばし、父の指をぎゅっと握った。
「おや、この子の左手の薬指……赤く指輪みたいな痕がある」
「あら、本当。まるで結婚指輪をしているみたいね」
赤い輪はまだ温かい。
眠る指先に、ひそやかな約束が脈打つ。
鬼は死に際に力を渡した。
守りたいというただ一つの願いが、赤い輪になった。
――その二十年後、その約束は静かに姿を現す。
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